マウントフジ・フラワーエッセンス
体験談
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「豊かさと成功」のフォーミュラー体験談

こんにちは。個人セッションと購入とで、マウントフジフラワーエッセンスを使って、1年半以上たちました。今、1年半前とは確実に違う自分を感じています。この1年半の体験を文章にしたいのですが、言葉だけでは表現しきれないものがあります。
私の叔母が、マウントフジフラワーエッセンスを使ってとてもおもしろい体験をしましたので、今日はそれをお伝えしたいと思います。感動的な話ではないのですが、こんなおかしな偶然もあるんだと、とてもおもしろかったものですから。
母の妹である叔母は、とても社交的で陽気な人です。叔母の家に行った時、私がマウントフジフラワーエッセンスを飲んでいるのを見て、とても興味を示しました。占いなんかも大好きな叔母ですので、年齢のわりには、ほとんど抵抗がなかったみたいです。
次に会った時に、いくつか持っていって見せたのですが、「私これがいいわ」と、「豊かさと成功」にすんなりと決めました。ラベルの絵が好きなのと、幸運をひきよせるという働きかけで迷わず決めたのですが、叔母のあっさりした性格は、本当にうらやましい限りです。その時、「これは日本のフラワーエッセンスなんだよ」と言って、飲み方なんかの説明をひととおりしたのですが、日本のおめでたいものといいえば何かという話題に発展して、松竹梅、鶴亀、鯛、紅白なんかよねえと話していました。
そして、叔母が「豊かさと成功」を使い始めて3日ほどたった日の朝、小さい迷い亀を保護しました。家の前を、のろのろと歩いていたそうです。
亀を保護した翌日には、叔母の友人が遊びに来たらしいのですが、亀屋萬年堂の菓子折りを持参だったそうです。叔母も、「亀と縁があるわねえ。おめでたいことでもあるかしら」と思ったそうです。
その1週間後くらいに、叔母の息子(叔母の家からは独立している)がイタリア出張から戻ったのですが、おみやげにカメオをくれたそうです。私も詳しくないのでよく知らないのですが、有名な職人さんの手によるカメオで、高級宝石くらいの値がする非常に高価なものらしいです。
迷い亀については、近所にちらしを貼り出したりして聞いたらしいのですが、亀の飼い主さんは見つかりませんでした。「豊かさと成功」を飲んでからカメづくしなので、ラッキーな亀として、叔母の家で引き取って飼うことになりました。亀の名前は、私のアイデアでカメオになりました。
カメのシンクロとは、妙にわかりやすい現実的な働きかけで、なんと叔母らしい効き方なのかと笑ってしまいました。それ以来、叔母もマウントフジフラワーエッセンスのファンになりました。

(匿名希望)


フラワーエッセンス体験談

三年寝太郎という童話がありますが、フラワーエッセンスを知った頃、私は数年寝姫でした。
最初のつまずきは大学です。合格確実と思っていた志望校に落ちて、親の勧めで希望していない大学に進学しました。親に進路を決められたことや、自分が求めていた内容ではなかったのもあって、結局数える程しか行かないまま休学し、結果的に辞めてしまいました。
その後に入学した専門学校でも、自分がやりたいことと違う気がして、結局は辞めてしまいました。家でごろごろしていたと思うとフリーターをして、また辞めては家にいてと、自分の人生はこのまま終わるのではないか、と心の中では焦りながら、何をしていいのかわからないような、薄暗闇にいる状態でした。

そんな時、フラワーエッセンスを知りました。
最初は飲むものだということもよくわからないで、ラベルの絵と説明に魅力を感じてお店で買いました。大袈裟かもしれませんが、フラワーエッセンスを置いてある場所が輝く空間のように見えて、蝶が花に吸い寄せられるようでした。お金もないのに、何となく何本も買いこんでしまいました。お店の人は商売で売ったのかもしれませんが、説明でふらふらと何本も買いこんだことが、後々思えば続けて使うことになったわけで、自分にはよかったと思います。

何本か使ってみて「パワーと実現」の時に、何となく気持ちが楽になる経験をしました。ハーブティーと少し似ているなと思いました。自分の気持ちにスーっと入ってくる本を見つけて、部屋に鉢植えやンテリア小物を置いてと、何とはなしに変化が出ているような気がしました。花を見て美しいと思ったのも何年ぶりで、そのようなことを忘れていた自分を思いだしました。

その後に「自己肯定と許し」を使った時、最初は特に感じるものはありませんでした。使って約1週間たった時、今思えば初期反応(浄化反応)だったと思うのですが、38度の熱を出してしまいました。でも熱があるのに皮膚の表面はピリピリして、涼味を感じるのです。熱でぼーとしているのに別の部分ではスーとしている不思議な感覚でした。今はそれが私なりの感じ方だとわかりましたが、当時は変な感覚でした。
ある時に昼間うとうとしていると、夢の中で和紙の巻紙にまっ黒な墨で書かれた太い文字が、目の前にどんどん出てきます。画面が変っていくのでほとんど読めないのですが、自分の人生の目的について書いてあるようで、夢の中の自分、というよりも意識がどこかにあって、夢見ている自分を見ている(起きた自分)がいるのですが、ほとんど文を読めていないのに納得しているのです。
はっきりと目が覚めた時に、自分はこんな人生を続けていいのか、本当はこんな予定で生まれてきたのではなかったのにという気持ちが上ってきて、涙がどんどん出てきました。これもきっと初期反応(浄化反応)だったと思います。その日から3日ぐらい、延々と泣きつづけました。よかったと思うのは、数年寝姫が幸いして、自分が泣く時間を作れたことです。目のまわりがカエルみたいに腫れあがりましたが、どこかで今自分がやっていることは正しいという確信をもっていました。寝ている時に優しい何かが私を包んで、慰めてくれているような不思議な体験もありました。

「自己肯定と許し」を買い足して、結局2ヶ月以上続けることになりました。
その後、自分の将来を考え始めて調べていた時、ある仕事に非常に興味を持ちはじめました。親の人づての紹介で、ラッキーなことにその仕事に就くことが出来ました。これには親に感謝していますが、自分がその気にならなければコネも利用できなかったわけで、うまくできているものだと思います。仕事といっても、見習いで手伝いをしながら勉強するというものですが、仕事が勉強になり、いずれは資格を取る道が開けるものです。

数年寝姫をして大切な時期を無駄にしたのかもしれませんが、いつかは歪みが生じて、同じことが起こっていたと思います。数年寝姫の時代は自分に必要だった、人生で無駄なものは何もない、と思っています。
これからがんばっていきたいと思っています。

(風香)


「個人や集団の過去を癒す」、「キブシ」を飲んで

うちの弟は、6年近くひきこもりに近い生活をしていました。弟は優秀で大学を出て、せっかく入った企業を突然辞めてから新しい職に就く気配もなく、家でごろごろしていました。
私のほうはというと、仕事も軌道にのり、結婚が決まりました。両親も弟のことを心配していましたし、私も自分が結婚して家を出た後のことが心配でした。家族の意や心配に反して、弟にはなにも言えない状態が続いていました。
専門学校時代からの彼と、紆余曲折の末に婚約から結婚に踏み切れたのは、数々の障害を、彼と私が乗りこえてきたからです。彼の仕事と私の仕事と結婚の両立の悩み、彼の店のスタッフの問題、実家の経済的な問題などなど、書きはじめるととても長くなるお話しなので、いづれまたの機会に。猛スピードの変化でしたが、弟と関係ある部分だけ書きたいと思います。
私の両親と祖父母は再婚です。姉も2人のいとこも再婚です。過去に何度か私が手相を見てもらった時も、再婚の相と言われました。事実、私は事実婚をしていたことがありました。過去の傷を癒すのと、彼との関係に家系のカルマ?が影響しないようにと、「個人や集団の過去を癒す」を飲みはじめました。私の赤い糸の相手は、専門学校時代に出会っていたのに回り道をしていたということになりますが、数々の苦労も必要だったのだと思えるようになりました。
というわけで結婚して家を出たのですが、弟のことだけが心にひっかかっていました。弟は弟の生き方と考えようとしても、割切れません。しっくりしないまま、結婚してからも、ふたたび「個人や集団の過去を癒す」を飲みはじめました。前々から気になっていた「キブシ」も飲みました。私が飲んで弟がどうなるものでもないけれど、家族の色々な問題が少しでもよくなればという気持ちでした。
飲み始めてから1ヶ月たって、なんと、弟が母と一緒にひきこもりの相談に行ったことを聞きました。自分から情報を見つけて、行きたいと言ってきたそうです。それに続いて、知り合いのところで働かせてもらえることも決まりました。これが全て「個人や集団の過去を癒す」のせいかは、私には断言できません。ですが、何年も変化のない弟が変わったというのには、何らかの関わりがあるとしか考えられません。弟の決心を早めたのではないかと思います。
買ったところでは、飲む時にはテーマをじっくりと決めて、望む未来を想像するといいと言われました。最初は私の結婚が叶い、追って弟が変わりました。これをどうとらえていいかはまだ整理がつきませんが、飲む人が必要とする調律をしつつも、飲む人の希望も汲んで進んでいくこともあると考えています。結婚も弟も私にとってのテーマでした。夫と私の赤い糸だけではなく、私の結婚と弟も、見えない糸でつながっていたのではないでしょうか。「個人や集団の過去を癒す」のせいで、家系や先祖の糸が少しほぐれたように思っています。弟が変わったせいか、家族にある他の問題も、少しづつですが良い方向にむかっていきそうです。
家系の問題は、自分の努力だけではどうにもならないものです。把握しきれない問題もあるでしょう。「個人や集団の過去を癒す」のようなものがあれば、沢山の人が助けられるのではないかと思います。これからも、時にマウントフジフラワーエッセンスのお世話になりながら、がんばっていきたいと思っています。

(M・M)


女性と男性を使った体験談

よろしければ、私が「女性と男性」を使った体験談を読んで下さい。
私は自分で言うのも何なのですが、昔から恋愛が苦手でした。
今まで思ってくれる相手はいましたが、うまく歯車が合わなくて、恋愛に発展するタイミングを逃すことばかりでした。ぐずぐすしている私にいつのまにか相手があきらめてしまって、友人としても疎遠になってしまいます。あの時勇気をだしていればぜったいうまくいったのにと、後で後悔することが多くて。。。。。
そんな私も、グループ交際から彼と呼べる人ができました。いつものパターンで、自分からはほとんど意思表示できなかったのですが、彼がすごく積極的な人だったので、引っぱられた形でつき合いはじめることができました。
この時、「マウントフジフラワーエッセンス」「オダマキ」「フジ(ツボミ)」を別の目的で使っていたのですが、彼ができたことには少なからず関係しているような気がしています。
つき合いはじめてからは、少しずつでも変わっていかねばと思いながらも、思いに行動がついていかなくて、楽しいながらもたびたび自己嫌悪に陥っていました。トイレに行くのに席を立つにも緊張するし、食事をするにも緊張するし、正直自分にうんざりしていました。
幸いなことに、彼は細かいことを気にしない性格なので助かりました。でも、彼の独断に反対したいときも我慢している自分に疲れてきて、このままではいけないと「女性と男性」を飲み始めました。
彼と話す時、敬語と友人言葉が混ざったような話しかたになっている自分でしたが、「女性と男性」を飲みはじめたある日、大喧嘩になりました。原因はささいなことでしたが、彼の独断についてで、今まで我慢していた糸が切れてしまいました。彼は私をおとなしいと思っていたと思うので、さぞかし驚いたことでしょう。不謹慎ですが、喧嘩しているのに、ハイになって止まらない自分と、もう終わりだという自分と、冷静に見ている自分がありました。
その日は携帯にも電話にも出ずにいましたが、次の日は砂を噛むような気持でした。だんだんと、こんなことで彼を失いたくないという気持がはっきりしてきました。このまま終わるのなら行動するほうを選ぶ、という気持が勝ってきました。
今までの私だと、絶対に自分から行動をおこすということはありませんでしたが、勇気をだして連絡をとりました。会った後は一山越えていたせいか、今までの自分の気持ちを、たどたどしいながらも話すことができました。彼も、会った時に何も言わずにまず謝ってくれたので、自分も素直に話せたのだと思います。
喧嘩を境にして、徐々にですが、行きたいところや食べたいものも自己表現して、ノーも言えるようになってきています。なんでもないことのようですが、私にとっては大きな前進でした。又、大きな前進ながらも、やってみれば意外に平気だということもわかりました。越えられない高い壁だと思っていたものが、実際に行動してみれば越えられる壁だったのです。「女性と男性」で、壁を越える楽しさというものを知りました。もう少しの間「女性と男性」を続けて、'女性の勇気'を発達させようと思っています。
私の恋愛が苦手なパターンは、父親との問題が影響しています。抵抗が強くて、今も手つかずになっています。私にとっては、今の恋愛を変えていくことが最大のテーマなので、そこから突破口を開く道もあってもいいかなと思っています。彼といっしょに「女性と男性」を使いながら、そう思えるようになれたのも小さい突破でした。
つたない文章ですが、最後まで読んでくださってありがとうございました。

(ナナミ)