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《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 第94回目の原稿より 第7身体―1》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマにした連続シリーズ、今回からは、第7身体についてのお話をしていきましょう。
とは言っても、その次元に至った覚者ですら(だからこそ)表現出来ない第7身体の究極を、至っていない者が表現する事など出来ません。だから、以前からお伝えしているように、あくまで個人的なお伽話として、読んでいって下さいね。
前回迄、輪廻する個や人格を超えた第5の次元の小宇宙が消え去る大いなる海、大宇宙である第6身体のお話をしてきました。そこでは、個としての自分とその対象である他の何か、小宇宙に対する大宇宙といった枠組みは、識別されません。ただ、大宇宙が在るという次元・・・。
そこから更なる高みへと至った第7身体の次元は、大宇宙として在る事への引力からも解放され、大宇宙という枠組みとして存在する事すら、消滅してしまう次元です。
なにもないこの次元は、それ故に限界というものがなく、それよりも下位の次元とは全く違った意味合いから、制限のない広大さとも言えるのかもしれません。「〜〜身体」と呼ぶ枠さえそぐわなくなるような、大宇宙すら消え去った、永遠の広がりです。
でも、「限界というものがなく」、「制限のない広大さ」、「永遠の広がり」といった言葉すら、大きさや距離や方向性の概念を連想させるので、何だか違ってきてしまう感じです。
例えば、第4身体の次元は、下位身体の次元とは違って、理論的な言葉や文章で表現したり、教育する事は出来ません。それは、理論を超えた、神秘的な表現方法で示されるでしょう。また、知識や情報を集める事は、第4身体の体験を閉ざしてしまう危険性があります。
第5身体は、覚醒の次元です。それは、秘教的な言葉や文章で表現されているかもしれませんが、実際は、言葉や文章といった思考を超えたところでの深い交流、沈黙の交感によって伝達されるものです。
第6身体になると、言葉や文章といった表現手段は、それをする意味がないというか、機能しなくなっていきます。
上位のエネルギーボディ(サトルボディ)については、知識として埋め込む事で、私達の頭がその次元を想像し、創造し、違った方向性へとはまってしまう危険性から、それらについて語る事や語られる事が、かえって道から遠ざけ、害になると言っている覚者も多くいます。
とりわけ、上位エネルギーボディ(サトルボディ)についての知識や情報を元にした教育や学びは、知的な専門家を育成する事は出来ても、その人自身に、変容をもたらすわけではないのですね。
第7の次元に到達したと言われている、古今東西のあらゆる覚者達が共通して言っている事。それは、この次元の事を、言葉や文章を通して表現する事は、不可能だという事です。
あるいは、言葉や文章で語ったり表現しようとすると、その意味付けの行為故に遙か遠くへとハズれてしまうこの次元を、全く違った方法で示そうと試みる覚者もいます。
また、それをすると本質からハズれてしまう“表現”というものを捨てて、沈黙へと向かう覚者もいます。
マインドを遙かに超えたこの次元を、言葉や文章を通して語る事は出来ないのですね。言葉や文章という影や鏡に落とし込んで表現されるやいなや、それは、その次元からハズれて、別の次元へと下降してしまうのです。
第7の次元に至った、生きた(あるいはかつて生きていた)個人はいるかもしれませんが、この次元は、個人の次元ではありません。
そこには、個人の人格、輪廻する個の総体、大宇宙の一部である水滴、大宇宙といった、ある種の固有性、存在感、意味付け、後ろ盾は、ありません。
・・・このような説明をする事自体、ズレていく事になってしまいそうです。
この次元に達した、生きた(あるいはかつて生きていた)個人が醸し出す未知なる“何か”に触れた時、「〜〜という個なんて、元々存在してはいなかったんだ!」といった、表現出来ない感覚に揺さぶられる事があります。
この体験を、言葉でうまく表現する事は出来ません。
第7の次元に達した覚者に出会ったなら、尊敬し、信頼し、愛する事で、個としてのその人と自分との出会いが起こるでしょう。
そして、言葉で表現すると矛盾するのですが、個としての出会いを超えて、個としての相手がいなくなり、個に依らない、何かとの直の感応がやって来る事があります。それは、サイキックや特別なパワー、宇宙体験や○○次元といった、不思議現象やニューエイジマインドのそれとは異なるものです。
個を超えた次元に共振すると、個人というものは消え去って、もっともっと大きな、制限のないものに感応します。
制限のない広大さの中に、個としての意識を持つ自分が飲み込まれて消滅してしまうような、あるいは、広大さが自分の中に注ぎ込まれて個が溶け去ってしまうような。それは、覚者の個とは関係ない、覚者の個と自分の個といった出会いとは関係のない、永遠の大きさのようなものでしょうか・・・。
そんな永遠の大きさへの共振は、内側のどこか深いところに、印されるのかもしれません。
そこに共振して開いていくと、自分という分かたれたものは溶けて、とても懐かしい全体に広がっていくような、自分がなくなるような、爆発するような、一瞬にして大宇宙の全てを知るような、不思議な感覚になります。
個や思考が広大さの中に飲み込まれてやって来る、これが本当なんだという、とても懐かしいような広大な感覚。
でも、これが、厳密にどの上位エネルギーボディ(サトルボディ)での感応なのか、分からないですし、うまく表現する事は出来ないのです。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 第94回目の原稿より 第7身体―2》
マウントフジフラワーエッセンスからみたサトルボディ、エネルギーワークをテーマにしたこの連続シリーズ、今回は、第7身体についてのお話の第2回目となります。
前回は、第7身体について、覚醒した者達が、言葉や文章によって表現する事の出来ない次元だと語っている事について書きました。出来事でもなく、現象でもなく、状態とも言えないその次元を、直接的にせよ、間接的にせよ、表現する事は出来ないのですね。
そして、「言葉や文章によって表現出来ない」と言う事自体も、その次元から遠のかせてしまうのです。遠のかせてしまうという事も、遠のかせてしまうのです・・・。
そう、私達を通してどのように表現されようとも、その行為がある事そのもの故からも、それ自身を伝える事は出来ないのですね。
言う者は知らず、知る者は言わずの次元。
この次元を何とか伝えようと、古の時代には、超膨大な量の言葉や文章が記されたりもして。また、それを紐解いていく為に、多くの人達が関わったり、長い時が流れてもいたりする次元。
その一方、表現というものをすればする程、解釈というものをすればする程、はずれていってしまうという次元。
言葉と言葉の間の沈黙、文と文との間の空間から、マインドの静止の狭間から、染み出した味や香のような上位次元を、ふっと感じるような体験。第5の次元あたりから、そのような事が起こります。
第7の次元については・・・わかりません。
沈黙をも含めたある種の高位の表現というものが、第5チャクラの次元にある事から、第5の次元よりもっと高みの体験は、表現されるやいなや、高位の表現の次元に落とし込まれてしまうのですね。
これは、肉体や生を否定する切り口で言っているのではなく、次元についての事なのですが、第7の次元の“究極”は、はたして肉体を持ったままで達成出来るものなのでしょうか。
あらゆる次元での消滅というものが起こらない限り、ないようにも感じたりしています。
ところで、西洋の神秘主義において、第5の次元以降、とりわけ第7の次元が理解されていないどころか、なきものとなっている事があります。でも、西洋的な質やアプローチの仕方からみて、そうならざるを得ないのかもしれない、とも感じたりしています。
西洋では、瞑想者、探求者であっても、まずはマインド、思考で納得してから、という事が多いのですね。これは、優劣という事ではなく、そのような個性なのです。西洋には、西洋のよさというものがあります。
第1身体〜第3身体迄は、段階を踏んで順番に進んでいくという見方も出来ます。それはまさに、マインドが理解可能な、直線的な発達だと言えるでしょう。この次元に働きかけるセラピーやヒーリングが、西洋ではとても発達してきました。
そこから更に、第4身体に移行する感じは、下位の3つの次元とはちょっと違っています。でも、無理やり直線的な発達とこじつければ、出来ない事もないでしょうか。
第1身体〜第3身体が階段を登っていくのなら、第4身体は階段を登り切った最後の踊り場、あるいは屋上のような感じです。屋上は、地に属しながら、天へと開かれています。
そして、地から足を離して天へと飛翔する先の最初が、第5身体とも言えるのかもしれません。
天に属する第5身体以降は、第1身体〜第4身体で体験するような感じではないのですね。前に原因があって、次に結果があるといった、直線的な理解から、天の次元のつじつまを合わせる事は出来ません。それは、マインドの知識を増やす事は出来たとしても、真の体験から遠のかせてしまうのです。
上位の誕生は、もっと違ったところで起こるのですね。
マインドは、増やしていく、埋めていく、分別するという行為が得意です。消滅する、無になる、明け渡すといった、馴染みのない在り方を、マインドは理解する事は出来ません。それはまさに、マインドが消え去る事でもあるのですから。
でも、明け渡したなら、そこには、エゴという個を超えた、より大きな何か、もっともっと本当の自分に近い何かが訪れる事を体験するでしょう。
セラピーの世界では、50年代くらいからでしょうか、戦争によるショックやトラウマのケア等をきっかけに、西洋では、東洋的なものを取り入れたセラピーが発展してきました。中には、年月を経て、代を重ねていく中で、東洋的な在り方が後継者達に理解されない故、西洋的マインドで無理やりつじつまを合わせるようになってしまっているものも。東洋的な在り方を、マインドは理解出来ないのですね。
こういったセラピーが逆輸入されたりもしていますが、むしろ日本人の方が無理なく深く理解し、現場で活用出来るものがあるというのは、とても興味深い事だと感じています。
日本人の、例えば自然観、世界観、死生観、瞑想性、二元性を超えた次元への理解というもの。そして、思考を超えたところで感じ取る能力や、行為を超えたところでただ在るという質は、セラピーやヒーリングの世界を豊かにしてくれるように予感しています。
下位身体の次元でさえも、より深いところで見ていくと、直線的なものではなく、そこには環の循環が在る事が見てとれます。
それは、私達日本人にとっては、自然に馴染んでいる世界観にも通じるものだと言えるでしょう。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 第96回目の原稿より 第7身体―3》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も第7身体についてのお話を続けていきましょう。
前回は、第7身体を言葉や文章で表現しようとすると、その行為故にそこからはずれ、第5の次元に落とし込まれるという事について、お話ししました。
また、西洋の神秘主義において、上位身体、とりわけ第7の次元が理解されていない理由として、西洋と東洋のアプローチの個性や違いについても、お話ししたかと思います。
前回も書いたように、第1身体〜第3身体の次元に作用するセラピー(心理療法)は、マインドで言葉や文章に置き換えて整理していく、西洋的な理解の基盤の中で、よく発達してきました。それは、東洋的な眼から見ると、階段を段階的に登って成長していくといった、時空軸の中に部分をはめ込む事の出来る、ある種の直線的なアプローチだとも言えるでしょう。
例えば、クライエント中心療法や精神分析においては、本人が持っている問題意識を扱う、過去に遡るといった、マインドを使ったある領域での知的作業、長期に渡って個を掘り下げていく作業が求められます。
また、こういった自己洞察や自己成長を深めていくセラピーが、うまく機能しないケースもあるでしょう。荒廃したあるいは多くの問題を抱えているケース、短期間での解決が必要とされるケース、周囲は困っていても本人に問題意識がないケース、教育を充分に受けられなかった故に知的作業が難しいケースに対しては、人間関係を扱うセラピーや短期療法といったものが、50年代より、更に発展していきました。
そして、西洋においても、意識が段階的に成長していくと、いつかは、スピリチュアルなステップに行きあたるとも言われています。そんなスピリチュアルな段階を扱うセラピーにおいても、西洋では、マインドが納得出来る理論化に取り組む事で、発達してきた部分もあるかと思います。
日本人が見ると、「こんな自然で簡単な事を、どうして表にまで整理していちいち説明するの?」と思うものもあるかもしれません。でも、西洋の人にとっては、マインドでまず納得する事が、大切であったりするんですね。
西洋のセラピーの世界では、スピリチュアルな次元を理解していく上で、知的階級、上流階級の人達の間で、禅をはじめとする東洋的な思想が流行し、取り入れられてきました。それらが、上に挙げた関係を扱う療法や短期で解決する療法で活かされ、発展していったというのは、興味深い事です。
スピリチュアリティに意識を向けた西洋のセラピーが、東洋的なものを取り入れながらも、上位身体のスピリチュアルな次元に対して、思考の部分でつじつまが合うよう整理し、単次元で順序立てて理解しようと試みる取り組みがされているケースは、少なくありません。
でも、知識を積み上げ、範囲を広げ、複雑にしていくといったマインドの機能を使い、高位身体の次元を扱う事には限界があり、広げたものが、次元のシフトとは別のものであったりする事も。
7つの次元の中心の第4の次元を経て、第5身体以降になると、直線的な思考、一元的な整理整頓、部分を見る事を通しては、本来の理解や体験は出来なくなっていきます。第1〜第3の次元からは、第4以上の次元を識る事は出来ません。
下位次元で「正しい」とされていた事が、ある次元では反転し、別の次元では対立するものが溶け合うといった事を、マインドに落とし込んでも、同時に多次元的に体験し、深いところで体得する事は出来ないのですね。
例えば、分離と緊張を起こしやすい第3身体の次元で第5の次元を理解しようとしたなら、本来はクリアな覚醒のその次元が、正誤や白黒が不明確で、曖昧でぼんやりとした、訳の分からないものとしか捉える事が出来ないかもしれません。
また、第3の次元から高位のスピリチュアルでいようとするなら、ある次元を肯定する為に、他の次元を否定しようとするかもしれません。
生の多様性、多次元性を抱きしめられない時、光と闇が分断されている時、私達は、他者、他のグループ、他の考え方、他の行動の否定や攻撃という形で、自らの“部分的”な正しさを認めさせようとするでしょう。
また、第2や第3の次元で第4の次元を実行しようとするなら、違っている事の否定、変えようとする意図が背後にある、愛や奉仕という名の“いわゆる”教育や布教となるかもしれません。
言葉として発しても発しなくても、それは、自他がありのままである事のエネルギーを収縮させ、スペースを奪い取ります。
こういった事は、スピリチュアルな領域だからこそ、美しいものでコーティングされていたりして、全体像が見えなくなり、よりやっかいだったりします。
そんな時には、自然界のもの言わぬ植物や動物達のシンプルな尊さに触れる事が、マインドを柔らかにしてくれるかもしれません。
花達の純粋なエネルギーである、フラワーエッセンスを使う事も多いに助けとなるでしょう。
今回は、西洋のスピリチュアルなアプローチについての、興味深いいくつかの例について書いていきましょう。
以前、ボランティアや環境保護に熱心な、東洋贔屓の西洋人の友人が来日した時の事です。
自分が行うワークショップについて、裕福な人と貧しい人によって参加費を差別化し、なおかつドネーション形式にするのはどうかといったアイデアが、提案された事がありました。スピリチュアルなワークなので、沢山持っている者が充分に持っていない者をサポートする方法を設定するのは、スピリチュアルで愛に溢れた在り方だと言うのですね。
こういった階級分けという発送は、日本では、ごく少数の人々以外では、あまり馴染みがありません。日本では、その種の設定は上手く機能しないと説明しましたが、最初は、なかなか腑に落ちない様子でした。
また、これも何年も前になりますが、東洋の高僧の公演で、日本に長年馴染み、流暢な日本語を話す西洋人が、「慈悲や思いやりとは、強い者が弱い者を助ける事だ」とコメントし、会場が、無言のとまどいの雰囲気で包まれた事がありました。
後に、高僧が、その人を否定する事なく慈悲について語る事で、場のエネルギーが落ち着いていきました。
プライベートや仕事で様々な国を訪れた際、東洋のスピリチュアルな文化や宗教に傾倒し、日本人には考えられないくらいの多額のドネーションをしている熱心な西洋人に、出くわす事も少なくありません。東南アジアにもそういった人達がいますが、動機付けが少し違うようにも思えます。いずれにしても、彼等の献身の姿には、日本人とは少し違った趣を感じます。
そして、もしかしたら、キリスト教的な罪の意識が関係しているのかもしれませんが、東洋思想に傾倒している西洋人のカルマや過去世といったものの受け止め方には、沢山の罪悪感や深刻さが見て取れる事もあります。
あらゆるものに仏性を見い出す事に慣れている日本人の方が、カルマや宗教性に対しては、むしろ大らかな印象を受けます。
また、ある海外のワークショップで、「自然の中に独り入り、沈黙の中で、自然界から何かをもらい、戻って来る」というエクササイズがありました。
西洋人の参加者達は、葉っぱや石ころ等の形あるものを持ち帰り、その意味や根拠について饒舌に説明しました。それに対して、日本人の参加者達は、「体験」という形なきものを受け取り、何も手にせずに帰って来ました。
ワークのリーダーは、「で、あなたは何を持って来たの?」と、日本人が受け取った事について、理解出来ていないようでした。
こういった事からも、西洋と東洋の理解とアプローチの仕方、つながる次元の個性を感じます。
それぞれの個性やよさが活かせる次元で、それぞれが活用される時、互いが、素晴らしい役割、ギフトとなっていくと感じています。また、融合の可能性もあるでしょう。
西洋的なアプローチと東洋的なアプローチの融合に成功している数少ない西洋人のヒーラーを何人か知っていますが、彼等は、セラピストとしても、下位身体にワークするセラピーの豊富な経験を持っています。それと共に、セラピーを超えた高位身体へのアプローチを見事に行える、高みの経験も携えています。マインドからの理解ではなく。だからこそ、ただ臨在するだけで、意識の深みへと誘っていけるのでしょう。
話を、元に戻しましょう。
ある時には、仏壇を持っていたり、天使や観音様といった古今東西の聖なる存在の像を、取りまとめて置いている、東洋好きの西洋人ヒーラーに出会った事もあります。
そこでは、神棚と仏壇が合体したようなスペースに、天使、仏像、アフリカの女神像、チベット法具、キリスト教の聖杯、肉体を持っているあるいは持っていない聖者達の写真、パワーストーンの石やアクセサリーが、一堂に置かれていました。その為、雑多なエネルギーが飛び交っていて、微細な次元に開いているなら、ちょっとした“賑やか”な事になっていると気づけるような状態でした。
例えば、日本では、神棚と仏壇は次元の異なる役割を持ち、仏壇にお札と故人のお位牌を置く事はありませんし、その逆もありません。また、神棚に、自分のお守やアクセサリーを置く事もしないでしょう。そのような事をしたなら、自然ではないエネルギーラインが出来上がり、望まないエネルギーを招き入れる事になるかもしれませんから。
このヒーラーさんの混合状態は、裾野は違っていても高次元の源では同じとしながら、実際は、それとは違う次元でアプローチしているのですね。下位の次元の形あるあらゆるものから、分け隔てなくパワーを受ける事が、高位の次元で源とつながっている事と認識している状態です。でも、こういった足し算的にパーツを増やす事は、源の次元にシフトする事とは違うのです。
それぞれを通して表現されたエネルギーの個性、元型を理解し、非常にクリアで明確な意図を持って設定出来るのであれば、もしかしたら、ヒーリングツールとして機能する事もあるかもしれません。スピリチュアルなものが、その土地や国に受け入れやすい形で変化していったように、使い手によって意味を持たせ、エネルギー次元で育て上げる事も可能ですから。
私自身も、ワークの現場において、形を通さずにこういった次元を扱う事もあります。でも、充分なセンタリングをはじめ、ふさわしい環境設定でないと、ツールに“使われて”しまう可能性があるでしょう。
同時に、こういったアプローチは、ヒーリングとしては専門的で優れていたとしても、究極の次元とは異なったものであり、違った役割と機能を持っているのです。
上位の次元は、下位の次元の上にあるのではなく、それよりも大きなものです。しかし、大きいという事を下位の次元で理解し、何かをしようとすると、本来のところからはずれてしまうでしょう。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 第97回目の原稿より 第7身体―4》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、第7身体についてのお話となります。
前回と前々回、何故、西洋において、上位身体の次元がよく理解されていないかについて、西洋と東洋の違いを切り口に、具体的な体験を交えながら、お伝えしました。
エネルギーボディ(サトルボディ)を理解していく上で、今回も、西洋と東洋の違いについて、お話を続けていきましょう。それぞれの個性、この世界に役だっているユニークな特質といったところから、読み進めて頂ければと思います。私達ひとりひとりにとって、そして、集合的なレベルにおいても、どちらの特質も大切なものなのですから。
一般的に、西洋では、知る事、白黒を明確にする事、確定する事、答を出す事、概念化する事といった、理論的マインドの機能が発達してきました。それらが世界に貢献したものは、大きいと言えましょう。
この地球において、第3身体の次元が集合的に発達する上でも、西洋が持つこういった特質は、重要な役割を果たしてくれたものだとも言えます。
前回、東洋の影響を受けたスピリチュアルな段階を扱うセラピーにおいて、西洋では、マインドが納得出来る理論化が取り組まれてきた事について、お話ししました。東洋的な在り方も、まずマインドで納得してからでなければ、そこに疑問の引っかかりがあったままでは、その先には進めないのですね。
“あいまいでわけのわからない”高次エネルギーボディ(サトルボディ)の次元を、リニアな考え方に落とし込んでいったり、時には、西洋の伝統的信仰が基盤となった思想と折り合いを付けていったり、といった事もあったかもしれません。
でも、上位の次元は、言語化したり、形式に閉じ込めてしまうと、益々そこから遠のいてしまうものです。マインドや下位身体からのアプローチでは、上位身体は体験されないのですね。
天の次元に属する上位身体は、マインドを超えたところで、初めて体験されるものです。次元が上昇すればする程、微細になればなる程、マインドが安心するような固定した答を見つける事は、不可能になっていきます。
何の制限もない、対象や境界を超えた微細な次元に上昇すればする程、「知る」という作業は、存在し得ないのです。
西洋的なマインドは、「何故?」という疑問の探求、原因探しが得意です。でも、疑問や原因の探求から、上位次元という「結果」を見つける事は出来ないでしょう。それは、原因 → 結果 を超えたものなのですから。
始まりはあるはず、だからゴールはあるはず、応答はあるはず、「今」というものは過去と未来の間にあるはず、とみなすマインドからは、上位次元の体験に入って行く事は出来ません。
原因 ― 結果 を段階付けたり、どこかで始まりと終わりを作ったり、区切ったり、別のものに置き換えたりして、とりあえずマインドを安心させる事は出来るかもしれませんが、マインドの次元を超える事は出来ないのです。
東洋では、言語化では説明不可能な微細な次元の体験を、マインドを超えた言語化や音声化によって、間接的にでも伝えようとする試みがなされてきました。
それに対して、西洋には、例えば英語において、そういった微細な次元を表現するものがないのですね。
例えば、壮大で詩的な言語化は、むしろメンタルな次元に響きます。それは、天使的なもの等の聖なる存在、奇跡的な癒し、不思議な回復、サイキックや魔法を体験する、第4身体の次元だと言えるでしょう。
第4の次元は、フラワーエッセンスの世界においても大切な次元であり、様々なヴァイブレーションエッセンスにおいても、中核となっている事が多くあるものです。第4の次元からの癒しは、肉体に近い次元の癒しでは届かないところにも、機能していきます。それと同時に、その先にある天への飛翔、魂の解放は、この次元においては、まだ花開いてはいないのですね。
日本のフラワーエッセンス「マウントフジフラワーエッセンス」を、従来とは異なった方法で開発したきっかけのひとつとして、第4の次元を超え、更なる高みへと上昇していくサポートともなってくれるフラワーエッセンスをもたらしたい、という願いがありました。
この地上で高みを求める探求者達との多くのご縁の中で、自然発生的に、それは起こっていきました。
西洋で今も進行している、古い時代の家族や夫婦関係の破綻は、第3身体の次元から、第4身体の次元へと成長していく上で、集合的にも通り抜けて行くプロセスでもあると言えます。
また、以前から、家族や集団を扱うセラピーの専門家達から、「西洋の20年遅れで、日本にも家族や夫婦関係の破綻が訪れている、日本は西洋の後を追っている」と言われています。
でも、エネルギー的に見ると、日本には、西洋とは違った可能性があるとも感じています。西洋がマインドや外側に向かう質を発達させてきたのに対して、東洋は、瞑想や内側に向かう質を育んできました。
東洋では、西洋では見い出されなかった上位身体へのアプローチが、発達しているのですね
東洋が発達させてきたこれらの次元は、この地球において、見えない領域だけでなく、これからは見える領域においても、大きなギフトとなってくれるような気がしています。
そして、そこでは、西洋的なものとの融合も、発達していくかもしれません。
集合的な発達の段階からみて、今は、多くの人達が、第1身体のエネルギー、あるいは第2身体や第3身体の、感情やパワーといった変化していく次元をダイナミックにくすぐるワーク、あるいは第4身体次元のサイキックをゴールにしたワークに惹かれるものですが、その先には、上位身体の永遠の次元があるのです。
マウントフジフラワーエッセンスでは、クライエントや使用者は、その癒しのプロセスにおいて、微細なエネルギー次元の事柄や根拠について、必ずしも意識化する必要性はないですが、こういった次元について体験的に理解しているセラピストの存在が傍らにいると、彼等の臨在自体が、癒しを高みへと拡大していく上で、大いに助けになるのではないかと感じています。
東洋的なギフトは、目に見えるところと目に見えないところで、多角的に起こっていくものでもあるでしょう。
前回、慈悲や思いやりについて、「強者が弱者を助ける事だ」と言った西洋人のお話をしましたが、個としてのエゴの確立、外側での実現や表現を発達させてきた西洋だからこそ、ドネーションやボランティアといった、社会的貢献が発達したのかもしれません。
それは、現実の中で、目に見える形で、実際的なサポートに役立つものです。
前回も書きましたが、海外で様々な国の人達と共にセラピーの場にいて面白い体験をする事、また、興味深い内容を耳にする事があります。
例えば、プロの心理療法家対象のエンカウンターグループで激しく罵り大泣きした直後、おトイレ休憩になった途端、上機嫌で鼻歌を歌う西洋人。大統領選挙の際のヒラリーのオバマに対する手の平をかえしたような発言を彷彿とさせる豹変ぶりに、「たった今、やっていた事は何だったの?」と、日本人なら驚くかもしれません。
日本人が持つ、内側に入る質、深みを感じ入る質、発する言葉の重みの質とは、違うんですね。
西洋的なスタイルのままのエンカウンターグループは、日本人にはかえって害や傷になる事もある、と言われています。
海外のエンカウンターグループでは、我先にと西洋人は自己表現し始めますが、日本人のエンカウンターグループは、沈黙からスタートする事が少なくありません。
また、従来のものとほとんど変わらないセラピーにちょっとした差異を見つけ、新しい名称を付けて創始者を名乗るといった、恥の文化の日本人なら出来そうもない事を、さらりと行う西洋人も少なくありません。
そういった類似のセラピーの関係者が不仲なのもよくある事なのですが、両方の良さを融合させ、更に深まったセラピーを、密かに日本人が発展させていたりします。創始者を主張する事もなく。
外に出す事、内に秘める事、それぞれのユニークさのお話をするときりがありませんが、この続きは、次回に。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 第98回目の原稿より 第7身体―5》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、第7身体についてのお話をしていきましょう。
ここ数回、東洋と西洋の違いといった切り口から、第7身体を含む上位身体についてのお話を試みてきました。明確な言葉で語る事が出来ないこれらの次元を、今回も、この切り口を使って紐解いていきたいと思います。
マインドが発達し、「空っぽさ」や「不在」に馴染みのない西洋において、上位身体の次元は、誤解されていたり、存在しないものとなっていると言われています。言語化で満たす事の出来ないこれらの次元に対して、マインドの壁が、閉ざしてしまうのですね。
以前、テレビで、脳科学者の女性が、脳卒中によって左脳の機能が損なわれていった時、自然と一体になる「ニルヴァーナ」の体験をしたといった事を、語っているのを見ました。
マインドというのは、ある意味、左脳と密接に関わっているので、大変興味深く感じました。
高位身体の体験とまではいかなくても、瞑想体験の限られた次元であったとしても、いつか脳機能との関係でこれらを説明出来る時代が来たら、面白いかもしれません。
先天的な領域(生物学的要因)に限っての私達のユニークさは、もって生まれた脳の特徴によって決定されているとも言えます。
また、未だメカニズムがよく分かっていない精神疾患は、客観的に検査出来る身体疾患と違って、状態像から診断していくわけですが、脳機能の領域から見ていく方法が確立していけば、様々な「神秘」が解明されるかもしれません。
エネルギー解剖学的な見地から言えば、第4身体の次元は神秘や不思議ではなくなり、怖れや偏見といったものも変化していくかもしれませんね。
さて、西洋では、第5の次元の潜在性を開く純粋な「瞑想」というものが発達していない為、その更に上位の第6の次元、第7の次元となると・・・信仰やスピリチュアリズムと東洋的なものが“混合”し、何やら様々な“要素”が増えて、複雑で特別なものになっていたりするんですね。
西洋には、第3の次元の色やイメージやキラキラしたもの、第4の次元の奇跡や天使的なもの、こういった次元での“祈り”のようなものは存在します。
美しくキラキラした世界に同化してしまうと、その心地よさ故に、眠りから覚めたくなくなります。これらの次元を超え、本当に「目を覚ます事」を望むならば、光の羽を消していったん下界に降り、地上の次元を体験した方が、むしろ早道であったりします。
泥の中から花咲くロータスの姿にも例えられる「至った人」が、肉体を持たない聖なる存在以上に扱われるのは、肉体を持ってこの世界に在りながら、これらの次元を遙かに超えた高みへと、至ったからなのかもしれません。
また、二元性の次元での美しいものの存在は、同時に、その対極の醜いもの、闇のもの、邪悪なもの、悪魔的なものもあるという事を意味してもいます。
分離、対立、戦い・・・いずれにしても、二元性を超えた次元から見ると、両極のそれらは夢であり、幻のようなものです。
だから、これらの次元を広げていっても、キリがないとも言えます。何故なら、それは、「現象」の領域だからです。現象、認識、精神活動を超えてはいないこの次元は、ある意味、輪廻の引力の内に属するものです。
また、これらを超えて行く方法として、ハートで全面的に抱きしめる道があります。
ハートという存在は、スペシャルです。第2身体や第3身体では、二極に分離した痛みがありますが、ハートは、第5の次元が意味する二元性の終わりとは違った意味合いで、ある種の融合の座です。ポジティブであれネガティブであれ、同じである事であれ違っている事であれ、何であれ全てをそのままに受け入れるハートは、何の問題もなく、100%肯定のYES、全面的なOK!の座です。
ハートは、その慈悲でロータスと泥の両方を抱きしめ、つなげます。天の味を試食し、形の世界へと戻します。肉体を持っているからこそ「超えて」いく鍵ともなるハートは、私達に与えられたとびきりのギフトです。
ハートの中心へと深く入っていくなら、それは、絶対肯定の次元さえも超えていく「安全なドア」となります。
こういったマインドでは理解出来ない次元でも、日本人は感覚的にカチッと来るものがあったりするのですが、マインドで理解しようとする西洋では、それを外側のものに投影し、夢の次元に戻ってしまったりするんですね。
ところで、私達は、ある次元のエネルギーボディ(サトルボディ)を、ひとつ上のエネルギーボディ(サトルボディ)の次元に至った時、体験的に理解出来るという事も言えるかと思います。
何故なら、ひとつ上の高みに行った時、あるいはその次元の核(縁とも言えるかも?上手く言えないですが)に行ったと言ってもいいのでしょうか、いずれにしてもそこへの同化から離れたところに至った時に、その次元を「観て」いられるからです。
第2身体の次元に目覚めたなら、第1身体の状態が体感出来、自分は肉体だけの存在ではない事に気づくでしょう。
第3身体の次元から第2身体を見たなら、感覚や気分といった来ては去って行くものが、自分自身の本質ではないと理解するでしょう。
セラピーやボディワークの技法は、主に第1〜第3の次元を扱います。
第4身体の次元に上昇したなら、第3の次元の光輝く色やイメージ、低位の地上的サイキックの誘惑から、距離を持っていられます。
一部のヒーリングの技法は、第4の次元を扱っています。本来は心地よいこの次元ですが、状態によっては、眠りに落ちたり、ゾワゾワと不快であったり、落ち着かなくなる場合もあるでしょう。
第4の次元への同化から離れたなら、神秘や魔法やサイキックは、技術のようなもの、あるいは、玩具として見なされるかもしれません。
第5の次元は、技法やツールや行為に関係なく、瞑想がベースにあります。
また、第4の次元だと思っているものが、実際は第3の次元である事も少なくありません。
スピリチュアルに思えるものの背後に、例えば、比較や判断、自己イメージ、偏った正義や特別意識といった“構え”がそこにあるなら、それは下位の次元における自分自身の反応として、観ていくよいタイミングです。
仕事やプライベートで、西洋のスピリチュアルなスペースに滞在する事がありますが、“瞑想”と呼ばれている「祈り」はあっても、第5の次元に通じる「瞑想」がない事に気づきます。
そのスペースのバックグラウンドによっては、上位身体への理解が、第3身体、第4身体のそれと混同されている事があるような気もします。
第4次元の理解が、第5の次元へと開かれるのではなく、第3の次元へと、再び戻ってしまっていたりするんですね。
内側に向かう事が、肯定的な感情や美しいイメージの世界を感じる事と理解され、それが“祈り”と呼ばれている事もあります。
もし、「祈り」が純粋に極まっていくなら、それはハートの慈悲へと吸収され、そこから空へと開いていく潜在性となるかもしれないですが。
第3身体や第4身体で起こる、例えば、虹色の輝きや美しくスピリチュアルな存在といったものは、第5の次元の「覚醒」とは違ったものですし、第6チャクラ本来の「ヴィジョン」とも違ったものです。
「目覚め」は、第5の次元で起こります。
第5の次元の探求に入ったなら、下位の次元の美しい現象に注がれていたエネルギーの流れは枯れ落ち、更なる上位へと向けられます。
第5身体と対応する喉のチャクラには、個人から集合的なもの、元型的、神話的なものまで、あらゆる情報がインプットされています。
この次元が活性化した時に、思考の次元とは違う、例えて言うなら、一瞬にして全てが「分かった!」といった、ある種の覚醒感を持つ事があります。
そして、その中心には、思考の次元とは違う「知らない」というくつろぎがあります。日本人の瞑想者には、その道のりの中で、こういった体験をしている人が少なくありません。
とは言っても、ヒーリングやセラピーの世界では、全ての次元が役立ちます。
例を挙げると、エネルギーボディ(サトルボディ)へのヒーリングで、天使的なエネルギー、古の才能の引き出し、クライエントをサポートするエネルギー体の協力といった事が、自然な流れで起こる事があります。
必要であれば、パストライフのリーディングも起こります。でも、パストライフであれエネルギーであれ、情報を一方向的に伝えるだけなら、セラピスト主体となり、セッションとしての質や機能が保てなくなってしまいます。こういった領域を扱いながらも、その上の次元で見守っている事が求められます
また、現実的な対応が緊急に必要な時には、超現実レベルで、積極的な介入もします。
そんな風に、セッションでは、一人一人の違ったユニークな個として出会い、ユニークな事が多次元的に起こっていくのですね。
また、マウントフジフラワーエッセンスの講座では、仰々しい動きなく、講師席に座りながら、参加者のプロセスに介入する事なく、護られた場を降ろして開くといった作業をしていたりします。
参加者の方が行っているセッションを見守っていると、美しく興味深い色や光のエネルギーが見て取れ、第4の次元が、難なく起こっている事が確認出来たりもします。
個人的には、物心ついた頃から天使や妖精を絵にしたり、小学生の時にクリスタルの世界と交流したり。白く輝くところを高速で飛んだり、宇宙から地球を見たり、小人になって大きな仏壇の中によく遊びに行っていたと思っていたのが(装飾が似ていたので)、後で別の次元の寺院のようなところに行っていたらしいと分かったり。予知や、神聖な存在に助けられたりと、この種の体験を書き出すときりがありません。
虹色に輝く大輪の蓮の花が違う次元のものだったり、睫毛の1本1本迄見えていた眼がエネルギーが上昇した現象だったり、特定の見え方をした動物がパワーアニマルだったり、衣服に映る極彩色の図形や柄がエネルギーだったりと、瞑想初期に起こる様々な体験も通り過ごし、後で意味を知りました。
だから、そういう体験が伴っていない場合も分かります。イラストレーターとなり、描いていた天使や妖精の絵を真似た人がいたのですが、その次元を体験していない人の絵からは、エネルギーが来ないのですね。逆に、稚拙であったとしても、光り輝いている絵や歌もあります。
また、この連載は、第7チャクラを通して「ニュービジョンメッセージ」で受け取ったメッセージから、何もないところから結晶が現われるように、自然と形に落とし込まれた結果です。最近、お休みが多く、膨大なメッセージのメモがデスクに貼られているので、講座受講生にも読んで頂いているタイミングもあり、今回、整理して、長くなってしまっています・・・。
小さい時から慣れていた事に加えて、今もその種の本をほとんど読まない事や、こういった現象を体験してもそこに留まらない人々が周囲にいる事は、ありがたいと感じています。
少なくとも1つは上の次元から離れて見ている事で、現象に引っかかる事なく、安全に成長して行けるのです。
また、この種の現象は、強いストレスや病理的要因で起こったり、結果的にバランスを崩す事もある為、場合によっては注意が必要でしょう。
だから、ヒーリングやセラピーを学びたいのであれば、瞑想者から学ぶといいのではないかと思います。
セッションであれ講座であれ、不思議な事が表面に動きとして現われていてもいなくても、こういった作業を行っている時には、ただ臨在する事、何もしない事の中心に、同時に在ります。
癒しは、技法からではなく、ここから起こって来ます。動きの世界にいながらも、中心において、セラピストが個という枠を超えた次元に同時に在る事でのトランスミッション(伝達)は、それがクライエントに意識化されなくても、クライエントのサポートともなるでしょう。
それは、癒しという行為を起こし、同時に行為に染まる事のない、「何もない源泉」です。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 第99回目の原稿より 第7身体―6》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、第7身体についてのお話を続けていきましょう。
第7身体になってから、お話が上に下にと行ったり来たりしています。それは、第7身体が究極の光明を得た存在が体験する次元であると共に、言語化出来ない次元でもあり、未知なるものであるから。
だから、こういったものは上位身体の次元とは違う、それは下位次元の体験だ、といったふうに、分かる範囲を切り口にして、個人のフィルターを通して表現する事くらいしか出来ないのですね。
また、地上に属する第1〜第4身体(第4身体も、ある意味、まだ地上に足が着いていると言えます)のエネルギーシフトと、第5身体のシフトが、違った質のものだという事もあります。
ここ数回、東洋と西洋の違いを切り口にして、上位身体についてのお話をしていますが、こういった質の違いからも、西洋では、上位身体を理解する事が難しいのではないかと感じています。
前回、仕事やプライベートで、西洋のスピリチュアルなスペースに滞在する事があると書きました。これらは、精神世界の人達に知られるコミュニティから中世ヨーロッパの巡礼路迄、様々なのですが、行く先々で、いつも面白い体験をします。
ある有名な巡礼地では、フリル風の羽を持つ巨大な蛾のようなモノが現われ、ホテルの部屋が強烈な香水のような匂いになり、様々な象徴的なシーンが見えました。翌日、聖地に向かう道を歩いていると、聖職者御用達のお店(?)がいくつかあり、そこに、前夜に見たモノにそっくりの聖職者用の衣が売られていた事で、一部の謎が解けました。
また、別のスピリチュアルな地に行った時には、頭頂を剃った頭部だけのエネルギー体から、一晩中質問され、話しかけられました。それに対して「日本に来て修業し直してみれば?」と言っている自分を、こんな事言ってる・・・と淡々と観察しているもう一人の自分がいました。私個人がどうこうというのではなく、様々な要素やタイミングが重なって起こったものとして観察すると、興味深いものが見えてきます。
こういったエネルギー体(全く恐くありません)が、何かの信仰にアイデンティファイしていない、しかも異国人に接触するといった事が、よく起こるのかどうかは、分かりません。
でも、このような体験の中で出会ったエネルギー体の中には、肉体を離れた後、生前信じ込んでいたのとは違う状況に困惑し、想像もしていなかった輪廻の途中で、網に引っかかってしまっているように感じられる事がありました。
それとは逆に、純粋で無垢に信じ切る事で、信じていた世界に行くエネルギー体もあるようなのですね。信仰という信じ込みの力は、個人的であっても集合的であっても、極めれば迷いなく、高潔で、死後のプロセスが見事に美しいものだと感じました。
私達は、死後でさえ、自身の信じているものによって、第3や第4の次元での“現実”に至ったり、どこか途中に引っかかったりするのでしょうか。それは、肉体を持っていてもいなくても、あまり関係ないのかもしれませんね。
第4の次元は、地上的な世界から、それを超えた世界へとつなぐところです。地上のエゴから見ると、人智を超えたものとして映り、私達を魅了し、時にはその次元に縛り付けます。だからこそ、更なる高みへと開いている古今東西のスピリチュアルな道では、この次元の危険性が説かれています。
ここを飛び発ち、第5の次元へと上昇する鍵は、こころの動き、精神活動に同化しない「選ぶ事のない気づき」です。だから、下位次元では役だったかもしれない分厚く重い宗教書や哲学書を抱えたままでは、第4の次元を超えて飛ぶ事は出来ないのです。
また、第4の次元の体験にとっても、重荷になる事があるでしょう。
人が下位次元に同化する時、人には決して達成出来ない、認識出来ない、証明出来ない複雑で絶対的な高次の次元を、人自身で設定し、いわゆるスピリチュアルな
“政治”にしてしまう事もあるでしょう。
どんどん次元が増えていって、次元が上の方が優れているといった、おかしな次元競争になってしまう事もあるかもしれません。こちらの方が上の次元とつながっている、この次元の方が高いといった。
でも、次元であれ知識であれ、比べる、増やすといった運動や創造がそこにあるなら、それは、下位身体で起こっている同化反応です。
そして、この地上のセラピーやヒーリングの現場では、様々な次元が有益であり、どれが優れているといった事はないのですね。目の前のクライエントに機能するかどうかが、大切なのです。
例えば、いきなり第5の次元で信じ込みをはずすワークをしたとしても、上手く作用しません。肉体に近い次元、あるいはハートからスタートした方が、より簡単にいくでしょう。
第2身体の感性が豊かな人に、その次元を激しく解放する事だけをしても、その時は爽快感があったとしても、気づきが伴っていなければ簡単に元に戻りやすいでしょうし、不安定になる事もあります。
第3身体への働きかけの際、統合のプロセスをせずに終了したなら、この次元への同化を強めたり、分裂してしまうかもしれません。
だから、マウントフジフラワーエッセンスのセッションでは、トータルな調整を配慮したセッションの基本手順を設定しながらも、同時に、そこから自由な動きが出て来られるスペースを持たせています。
また、限られた次元にセラピストがあまりにもこだわりすぎると、その次元の“問題”を大きくし、何年セッションを受け続けてもブレイクスルーしないといった事も起こります。
肉体に近い次元にいればそこに、感情の次元にいればそこに、サイキックな次元にいればそこに、メンタルな次元にいればそこに、長い間クライエントを留まらせてしまう事もあるのですね。
例えば、受容や共感に囚われすぎると、それが分かれば飛躍的に解決するような、重要な実際的情報の確認をミスしたりします。
ところで、第4の次元で動くエネルギーは、集合的にも個人的にも、その次元を更に育て上げていくといった、ある種の貢献をするのではないかとも思います。
西洋では、祈りによって、第4の美しく微細な次元にチューニングを合わせる事が上手です。だから、天使的なエネルギーを人格化した絵は、誰が見ても美しい姿で描かれていますよね。
また、西洋に行くとよく感じるのは、ある種の図や形、バランスを通した振動が、私達の精神、脳に与える影響が古くから理解され、神秘的な方法で活用されている領域があるという事。表現形態の違いもあって、こういった領域は、ある意味、東洋より発達しているように感じています。
使い手によって、善き影響にも悪しき影響にもなるこれらは、いずれにしても、この世界で作用するものです。
東洋や特定の地に根付いた世界には、西洋から見ると、野蛮なもの、未発達なもの、恐いもの、迷信でしかないものに見える表現があります。でも、それらの中に、より高次の意味や、二元性を超越した象徴が隠されていたり、私達の内奥や霊的な可能性が、表現されていたりします。
こういった知恵には第4の次元のものもあり、かつては西洋にも存在したのでしょうが、宗教的な “政治”が広がっていくにつれて、魔女狩りのように抑圧されていきました。
第2の次元に作用する香、第3の次元に作用する色のように、第4の次元の科学が分かってきたなら、地上で起こる奇跡的な治癒や不思議な力の秘密が、解明されるかもしれません。それは、遠いいつの日か、脳機能の側面から説明出来るようになるのではないかと思います。
そうなれば、第4の次元の癒しが、怪しいものではなく、技術として役だっていくかもしれませんね。
逆に、そこに作用しないグッズや学びであれば、それが明白にもなっていくでしょう。
例えば、マウントフジフラワーエッセンスの生成、また、講座やこのメルマガの内容を真似たとしても、同じものは作れませんし、本当に他者に伝える事は出来ません。
では、どのように、マウントフジフラワーエッセンスで、多角的な次元で、特徴的でユニークな作用が起こるのでしょうか?
重要なポイントは、形態や言葉といった見える作業ではなく、その背後にあるのではないかと思います。
ある種の伝達の為に、形や方法は活用されます。だから、外に出ている領域と出ていない領域がある事を知る事なく、単に外側の形や方法を真似ても、必要な「命」が吹き込まれていないので、機能しないのですね。
やり方によっては、自他の第3身体に、強い緊張や分裂が起こるでしょう。
だから、第3身体より上を扱う場合、分野によっては、誤用を避ける為に、狭き門になっていたり、マンツーマンに近い対応で育成したりするのでしょう。
第3身体から上の次元のエネルギーは、地上の量販店のビジネスのようには、扱えなくなるのです。流行のメーカーをコピーしたり、構成を真似たり、類似のものをまとめ売りしたり、下位次元の流通をカットして安売りしたりは、出来ないものです。
私達が、表層で求めている第3の次元の移ろう欲望、地上的なサイキックを超えた、誰もの深いところにある焦がれの答がその上の次元から響いて来るものだと直感するなら、そういったものを伝えているところに行き、そこで学ぶ必要があるのですね。
それは、初めてそこに共振した時、そうだったのかと分かるものです。
それは、スピリチュアルな“政治”のように独占したり、特別意識をくすぐるパワーの道具にしたり、ビジネスのゲームにするものでもなく、ただ、そういった質を持つものだという事です。
それと共に、不思議な作用や超自然の力は、役立っていてもいなくても、高みへの霊的成長とは関係ないものです。こころの現象を見守る事で、私達は、この次元に留まる事なく、上昇してもいけるでしょう。
高い塀のこちら側から見える一部を全体だと思っていても、塀を超え高く飛ぶ事で、その全体像と成り立ちが分かるように、第4の “現実”は、第5の次元では現実ではなくなります。
私達は、生きている時も死んだ後も、その次元の中で、夢を見ているのかもしれません。第1〜第3の次元と同じく、第4の次元でも、私達は、部分的に世界を見るのです。地上であれ天上であれ、見ているのは「私の世界」です。
「あなたが世界であり、あなたが変われば世界は変わる」という、神秘家からニューエイジ、最近のビジネス迄、よく言われるこの法則は、その通りなんです。
第1の物質の堅固な次元から上位になる程、振動は速くなり、その次元の世界を創造する力は、微細になります。
この“あなた”から自由になる(というのはぴったりくる表現ではないですが)道のりは、第5の次元からスタートします。
私の天国、私の高次元、私の役目、私の哲学、私のカルマ、私の輪廻・・・は、もっと大きなものへと解かれていきます。
第4の美しく平和な次元がゴールではないと意識しておく事は、道のりを更に進んでいくのに役立ちます。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 第100回目の原稿より 第7身体―7》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、第7身体についてのお話です。
上位身体の次元に入る第5身体から、下位の身体と同じように表現する事は、段々と難しくなっていきます。それも第7身体となると・・・。そんな第7身体や上位身体について、引き続き、東洋と西洋という視点から、探求を試みていきましょう。
次回お休みの為、今回も、文章が少し長くなっています。
マインドからの納得を重視する西洋では、思考を超えた第5身体より上位の身体を、理解する事が難しいと言われています。
前回、前々回と、西洋のスピリチュアルなスペースに行った際の体験について書きましたが、実は、こういった体験を通しても通さなくても、いつも感じる事があります。
それは、空全体を覆うかのように分厚くのしかかっている、あるエネルギーの層があるという事。
このエネルギーの層は、日本にはないものです。
それは、言葉にすると、「罪悪感」なのでしょうか。世界全体が、その層に包まれている感じなのですね。そして、そこから、怖れ、裁き、赦しといった、様々な質の反応が湧き出ているとも感じます。
個々の内では、下位次元で振動するこのエネルギーですが、第5身体、喉のチャクラのリングのビリーフシステムという領域から観察すると、人々の内なるスペース、内的宇宙の中、つまり、個としての感情や思考の次元よりももっと深いところに、根を張っているように感じます。
一見、エゴの殻が柔らかい日本人の方が、道徳的にも自分を責めやすく、真面目で、周囲の評価を気にし、自己表現を恐がっているように思うかもしれません。
でも、個々がしっかりとエゴを確立している西洋で感じる、この罪悪感のエネルギーの層は、そういったものとはちょっと違う質なのですね。
それは、個であれ集合的であれ、経験を通して様々なものを蓄積する前から、「あたかも」宇宙の最初から存在するものであるかのように、全体を覆っているような。いつから、どこから、このエネルギーの層が起こったのかを探っていくならば、このように成長するには、複雑で長い時間があるようにも感じます。
つまり、そこには歴史といったものさえ見えなくなるくらい、とりたててそれがあると意識化される事もないくらい、最初の最初から、当たり前に、地上を分厚く包む、見えない空気のように存在しているかのように感じるのですね。
この罪悪感のエネルギーの層が、スピリチュアルな領域においても、トラディショナルなものから新しい時代のものにまで、かぶさっているのを感じる事があります。ジューシーでなく、色彩がなく、シリアスで、圧迫し、滅入るような、それでいて、上へと高く伸び上がるような、ある種クリアさのあるエネルギーです。
東洋的な要素が入っているものにも、このエネルギーが、より複雑な形で浸透している事があるようにも感じます。
例えば、東洋的な概念であるカルマや前世が、この罪悪感のエネルギーの層の影響下で、罪悪感、怖れ、裁きの証明として、第3身体や喉のリングに浸透していたりするのです。
更に、いわゆる“ダルマビジネス”と融合し、人智を超えた万能の力が、全ての“カルマ”を解消し、赦してくれたり、あるいはその逆の事をしたりと、時には、ウェスタンテイストのスピリチュアルメソッドが、誕生したりもするんですね。
西洋のトラディショナルな、あるいは東西融合のスピリチュアリティでは、自分が直観する「究極」が満たされないと感じた西洋人の中には、純粋に東洋的な修行やワークへと旅立つ人もいます。
西洋は東洋に憧れ、東洋は西洋に憧れ・・・。
こういった流れを経ながら、より洗練された東洋と西洋の融合が、磨かれていくのかもしれません。
絶対的な罪悪感のエネルギーの層の大前提の下で、誰もが求める、この世界に存在する事の無条件の肯定、大安心を、人は、どのように獲得すればいいのでしょうか。
内側の宇宙に向かうと、そこにある罪悪感。
ならば、外や上は?
西洋では、このエネルギーの層の下で、東洋とは違った形での探求の道が発達していきました。
内なる世界の広大さは、比較、大きさといったものの圏外、超えたる次元にあるものです。
それに対して、比較の圏内にある外側の世界は、その次元の中を、塔を高く積み上げていくように、内側から遙か彼方、絶対的に見えるものの近くへと連れて行く事が出来ます。
第3身体に関わる文明やビジネスの支配や発展においても、もっと高く、もっと大きくといった、類似するものを感じる事があります。
西洋のスピリチュアルな世界において、時に、上位次元を複雑に広大にし、人では至る事の出来ない次元を外側に増やしていくといった事が起こるのは、この罪悪感のエネルギーの層が、関係しているように感じています。
タマネギの皮をどんどん?いていくと、最後には何もなくなってしまいます。分厚くしていった雪玉は、溶けてなくなってしまいます・・・。
タマネギの皮や雪玉に焦点を当てて戦う事なく、ダイレクトに内側へと向かう、メソッドを超えたメソッドというものが、東洋にはあります。こういった在り方が、西洋では、発達してこなかったのですね。
この在り方は、マウントフジフラワーエッセンスのセッションにおける、セラピストの在り方にも通じていくものであり、西洋のそれとは異なる次元にあるものです。
まず、罪悪感のエネルギー層ありき、というところから何かを行うならば、その深層に、存在する事の痛み、孤高のようなものがあるのを感じます。
この罪悪感のエネルギー層の支配の下、自己肯定しようとする時、その肯定やゆるぎなく見える意思や行為の下には、たくさんの自己否定の痛みが潜っているようにも感じます。
もし、この痛みとつながる事なく、“救う”といった外側への動きが起こるのであれば、人は、その肯定や“正しさ”の下で、自他が自由に呼吸出来る事を忘れ、スピリチュアルな“政治”の布教に向かう事もあるかもしれません。
アンバランスに表現されたなら、それは、第3の次元の、光と闇、正義と悪、あるいは、勝ち負け、支配と被支配の亀裂の間で起こる、戦いや裁きの様相となります。
セラピー、ヒーリングの第一線で活躍している西洋人と関わる機会がよくありますが、彼等もまた、このエネルギー層を意識してはいなくても、内対外、あるいは内側での分離、亀裂、緊張、戦いの中で苦しんでいる事があります。普段ワークしているフィールド外の異国のセラピストである事もあって、シェアしやすいのでしょうか、辛さを打ち明けられたり、セッションに行って、逆に相談される事があるんですね。
彼等に寄り添う時に感じるものは、個々によって様々ではありますが、共通して感じる事が多いのは、暗雲が覆うかのような罪悪感のエネルギーの層と、特徴的な第3身体の状態です。
でも、だからこそ、西洋において、様々な優れたセラピーが発達してきたのかもしれません。
時代や場所に関係なく、病んだ場や人々があるならば、それを癒すユニークなものが、そこで誕生し、発展していくものです。
例えば、私達の家の庭でも、突然、今迄見なかった植物が芽吹いている事がありませんか?
ひょっとしたら、彼等は、その場、あるいはそこにいる人達にとって、癒しとなる存在として、来てくれたのかもしれません。
余談になりますが、私が活動している「ハートサポートシステム」は、小さな一戸建てで道路に面しており、季節によって、道路脇のコンクリートを押し上げ、様々な雑草が芽吹きます。通常なら刈り取られるのでしょうが、区の職員さんが来ても刈り取らないようお声をかけ、この家の前だけは、雑草達が元気に育っています。
綿毛で遊んだり、結んだ実を摘んだりと、この道を通る母子や子供達に、人気があるようです。
こういったところからみると、日本に根付く花と人との協力で、日本の地で産声をあげたマウントフジフラワーエッセンスは、日本人の癒しにとって、とびきり役立つ花達のエネルギーだと言えるのかもしれません。
自然に起こるに任せる中で出会い、ボトルの形態となっていった花達ですが、それは、とりわけこの地と人々に、大切なエネルギーをもたらしてくれるような気がしています。
第3の次元から第4の次元を想像し、動かそうとするならば、スピリチュアルな世界は、人が考え出した知識で整理整頓し、管理出来るもののように映ります。でも、第4の次元から第3の次元を見たなら、いわゆるスピリチュアルな“政治”とは違った可能性が見えてくるでしょう。
興味深い事に、西洋では、集合的であれ個人的であれ、エゴに覆いかぶさるこの罪悪感のエネルギーの層は、祈りを昇華し、霊的に高めていくといった道においても、動機付けとして、役立っています。
罪悪感があるからこそ、そこに生まれる赦しというものがあるのでしょうか。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 第101回目の原稿より 第7身体―8》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、第7身体についてのお話を、東洋と西洋という視点からも見ながら、探っていきましょう。
西洋では、絶対的な“神”という概念がありますが、東洋における「仏」は、西洋の大文字の“God”のように、私達とは異なる存在として捉えられてはいない気がします。
例えば、日本のエネルギーに共鳴していくなら、そこに、多角的で多次元的な意味合いがあるように感じるのですね。それは、特別で特殊な何かとして、世界や私達の内側から、切り離されては在りません。
日本の伝統的な聖地に行った時、そこで感じるエネルギーは、前回書いたような、西洋の聖地で出会うエネルギーとは異なったものです。個々の場でのユニークさや多次元性はありますが、多くの場合、全面的に受容するような、あらゆるものと混じり合い広がっていくようなエネルギーが、その底流にあるのを感じます。
それは、冷水のように凛とした清浄さの個性を持っていたとしても、鋭角的なエネルギーではないのですね。
このあたりの違いは、個人的であれ集合的であれ、人であれそれ以外であれ、西洋における、誰が優れているか、どちらが正しいかといったところで起こる、パワーゲームの成り立ちにも反映されているように思えます。
その第4の次元より下位での反応は、改革や発展や成長の起動力になると共に、時には、痛みや苦しみが連鎖していく原因ともなります。
前回書いたように、西洋のヒーラーさん達から、こういった種類の悩みや辛さを打ち明けられる事が多いのは、もしかしたら、東洋的なベースのエネルギーが、安心出来るのかもしれないとも思いました。
日本では、あらゆるものに仏性が宿るという世界観、自然観がありますが、それは、長い時を経て、日本という地に馴染み、育まれてきたものです。
あらゆるものに元から宿り続けるものであるなら、それは、経験や行動によって獲得したり、もっともっとと増やしていくものではありません。
また、何かによって支配されていたり、何かによって変化させられたりする事もないものです。
でも、常に在るそれは、いつも在るのだけれども、私達の世界を見るそれぞれの眼差しによって、在るとは見えないかもしれないし、在ると見えるかもしれないし、その時々で在ったりなくなったりしているかもしれないし、ほんの少しだけ在る事もあるかもしれません。
それは、どれだけ長い単位であったとしても、終わりや始まり、創造や破壊といった動きの次元とは違ったところのものです。空気のように、ずうっと最初から、あらゆるところに浸透していて、私達の視点によって見えたり見えなかったりもする、時空の変化を超えたもの。
それは、頂点に君臨して裁くものではなく、私達の吸う息と吐く息のように、どこから始まりどこで終わるという事のない、とぎれのないつながり、融合、全体性のようにも感じます。
この体験は、下位身体を超えたところで起こります。
私達が吸う息は私達の内に宿り、そして、吐く息は宇宙へと宿ります。
息が、私達か宇宙か、どちらかだけに所属している、といった事は言えません。それだと、息が出来なくなってしまいます。
個としての身体と宇宙という対比の中で、息は、それらの枠や敷居によって分けられる事なく、呼吸という動きの背後にいつも在りながら、全てに浸透している全体のようです。
始まりも終わりもない息を、もし、どちらか片方を始点として見たなら、自分個人が起こしているもののように見えたり、もっと大きな外側から来ているもののように見えたりするのではないでしょうか。
自分がコントロールしていると思ったり、あるいは、外側からコントロールされていると思ったり。
始まり、終わりという概念は、個としての私達の動きによって、意味付けられ、創られていくのかもしれませんね。
そういったこころの動きの同化から離れていくと、始まりや終わり、上と下、支配と被支配、自他といった枠組みから離れた、もっと広大な次元へと拡大していきます。
そんな次元では、苦しみや痛み、喜びや豊かさといったものが、地上での体験とは違ったふうに映り出します。
この体験は、人には叶わぬものではないし、特別な誰かに依るものでもありません。
瞑想をしていると、瞑想中やそれ以外のふとした時に、そういった感じがやって来る事があります。それを体験すると、様々な出来事があったとしても、古い自分の世界観に、完全に戻る事は出来なくなります。
私達は、来ては去っていく出来事や縁の中で、第5チャクラのリングにある自分の世界観や信念の下、感情的に、理論的に、下位身体でリアクションします。でも、天への次元を体験したなら、地の二元性の拮抗の中で、わざわざリアクションに留まり続けるといった不自然で痛みを伴う事は、したくなくなっていくのですね。
下位身体の二元性にだけ働きかけるなら、同化の対象は変化していったとしても、同化の揺れ、調和と不調和、戦いと仲直りの中で、私達は、動かされ、繰り返しを続けます。
でも、上位の次元に触れたなら、在り方の根本が変化するのですね。
長い目で見て、それに役立つきっかけのひとつとして、東洋の瞑想が挙げられます。呼吸に意識を向けた瞑想によって、意識の究極を体験する事が多いというのも、よく耳にする事です。
だから、呼吸によって、吸う息と吐く息をつなぐハートは、慈悲の乗り物であり、天の高みへと飛び立つ「踏み台」ともなるのではないかと感じています。
ハートは地と天をつなぎ、限りない慈悲の体験へと誘ってくれます。そこから、第5の次元に飛翔すると、つなぐものさえ消えて、もっともっと「全体」になるのですね。
天の領域と最初に触れる第4身体では、地の領域の現実世界では見たり聞いたり触れたりされる事のない世界が、その次元での現実となります。現実世界のしっかりとしたものの方が、この次元では、幻のようになります。
ハートの特質である慈悲というものが、この次元の体験と、それを超えていく鍵ともなります。
第5の次元では、現実世界の創造も、微妙な世界の創造も、超えていきます。内なる宇宙では、現実や非現実の幻に同化し、両極を右に左にと動く事から自由になります。外側や内側の動きの背後にいつもある、永遠のスペースへと開かれます。
そして、大宇宙の第6の次元では、内なる宇宙も消え去って。
第7の次元となると・・・?
第5の次元、第6の次元には、探求といったもの、起こる事があるようにも感じます(西洋的な意味合いではなく)。
でも、第7の次元に向かおうとする時には、そのような「きっかけ」となるものがなくなってしまう・・・。対比や対象のない、向かうものもない何もなさのような?エネルギーボディ(サトルボディ)といったものも、言えない世界のようにも感じます。
私は、まだ日本にフラワーエッセンスが紹介されておらず、書籍も出ていない頃から、フラワーエッセンスと関わっていました。好きが高じて、日本で初めてバッチ博士のフラワーエッセンスの講座をスタートし、日本人で初めてバッチ博士のフラワーエッセンスの書籍を出版して頂いたりもしました。
また、世界のフラワーエッセンスのライセンス取得の為のトレーニングを、日本で初めて海外の開発者を招いて主催したり、世界中のフラワーエッセンスを、日本で最初に扱わせても頂きました。
同時に、その頃から、高位身体の次元にも響きわたるフラワーエッセンスやエネルギーエッセンスが見つからなかった事から、その可能性が潜在する日本において、マウントフジフラワーエッセンスを育んできました。
マウントフジフラワーエッセンスのセッションでは、セラピストは、知らない事、拠りどころのなさの広大さへと開き、ワークしていきます。
だから、よくご質問を受けるのですが、マウントフジフラワーエッセンスの講座を受けるのに、天使や妖精と話せる、オーラが視えるといった特別な能力を持っている必要性はないのですね。
それもまた役立つものではありますが、それらを超えた、あるいは内包する次元に在りながら、同時に行為の世界に入っていくので、限られた領域に同化する事は、かえって可能性を狭めてしまうのです。
特別なパワーも、知っているという知識の信じ込みも、自他のいわゆる“不完全さ”も、全体性の中では消えていきます。
マウントフジフラワーエッセンスでは、この次元を大切にしています。
ただ、そこに臨在するという当たり前のマジックは、講座という場と時間を共有する事で、ハートがドアとなりながら、技法を学ぶという動きの背後で、あるいは沈黙を通して、伝達されていきます。
本来いつもあるそれは、実際は、学びや修行で獲得されるものではありません。そこに気づいていく、意識を向ける、思い出す事と言った方が、近いのかもしれませんね。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 第102回目の原稿より 第7身体―9》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、第7身体についてのお話です。
言葉や意味付けによっては表現出来ない上位身体次元のお話を、個人のフィルターを通して何とか進めさせて頂いているのですが、これらのお話になってからの方が、深い感想を頂く事が多くなっています。
今の時代、日々の生活を送りながらも、高みへの探求や根本的な変容への焦がれを持っている人達が沢山いるのだと、改めて感じさせて頂くと共に、自分自身の探求の励みともなっています。
今回も、言葉を超えた上位身体次元を探っていく試みとして、引き続き、東洋と西洋という視点から、見ていきたいと思います。
受け取ったメッセージのメモがあちこちに貼られたままで(メッセージという行為自体、高位身体そのものからズレるという矛盾の中で)、整理の為、今回、少し長くなる事を、どうかお許し下さい。
その前に、ひとつお知らせをさせて下さい。
2010年5月18日に、マウントフジフラワーエッセンスの本格的な書籍「マウントフジフラワーエッセンスとエネルギーの世界―花の“Being”―」が発売されました。
B5版500ページのボリュームで、この一冊を読むと、マウントフジフラワーエッセンスの内容、使い方、選び方について、かなり理解出来るように構成されています。
ご興味のある方は、ご覧になって下さいね。
さて、第6回目に、古くからの巡礼地をはじめ、西洋のスピリチュアルな場で出会った興味深いエネルギー体の体験から、いくつかを例に挙げてご紹介したかと思います。
私達は、生きていても死んでいても、物質界であれ微細な次元であれ、その狭間の次元であれ、エネルギーボディ(サトルボディ)にインプットされた記憶や信じ込みから、それぞれの
“現実”へと入っていくものだと感じました。
エネルギー解剖学的には、私達の第1身体、つまり肉体の次元が死を迎えると、それから少し後に、肉体感覚を司っている第2身体も消えてしまいます。
つまり、肉体と共に生きているとも言える第2身体には、今世の記憶がインプットされているという事です。そして、その上の第3身体には、今世の生死を超えた記憶がインプットされているのですね。
輪廻の循環の中では、人も動物も区別される事なく、また、生は始まりではなく、死は終わりではありません。
ですので、東洋には、古の時代から、死という大きなイベントに対して、その前後のプロセスをサポートする、様々な叡智があります。
例えば、今や西洋の終末期医療にも役立てられている「バルドトドゥル」は、その代表的なひとつだと言えるでしょう。
また、こういったメタフィジカルな次元を扱う叡智が、長い時を経る中で、私達の生活に密着した慣習や文化となっている事は少なくありません。
例えば、日本にはお葬式というセレモニーがありますが、お葬式〜初七日〜四十九日といった節目は、死後、エネルギーボディ(サトルボディ)がどのように変遷していくかという観点から見て、とてもよく出来ていると思います。
死後の節目のセレモニーは、エネルギー次元において、エネルギーボディ(サトルボディ)の死後の道のりの “現実”に作用していきます。
そして、下位身体を超え、更に上位身体の次元に上昇したなら、下位身体の“現実”の枠組からも、自由になっていくのでしょう。
と同時に、上位の次元から、天と地をつなぐハートの慈悲を起点として、それらを活用するといった神秘的な事も起こり得るのかもしれません・・・。
いずれにしても、日本では、自然な流れとして死を受容していくシステムが、文化的に定着しているのですね。それは、逝った人だけでなく、見送った人々のプロセスにとっても、役立つものです。
日本では、亡くなった人が永遠に消滅してしまうというよりは、異なる形態や次元を変遷しながら、その後も共に在り続けてくれているという、ある意味、違った次元での円環的な成長として、何となく受け入れられていると感じませんか?
お彼岸やお盆の習慣、家の中にあるお仏壇やお位牌、また、人は亡くなると仏様や神様になるといった考えは、それを表現しているように感じます。
日本には、亡くなった人が、私達の近くの自然界に居て、特別な日に戻って来たり、一定期間を過ぎると、個から集合的なエネルギーへと融合し、神様となっていく、といった考え方があります。
エネルギーボディ(サトルボディ)という見地から、死後の成長を照らし合わせて見ていくと、興味深いものが現われてきそうです。
もう随分と昔になるのですが、愛猫が大往生した時の事です。
肉体を離れる1週間程前だったでしょうか、部屋全体が至福感と慈愛の光に満たされ、神聖なエネルギーが、愛猫を迎えに来る事を伝えに来ました。
その数日後には、もう逝くのだという事を、愛猫から告げられました。
愛猫は、ジタバタしていた飼い主などより全然すっきりときれいに、肉体を離れる準備をしていたのですね。
愛猫が亡くなった1週間後には、虹彩が開いた黒目がちの眼と白っぽく色抜けした毛色のエーテル体の姿で、静かに枕元に座ってくれました。
他にも、愛猫が死という敷居を超える前も超えた後も、本が1冊書けるくらいの、たくさんの印象深い体験がありました。
このような事を書くと、動物好きでない方からすると(そうでなくても・・・でしょうか)、かなりおかしいと思われるかもしれませんが、生きている時も死んだ後も、彼等の方が人間よりずうっとすごいと感じさせられる事、多いのですね。
フラワーエッセンスと関わっていても、植物や自然界に対して、同じものを感じます。
愛猫の死後、エネルギーの次元でそのプロセス関わりながら、月命日に、普通のお寺で回向をして頂くのを楽しみに通っていたのですが、僧侶の方が、きっとひどい死に方をしたのだろう、よほどショックを受けているのだろうと勘違いしたのでしょうか、「これだけ供養したら、猫ももうとっくに成仏していますよ」と言われてしまいました。
あれから随分と年月が経ちましたが、自然で平和な流れの中で、命日、お盆やお彼岸のイベントは続いています。
愛猫が眠っている動物霊園に行くと、17回忌、25回忌、33回忌といったお塔婆があちこちのお墓に立てられ、真新しいお花が飾られています。年1回の法要には、多くの方が訪れます。
彼等の死を受容した後も、ご縁のあった人達にずうっと慈しまれ、愛され続けている事を目の当たりにすると、沢山の愛を分かち合って頂いたように嬉しくなります。
そして、様々な節目は、亡きペット達の為のイベントというよりは、彼等が与えてくれている無償の愛を、私達人間の方が受け取らせてもらい、自分自身の人生や立ち位置を確認させてもらう機会となっているのだとも感じています。
ペット達は、人間と共に生きる事を選択した、野生動物とは異なった在り方の存在です。それと共に、本来は、人間の慣習からは自由な、自然に寄り添って生きている存在なのですね。
エネルギーの次元を体験的に扱っていると、エネルギー体験だけでなく、見えているこの世界の姿それ自身や、現実的な事柄に、様々なエネルギーの次元に作用する、秘められた智慧がある事に気づかされます。
たくさんの隠された叡智が、隠される事なく、日常の中に堂々と表現されている事は、少なくないのですね。私達の何気ない習慣、普段話している言葉の中にさえ、エネルギー次元での大切な作業、実際的に使えるものが、そのままに表されていたりするのです。
文化的に、死を受容していくシステムがあり、亡くなった後も、生者と死者とが、人であれ動物であれ、異なるエネルギー次元に在りながらも、共にそれらの時を重ねて行く日本。
一方、西洋、特にアメリカでは、近しい人が亡くなった際、ある期間を過ぎると、その人を忘れる事が出来るという考え方があります。
死を、ある種のあきらめ方、終わらせ方の問題とも捉えている部分があるのかもしれません。だから、一定期間を過ぎても死んだ人を忘れられないのは、大人として未熟だという事になるのですね。ですから、亡き人を忘れて次の新しい人生を踏み出せるように、解決努力がなされていくわけです。
でも、それでも忘れられない場合には、様々な不調和が起こってきます。そんな中で、思いっきり思い出すという逆のアプローチからのセラピーが、発達していきました。
こういったセラピーは、東洋的な影響を受けてはいるのですが、高位身体の次元ではなく、感情や情感の次元、低位身体の次元を大切に扱っています。
過去や過去世に退行するといった意味合いでの時を超えるセラピー、終末期医療や喪失体験に関係するセラピー、あるいは、メタな次元を扱う斬新なセラピーにおいても、高位身体の次元における「時を超える」事とは異なるところから、機能しているような気がします。
日本の死生観や宇宙観、時に対する感覚は、西洋のようにリニアなものではなく、循環し、融合する質を持っています。
そして、循環を経ていく中で、下位次元の情感を昇華し、上位次元へと開いていく可能性の種が、そこにあるのを感じます。
冒頭で触れた聖地への巡礼なのですが、西洋の巡礼は、目的地があって、その彼方の地へと到達する事に深い意味があり、直線的で一方向的な道のりがあります。
それに対して、例えば、四国八十八カ所等の日本の巡礼は、複数の場所を巡る、円環的な道のりなんですね。更に、八十八カ所のひとつの内に、小さな八十八カ所があったりもして、多次元的でもあります。
また、東洋という視点から見ても、チベット仏教をはじめ、様々な信仰における聖地カンリンポチェや聖湖の巡礼も、聖地をぐるりと一周します。
死生観、宇宙観、マインドの構造をはじめ、西洋は直線的、東洋は円環的なのですね。
始まりと終わり、原因と結果、上と下といった直線的な捉え方から、始まりも終わりもない循環の次元を理解しようとすると、際限のない複雑なものに濃縮され、留められていきます。
エネルギーボディ(サトルボディ)の上位身体に対する理解という側面でも、そういったところから、論理化されている部分があるかもしれないと感じています。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 第103回目の原稿より 第7身体―10》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、東洋と西洋という視点もからめながら、第7身体についての探求を試みていきましょう。
前回、日本人の死生観や宇宙観について触れながら、初七日や四十九日等の節目のセレモニーが、エネルギーボディ(サトルボディ)の死後の道のりの “現実”に作用していく事について書きました。
文化や慣習となっているものの中には、日本に限った事ではなく、元々はエネルギーボディ(サトルボディ)への深い理解と体験とがあって、時を重ねるうちに、特定の形式として、その地に定着していったものがあります。
時代や土地に馴染んでいく中で、形式を通して元の叡智が今も伝えられているものもあるでしょうし、脱殻としての形式だけが残っているものもあるでしょう。
叡智であれ脱殻であれ、どちらにせよ、それらは、その人の死後のプロセスのある次元の“現実”に作用し、上昇のサポートとなったり、縛りとなったりもするのでしょう。
つまり、世界の様々な古からの形式の全てが、上位身体次元をも意識しているわけではないのですね。それが下位身体の次元の枠に留まったものなら、上位身体の次元から見るなら、何であれ、縛りと言えるのかもしれません。
もっと言うなら、いずれにしても、生死のプロセスの流れの中のあらゆる“現実”は、上位次元では幻のようなものだとも言えるのでしょうか。
次元がシフトすると、特定の次元の“現実”と、それをもたらす形式は、“現実”ではなくなり、形式から自由になっていくのですね。
ところで、日本人には、宗教的な節操がないとよく言われます。生まれたら神社に行き、教会で結婚して、お寺でお葬式をします。信心深い方からはお叱りを受けるかもしれませんが、ある意味、悪くはない事だとも思っています。
柔らかなエゴだからこそ、形式の背後にある本質を捉える感性、形式の縛りをすり抜けて微細なものとダイレクトに共振する質が、意識せずとも動きやすいのではないかと思います。
表面に現われているものは、物理的刺激が大きい程、形そのものに捕らえられ、その先にある、それを形作る物質を超えた次元が感じにくい場合があります。
逆に言うと、微細な次元を感じられないからこそ、物理的刺激で何とかしようとする事もあるでしょう。もっと大きく、もっと高く、もっと沢山、もっと濃く、もっと難解にと。
少し話がズレるかもしれませんが、日本食が持つ薄味や細やかさは、海外にはありません。東西の国の人達が、日本食にコショウや七味を山盛りにして、何とか第2身体が感じられるように食べている場面を、何度見た事でしょうか。
日本人は、形式に寄り添いながらも、それらを通して、形の背後にある形を超えたものと、自然につながる質を持っているかと思います。
例えば、華道、茶道、香道、弓道、合気道といった「道」と付くものは、瞑想であり、形を超えた次元、高位の次元と共振するものです。
それは、強固なエゴを明け渡し、第3身体の自己イメージの光と闇を揺さぶって、祈り、捧げる事で光に上昇していこうとする、“見事なエゴのなせる技”を逆利用するのとは異なる「道」です。
第7身体の第3回目で、海外のワークショップで「自然界から何かをもらって戻って来る」という実習の際、葉っぱや石ころ等を持ち帰った西洋人達に対して、日本人達は形あるものは持ち帰らなかったお話を書いたかと思います。
別のある時には、自国の仕方で様々な国の人達とあいさつを交わすというワークに立ち会った事がありました。ハグ、握手、キス等の直接肉体に触れるあいさつの中で、形に触れる事なく感じ取るあいさつをしていたのは、たまたまかもしれませんが、日本だけでした。
古の時代には、姿形を見る事なく恋が始まったというのですから、日本人は、エネルギーリーディング、エネルギーボディ(サトルボディ)ワークの達人かもしれませんね。
さて、第2身体や第3身体のエネルギー的な不調和が、時を経て第1身体で表現されるという理論は、フラワーエッセンスを含めた、多くのエネルギーワークにおける基本です。基本中の基本であり、この部分を抜かす事は出来ません。ですから、フラワーエッセンスの講座においても、執筆においても、触れるようにしています。
これもまた、形の背後には形なきエネルギーの計らいがある、形を作り上げる見えない鋳型がある、形なきものが形に降りて来る、という事でしょう。
様々な要因で引き起こされた感情の乱れ、否定的な思考といった歪みを放置すると、やがては病となるといった捉え方、内側が病む事で外側が病むのだといった考え方は、この理論の部分的な表現です。
勿論、こういった基本的事柄を心得てはいますし、長寿はおめでたい事ではありますが、病んでいるから駄目だ、長生きしないのはかわいそうだとは、思いません。
フラワーエッセンスのバッチ博士、また、レイキの臼井先生のように、自身の天命を見出した後、短く濃縮した生を生ききる人達もいますし。
でも、これは人道的な視点から、愛に溢れた人格者だから、そんな風に思うわけではありません。
下位次元でのこういった“現実”や“事実”は、上位次元では、単にあてはまらなくなってしまうのですね。瞑想等を通して、天の次元にほんの少しでも触れたり、そこから、ハートで天と地の両方を同時に体験したりする時、下位次元の“現実”は、そうではなくなります。
病んでいるか健康か、短命か長生きか、幸せか不幸か、そういった事とは全く関係なく、意識しているいないに関係なく、無条件の光が、いつも全ての存在に届けられている別の次元の“現実”を体験したら、人生の様々な刺激の中にいても、嫌でもそこに還ってくる事になります。そしてそれは、特別でも何でもなく、空気のように自然で、当たり前なのですね。
“誰が”といったものがない上位次元に意識を拡大すると、個という自分が“その人だ”と同化して思っている“現実”は、そうではなくなるのですね。
勿論、マウントフジフラワーエッセンスのセッションでは、目の前のユニークな個人に対して、実際的な次元からエネルギー的な次元迄、必要な対応を行います。
と同時に、より深いところでは、個を超えたところの「全体性」と共にいます。
そこでは、セラピストは何も行為しないし、何も見立てないし、何も出来ません。何かをする、何かをしない、とは言えないのです。
更に言うなら、下位次元への働きかけにおいても、実のところ、セラピストに出来る事は、微々たるものだとも思っています。
クライエントのハートからの信頼それ自体と、そこから発動する力が、クライエント自身に癒しを起こします。変容は、全て、クライエント自身が鍵となるものです。
セラピストが、ただ鏡のように在る時、そこに映し出された自分自身の本質の反射によって、クライエントは、自分の力で変容します。
これと関連した実技を、プロ養成講座への橋架けとして、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」の後半で行っていますが、深い体験をする人達が多くいます。(グループとしてのエネルギーから、全員、あるいは希望者に、また、時には行わない事もあります)
セラピーやヒーリングでは、状態を−から0にする事、あるいは、0から+にしていく事を目的とします。マウントフジフラワーエッセンスでも、−から0へ、0から+へといった事を、下位次元では行います。
同時に、マウントフジフラワーエッセンスの核なるところでは、−や+を超えて、「Beyond」の次元へと開いています。
日本で最初に世界のフラワーエッセンスのトレーニングを開催し、バッチ博士のフラワーエッセンスの講座をスタートしたのが90年頃だったでしょうか。「バッチ博士のフラワーエッセンスガイドブック」を先に出そうと決めた事から逆算すると、5月18日に出版されたマウントフジフラワーエッセンスの書籍出版のお話は、10年以上も前からあったわけです。
元来、職人気質なクリエーターだった事もあり、何とも、随分と熟成に時間をかけたものです・・・。
既に中身は講座テキストとして出来上がっていた事もあり、以下に部分転載した「あとがき」、そして「まえがき」は、中身をまとめていく作業中に仕上げてしまいました。今、読み返すと、当時よりも、少しは受け入れられやすくなっては来ているかと感じています。
また、中身のほうも、テキストから肉付けされていき、より多角的なものへと広がっていきました。
本という形として現われた今、もう手放して、既にその先を見ている性分の自分がいます。
創造の元となるエネルギーと創造された形には、いつも時間差があるものです。創造のプロセスそのものが、喜びであり、祝福であり、もう充分受け取っているのですね。
完成した形が著者の手を離れ、花とその人の間に入る中継ぎの必要等なく、届いた先とのダイレクトな共鳴と共に、育っていってくれる事を願っています。
*
〜書籍「マウントフジフラワーエッセンスとエネルギーの世界―花の“Being”―」あとがき から抜粋して〜
マウントフジフラワーエッセンスの書籍を出版するお話が出てから、かなりの年月が流れました。
文章を通した表現としては、講座がスタートした90年代前半より、テキストとして、既にある程度完成したものとして出来がっていました。だから、一般公開の書籍として出そうと思えば、いつでも出す事は出来たのです。
そんな中、マウントフジフラワーエッセンス自身の探求は続き、源とつながった実験が、開発者を通して次々とやって来ました。
マウントフジフラワーエッセンスが、その天への上昇と地での熟成のプロセスを、微細な次元でどんどん開花させていく道のりを見守りながら、ただ、彼等からの応答を待つ事を選び、その時期を全面的に信頼していました。
それは、既に降りて来ているものが、この世界と馴染み、より多彩な色どりとして変性し、拡大し、もっともっと役立っていくような成熟を待つ事、立ち会う事の、かけがえのない楽しみでもありました。
これ迄何年にも渡り、多くの方々から、書籍についてお問い合わせを頂き、ありがとうございました。
また、当初、体験談を掲載させて頂く予定だったのが、ページ数の都合により、かなわなかった事を、こころよりお詫び申し上げます。世界からの応答は、それを響かせるように吸収したマウントフジフラワーエッセンスが、より高まっていく事を、大切に育てても下さいました。それは、文字という形体を超えた行間の沈黙の中で、マウントフジフラワーエッセンスの熟成のプロセスと溶け合いながら、沁み入ってくれていると確信しています。
*
花が、私達の魂の特質を表現してくれているように、この世界の全ての存在は、宇宙の織り成す森羅万象、私達に内在する可能性を、見事に顕現してくれています。
例えば、天の声で鳴き、天へと上昇する鳥達、空飛ぶ存在達は、私達に、天とのつながりを想起させてくれます。また、天と地の間にいる鳥達は、死者の魂にも例えられます。
水の奥底深く潜る魚達は、地上の世界にさらされた途端、その意味が隠されてしまうような、深い神秘を体現してくれています。
天にも地にも水にも行ける渡り鳥達は、個としても集団としても、様々な移行や段階を見せてくれています。
集団で生きる虫達は、集合的な力、個を超えた進化、宇宙の構造を想い起こさせてくれます。
ペット達は、野生動物達とは違った進化の道を選びました。彼等は、私達の傍らに来てくれた特殊な存在です。無償の愛そのものを自然体で生きる事によって、私達を、自我と自我を超えたものに気づかせ、異なる世界につなげてくれる仲介者、ネットワーカーです。
それと共に、私達は、生きる為に、動物や、植物や、鉱物や……他の存在を食べねば、命を奪わねばならない生として、この世界に存在しています。そして、殺す命と殺される命、私と彼等とが持つ痛み。元々は、大いなる存在から分かたれた多彩な輝きであり、ひとつであるところへと還っていくもの達です。
私達は、様々な宇宙の姿を、彼等を通して知り、見る事、触れる事、聴く事、匂う事、味わう事等によって、我が身に入れようとします。そして、それらひとつひとつの素晴らしい特質が、元々内側にある事、私達自身である事を思い出します。あるいは、忘れないでいようとします。
そんな眼で見てみると、この世界は、見えるところも見えないところも、何と豊かで、多彩で、大切で、神秘に満ち溢れているのでしょう。
サクラの命も、猫の命も、私の命も、後にも先にも、たった一度っきり、この世界に表現されたもの。
そして、ふたつとないユニークなサクラは、私の全てを、その内奥で知ってもいるのです。
オリジナルであると共に、全てがその内にあるという事。
我が身を捨てても守りたい愛情も、殺したいと思う程の憎しみも、聖者の覚醒も、残忍さも、痛みも、慈愛も、罪も、石ころの意識も、蝶の本能も、全てが、私の内に同じくある。
全ての存在に内在する光が、この世界の和の輪の中で、花開いていきますように……。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 第104回目の原稿より 第7身体―11》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も引き続き、様々な角度から、第7身体についてのお話を試みていきたいと思います。
究極に到達した聖者の発するとてつもなく美しい言葉や文章でさえ、その行為する事が故に、それ自体ではないのだと示していたりもする、第7身体の次元。
何であれ、表現出来ない次元をあえて表現する為に、言葉や文章、意味付けの形式に落とし込むなら、その行為と意図故に、第7の次元から下降してしまう、という事なのでしょうか。
論理的に認識出来ない、第7の次元。
第4の次元や第5の次元にあるような、更に到達していくものはなく、従って対象はなく、だから動きもなく、元となる種のようなものもなく・・・。
通常、何かを認識するには、自分と対象というものがあってこそ、成り立つものです。
言葉であれ文章であれ、形として表現されるものもされないものも、私達のこころの活動は、外側との相互関係によって成り立っているのですね。
対象があるからこそ、自分が成り立ち、意味が与えられ、事実が作られ、世界や過去や今や未来が創られる、とも言えるでしょうか。
そういったものを、第7の次元は、超えているのでしょう。そして、超えているから、超えているとか超えていないとかいった事も、何も言えないのです。
この、証明出来ない究極の次元を頭でつきつめていくと、そこから遙かに遠のいていって、マインド哲学に落とし込まれてしまいそうです。
第3身体の自己イメージが動き、そこに展開される“部分”が、あたかも正しく崇高なものであるかのように、知性は満足するかもしれません。
―学問と、実際に「それ」を生きる事とは違ったものです。
知識で整理出来ない実体(?)を知識で明らかにしようとすると、知識が飽和し、マインドとマインド、論理と論理が、内側で葛藤し始めます。
あなたより私の方が正しい、Aの方がZより優れているといった、外側の対象に向けられた、第3の次元の葛藤にも発展するかもしれません。
下位身体の二元性の次元にいるなら、物事のどちら側に立つか、コインのどちら側を見るかによって、それを正論としたり異論ともする事が、誰にでも、いとも簡単に出来るものです。それは、他者との間でも起こりますし、自分の内側でも、一人ディベートのように起こせるゲームのようなものです。
これは、知識や情報ではなくハートで感じる事、自由な体験に入っていく事の大切さにもつながるかと思います。
感じる事、体験する事、生きる事には、従うべき正誤、優劣はありません。全てが例外であり、ユニークです。同じである必要はなく、それぞれが違っていて、当たり前なのですね。
特定の机上の論理や理念だけを正しいものとして、他を排斥する枠組みの中で生きる事は、生が与えてくれる多様な神聖さに対して、自らを閉ざす事になります。
また、第3次元の自己イメージから他者に向ける“隠れた指差し”は、自分自身にも向けられ、自他が自由に体験するスペースを奪い、追い詰めてしまうでしょう。
「マウントフジフラワーエッセンス講座」では、本来は枠組みから自由である、感じる事のありのままを思い出していきます。
それは、誰もが持っている能力です。
誰が誰より優れている、どれが正しくどれが間違っているといった葛藤も、自分が自由である事の他者への遠慮も、全く要らないものです。
自然で自分らしいスペースを持つ事を、自分自身で承認してあげる事。高い次元での「溶け合い」は、そこからスタートします。
私が小学生の頃、家に帰ると花や動物の絵ばかり描いていたものですが、両親から咎められた事は、一度もありませんでした(数十年も後で、「実は担任の先生に相談した事があり、学校では活発なお嬢さんです、と家と真逆の事を言われて驚いた」と母から聞いた時は、笑ってしまいましたが)。
私の母は、スピリチュアルな要素はあるものの普通の主婦でしたが、「あなたの人生なのだから、あなたの好きなように自由に生きなさい。親や世間に合わせる必要はない。いつかあの世に行った後も、私はあなたを応援しているから」と、その頃に言ってくれました。
特に素晴らしい親ではありませんでしたが、好きな事をする事やそのままの個性をコントロールされた事が一度もない事、斜め後ろから、私が私らしくいるスペースを邪魔しないというエネルギーの応援は、最大のサポートだったと思っています。
ところで、日本語は、主語がなくても表現可能な言語ですが、英語には主語があります(最近はそうでもない表現もあるようですが)。
もしかしたら、西洋が発達させてきた、高みへのプロセスにおける自我とその表現の仕方は、言語の構造とも関係しているのかもしれない、とふと思いました。
それぞれのユニークさは、自然観、死生観、言葉、食物等、様々なところに表されているのですね。
主語は、対象がある事で、成り立つものです。
意味付けや枠組みは、内側であれ外側であれ、“分離”があるからこそ、可能です。
マインド哲学でエゴが信じている事が、「それ」自身であるとは、分かりません。
第7身体の次元については、何も分かりませんし、何も言えません。
その一方、たとえ言葉や文章であったとしても、高位の次元を体験した人から発せられたものであるならば、「それ」は、私達のその次元への焦がれを揺さぶり、知性の満足とは違う「何か」を響かせます。
「それ」は、言葉や文章そのものというよりも、それをも含めた存在自体のエネルギーフィールドに感応する、と言ったらいいのでしょうか。
「それ」は、感応した人の(個を超えた)深みにある、同質のものを呼び覚まします。
理論ではうまく説明出来ないけれど、既に知っている本当の我が家のような、長い間求めてきたものであるような、感覚をもたらせてくれるのです。
これは著書「マウントフジフラワーエッセンスとエネルギーの世界―花の"Being"―」にも少し書いたのですが、フラワーエッセンスの生成の過程において、東洋と西洋のアプローチの違いを感じた、印象的な出来事がありました。
ある西洋のフラワーエッセンスを、花を摘み取る方法で作る場面に立ち会った時の事です。
「フラワーエッセンスを作る為に、花は、喜んで私達人間にその身を捧げ、犠牲になってくれると言っています」という花からのメッセージが、開発者から伝えられました。
そこには、マウントフジフラワーエッセンスを作るプロセスとは異なる世界観、エネルギーがありました。
マウントフジフラワーエッセンスの花達は、特別に授けられた花としてではなく、高等な植物だからという事もなく、喜んで犠牲になってくれたのでもなく、ただ、そのように「出会う事」が起こっただけでした。
マウントフジフラワーエッセンスの生成は、「私」という主語、花という対象と私との分離がある時には、むしろ起こらないのですね。
この生成のプロセスの違いには、とても興味深く感じています。
著書「マウントフジフラワーエッセンスとエネルギーの世界―花の"Being"―」より抜粋
「“God”が私達の為に創った花」としてではなく、輪廻の輪の中、たまたま今は花と人間という形をとっている存在として、等しく生を受けたものとして、永遠の神聖さそのものの体現として、溶け合うという経験。
マウントフジフラワーエッセンスの生成では、花も人も溶け合って、ただその瞬間が全世界となります。そこには、花と自己を分断する自然観、協力する者とされる者、あるいは、協力し合う者達といった概念とは、別の世界観が広がります。
〜マウントフジフラワーエッセンスを作るのは、「私」ではありません。「私が作っている」といったマインドは、存在との間に、葛藤、緊張、分離を呼び起こします。DOINGからBEINGへ、「行為者」から「ただ在る事」へ、自然に起こるがまま、邪魔する事なく、ただ許していく、そこにくつろぐという在り方です。
何でもないあたり前の人として、フラワーエッセンスが出来上がっていくプロセスに立ち会う事は、最愛の時間です。それは、「私」がいなくなった時にやって来てくれる、存在からのギフトです。
「私」や方法論が消え去った時、「魂に波紋を引き起こすひとしずく」、「花の意識の高みの水滴」は、超えたる次元へと飛翔するのです。
〜そのプロセスは、愛であり、喜びであり、瞑想であり、沈黙であり、無邪気さであり、驚きであり、遊びであり、お祝いであり、受け入れる事であり、手放しになる事であり、満たされる事であり、空っぽさであり、選ぶ事のない気づきであり、生と死の肯定であり………。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 第105回目の原稿より 第7身体―12》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、第7身体についてのお話を探求していきたいと思います。
第7の次元は、これではない、こういうものでもない、こうなると違ってくると、直接的に関係のない領域(上手く言えません・・・)について書く事で、「それ」を絞っていく事は、本来は出来ない次元です。
また、それを体験した者以外が語ったとしても、すごく頑張っても学問上の知識にすぎず、「伝達」にはならないでしょう。
その次元を矢のように貫通する事は不可能ですが、上位身体の周辺で感じている事等を語りながら、エネルギーボディ(サトルボディ)の成り立ちについて分かち合っていければと思っています。
私達の意識、こころというものは、広大なところへと広がっていけます。呼吸がそうであるのと同様に、意識には、枠や制限はありません。内を向いても、外を向いても、どこまでも広がっていく事が出来ます。
そして、広大さという対象があるという事は、それを確認出来る「私」が存在しているという事。
その「私」は、内にもいるし、外にもいるし、その間にもいる事が出来ます。「私」は、対象とのやりとりという動きの中で、変化しながら存在しています。
そんな「私」が、それら“全体”に渡ったとしても、その思い故に部分的であり、変動的であり、第7の次元の体験とは異なるものなのですね。
でも、究極ではなくとも、上位の次元に上がっていくにつれて、楽に生きる質、くつろぎの質、シンプルさの質が、人生にもたらされていきます。
たとえ表層では、愛情、パワー、豊かさ、美しさといった現実的 “幸せ”を求めていたとしても―そして、そこに悪い事は何もありませんが―誰もの魂が深いところで求めている「幸せ」とは、実は、上位次元に起点を置くものであったりもするのですね。
ですが、それは、複雑なものではありません。
そこから眺めるなら、エゴの次元は、“やっかいな敵”ではなく、「生かされている」ものとして、認識されるようにもなります。
人生の中で起こる、あらゆる受け取り与える事で起こる変化を、全ての来る事と手放す事の神秘を、特別な構えもなく、そのままに感謝するようになっていきます。
私達が、少なくともハートの次元の体験をしたなら、エゴが感じる苦しみや痛み、不安や心配の縛りとの付き合い方は、変容していきます。
そして、その先にある「本当」を知りたくなります。
その為には“努力”がいるかというと、ちょっと違う気もします。そこに費やす“努力の時間”は、関係ないと言っていいのかもしれません。
「幸せ」の起点が、下位身体の次元からスタートしていると見るなら、エゴは、比較や判断、過去や未来への様々な思いといった“時間”の中で、“自分自身で生きている”と思うでしょう。
そうすると、かえって、現実的 “幸せ”を、くつろいで楽しめないのですね。
すこし前の事ですが、女性誌の取材を受けた際、女性のパワースポット巡りやパワーグッズが流行っているとの事で、どんどん、より強力で確かなものを探し求めてエスカレートいく傾向があるとお聞きしました。ライターの方によると、意外にも(意外でないかも)、戦って勝ち残ろうとするストレスフルな女性起業家やビジネスウーマンに、その傾向が強いのだそうです。
精神世界や神秘主義、心理学からニューエイジに至る迄、沢山のスピリチュアルな知識を得たとしても、沢山の“お守り”や保証を外側に持ったとしても、実際に人生を生きる上で、それは、魂が求めている上位次元の「幸せ」の起点には導いてはくれません。
だからこそ、下位次元が起点の“幸せ”に対する不安感や怖れから、より強力で確かなものを得ようと、エスカレートしていくのですね。
ただ、それらは、上位次元への乾きを触発する、きっかけのきっかけのきっかけとなってくれる事もあるかもしれません。
体験として「本当」を知りたいという魂の焦がれから、行動へと踏み出す事。この焦がれを受け留めるものとして、瞑想が挙げられるでしょう。
第5の次元を刺激する瞑想は、知識を超えたところで起こります。
浄化と解放の為にまず肉体や感情や思考にワークしたり、現実との架け橋の中でハートが鍵となったりもしますが、それらからも自由です。
また、第3身体の次元にいるなら価値あるものに映る、光を見たり金粉が出たりといった低位の“マジック”とも、瞑想は無関係です。私達は、内側でも外側でも、マインドが望むものを引っかけるのですが、上位次元では、思考や感情、聴こえる音等と同様に、それらは、ただ内と外を通り過ぎて行くものになります。
第4〜第5の次元から見れば、“マジック”は、特定の環境や状態に陥れば、起こるものだと理解するでしょう。
瞑想に慣れていないと、時には、そのプロセスで眠ってしまったり、退屈で間延びしたものに感じたり、落ち着いていられなくなるかもしれません。何を“している”のか、何の“効果”があるのか、何を“達成”するのか分からないと、下位身体はイライラするかもしれません。
それでも、瞑想の場に身を置く事は、深いところで、内側の種を温めてくれるのではないかと思います。
瞑想は、ハウツーのみではなく、そのスペースを体験している場にいる事が、何よりも助けとなるのですね。
マウントフジフラワーエッセンスでも、この次元を大切にしています。
現実的な作用もあるマウントフジフラワーエッセンスですが、その起点は、それを超えたところに置かれています。
何故なら、瞑想の次元での変容は、現実でのクリエイティビティとしても表現されたり、人生を感謝し、軽やかに変化を遊べるようにもしてくれるからです。
エゴとしての個を超えたところから、人生のドラマを観る事。この事に馴染みがないと、味気ないように感じるかもしれませんが、実は、もっともっと自由に、自然なものとして、限られた命を豊かに楽しめるようになります。
「マウントフジフラワーエッセンスは、幸せになりたい、ずっと幸せなままでいたいと願い続ける肉体、マインド、感情、想念の先のあるもの、これらを超えたる「何か」を喚起し、指差しているのです。
〜〜そして、気持、行動、能力、出来事、環境……、あらゆる変化が来ては去っていく内奥で、あなたをあちらこちらへと連れて行くものとは違う、「我が家」の源泉へのくつろぎです。
〜〜マウントフジフラワーエッセンスでは、そこに回帰する者を励まし、同時に、そこに内包される虹の7色の全て、全ての次元での収穫もまた、楽しむ事へと開かれているのです。それは、時空を超えた今ここの中心の空っぽさ、沈黙にくつろぐ事と共に、その外側にある深みから表面迄、過去や未来、来ては去っていく感情や思考、様々な現象や動きや変化を、遊び味わう事でもあります。」
(書籍「マウントフジフラワーエッセンスとエネルギーの世界―花の"Being"―」より)
マウントフジフラワーエッセンスの講座でも、エネルギーを通して花と出会い、他者と出会うアクティビティに参入しながら、同時に、内側の沈黙、空っぽさと共に在る事、瞑想の質を体得していきます。
それは、人生にくつろぎ、喜びと感謝に満ちて生きる在り方の、「雛型」としての練習にもなります。
そこでは、知識や拠りどころを超えて、不安感や不確かさとも仲よしになります。
それには、目に見えない次元での、エネルギーのトランスミッション(伝達)が鍵ともなるでしょう。実際、この表層には動きとして現れる事のない微細な次元の設定において、講師は多くの作業をしています(本当は、この言い方は適切ではありませんが・・・)。
また、それ以前に、講座では、その人本来の、その花本来の個性あるエネルギーが、双方向で関わる事によって活性化されるような、エネルギーのプールとしての「場」創りが設定されています。
沈黙のコミュニオンの中、自分の中で芽吹きを待っている質が、その場にいる事で花開いていける「場」が、構築されているのですね。だから、「自信がない自分が、プロ養成講座に進んでいいのか」と聞かれる方がたまにいらっしゃいますが、「ただ、この場に来て下さるだけで充分」といつもお話しています。それは、実際にそうなのですね。
役割を通したワークの中で、深い次元では、全ての存在が受け取り、貢献します。セラピストも、クライエントも、ヘルパーも、講師も、マウントフジフラワーエッセンスも・・・。
第5身体は、思考の同化を超えていくところです。比較による正しさや間違いという判断、“知っている”という知識の縛りから自由になっていきます。
人生の主軸が「自分自身」に戻る、という言い方も出来るかもしれません。
皆が、人生というドラマの主役です。芸術を極める事でも、変革の戦いでも、モノ作りの完成でも、サービスの向上でも、商いの発展でも、研究の完成でも、究極の探求でも。誰かと生きる事でも、独りで死ぬ事でも。
下位身体の次元の同化から上昇するにつれ、ドラマの内容に関係なく、あらゆる領域のドラマを生きる事は、楽になっていきます。
そして、ドラマは、どの瞬間にも、変更可能になります。いつでも、生きる事のシンプルさに戻って来られます。
その「実態のなさ」は、どんな戦いに勝ち残る下位次元の(不安感や怖れが伴う)強さよりも、自分自身を最強(!)にしてくれます。
多くの人達が、下位次元で外側に探し続ける「本当の幸せ」や「深い満足」の根には、上位次元への焦がれがあります。
その開花のサポートとしてもあるのが、マウントフジフラワーエッセンスです。
【大切なお知らせ】
メルマガの読者様で、ハートサポートシステム(有)主催の各種「フラワーエッセンス基礎講座」、「フラワーエッセンスプロ養成講座」について、名称、プログラム内容、システム、文章表現等が類似したものと間違われたり、編入出来ると誤認されるケースが起こっているようです。
ハートサポートシステム(有)の修了証は、主催のオリジナル講座でのみ発行され、全「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
それ以外のところで、修了証、認定証を発行している事実はございませんので、混同されぬようお願い申し上げます。
もし、これらの件に関してお困りの事、分からない事がございましたら、ご遠慮なく弊社にご相談下さい。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2010年8月12日配信号内 第106回目の原稿より 第7身体―13》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も引き続き、第7身体についてのお話を続けていきましょう。
東洋と西洋のスピリチュアルなアプローチの比較から、言葉や認識の次元からは決して「認識」する事の出来ない第7の次元を、西洋的なプロセスの中で理解する事は困難である(というより、西洋的特質から困難な道を選ぶ)といった事を、何度か書きました。
だから、上位の次元を探求する西洋人の多くが、やがては東洋に向かうといった現象が、スピリチュアルや心理の世界で、昔から起こってきたのですね。
今回も、そんな東洋と西洋という切り口を基本に、上位と下位のエネルギーボディ(サトルボディ)の関係を詳しく見ながら、探求していきたいと思います。
まずは、東洋と西洋のスピリチュアルなプロセスの違いが最も分かりやすい、低位身体の最後の次元である第3身体から始めていきましょう。
下位の次元には二元性がありますが、第3身体には、光と影が存在しています。(第3身体については、以前の連載をご参照下さい)
西洋では、スピリチュアルであれそれ以外の領域であれ、第3の次元の光のあたっている部分―正しさ、強さ、優位にいる事―といった光の極で生きようとする特徴があります。その傾向は、第3身体のエネルギーブロックが持つ、硬さ、緊張、分裂、追い立てるような質としても、リーディングする事が出来ます。
第3身体にある自己イメージの光の極では、“私は正しい” “私は勝者だ” “私は善だ”といった大前提ありきで、自分自身をみなす事が起こります。
そんな自己イメージの光の極に自分を固定しておく為には、反対の極に同じだけある “私は間違っている” “私は敗者だ” “私は悪だ”といった側面を、光のあたらない影の中に封じて、観る事、気づく事を避ける必要があります。
でも、光が光である事を確認する為には、影が必要です。光だけに留まり続ける事は出来ません。だから、内側にあってはならない影を、外に見つけます。“私は正しく、あなたは間違っている”
“私は勝者で、あなたは敗者だ”“私は善で、あなたは悪だ”といった外側との差別化、光と影の戦いが始まります。
ですが、実際は、その分裂と戦いは、その人の第3身体の中で起こっているんですね。
第3身体には、戦い、行動といった動的な要素が含まれており、対象に打ち勝とうと付き進むのですが、その戦いは内側でも起こっていて、第3身体のエネルギー場を緊張させ、エネルギーを消耗させていきます。
そこには、たくさんの恐怖も隠されています。
興味深い事に、第3の次元の高位の次元は、第6の次元なのです。
(この上位と下位のエネルギーボディ(サトルボディ)のエネルギー的な関係性は、瞑想やエネルギーワークを通した私自身の経験から、現場で機能するものとして体系化していったものです。ですから、既存の書籍には紹介されていないかもしれません。興味のある方は、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」で、体験的に学び、理解していく事が出来ます。)
第6の次元は、「第3の眼」の機能も関わっています。第3の眼の本質的な作用は、千里眼的な動的なものではなく、気づきと観照です。中心に在って、巻き込まれる事なく、ありのままに観る質です。
だから、第3身体次元において、自己イメージの光の極に留まって物事を観るという事は、第3の眼の本来の機能が、真の意味では開いていない状態だとも言えます。
自分自身の第3身体のメカニズムも含め、ありのままに観るスペースがないのですね。
ひとつの極に固まって全体を見通せない為、第3の次元にたくさんの判断や批判がある事に気づけなかったり、第2の次元で感情的なリアクションをしている事を過度に否定したり、といった事が起こりがちです。防衛機制である、同一視、否認といった様々な心の作用も動くでしょう。
気づいたり、肯定したりしてしまっては、自己イメージの光の極が崩れてしまうのですから。
西洋のエネルギーボディ(サトルボディ)の第3次元を集合的に見ていくと、自己イメージの影の部分に、日本人にはない、根深い罪悪感がある事が見てとれます。その反動で、自己イメージの光の極に大きくぶり返す事でバランスを取るのですが、それ故に、第3身体のエネルギーの流れが分離し、亀裂が起こっています。
光の極の自分という役割に同化しているなら、上位次元の天へと上昇しているという“錯覚”に陥る事もあるでしょう。そうすると、本当の高みに進む事が、困難になります。
また、 “上位”に立つ役割にいるなら、極端になると、いわゆる“恐怖政治”のようなパワーゲームをしてしまうかもしれません。私達は、片方の極を強固に抑圧していると、それを外側に見出してバランスをとろうとするのですから。誰もの第3身体にある影の極が自分にある事を過度に否定するなら、それを、他者の中に見出して、自分自身を光の極に留まらせようとするのですね。
様々な関係性や集団の中での役割が、本来の健全な在り方を果たせない時、また、役割の偏った極に同化する時、関わる人々で構成されるシステムも、健全に機能しなくなります。
“恐怖政治”のエネルギーフィールドの元にいる人達は、その人の良さ、個性、本質を伸びやかに成長させていけず、可能性の芽を枯らせてしまいます。そして、“私は間違っていて、あなたこそが正しい”“私は劣っていて、あなたは優秀だ”という、第3身体のもう一方、影の極に捕えられます。
今も時々あるのですが、一時期、個人セッションや講座が、こういった事の駆け込み寺のようになった事がありました。
第3身体の偏りや分離が、自他のエネルギーボディ(サトルボディ)にどのように影響するかのエネルギー的なメカニズムを確認し、その人自身の自然な力が解放される為にどのような援助が役立つかに、立ち会わせて頂きました。
サポートを求めて来られた人達のエネルギーをリーディングすると、多くの場合、自分は間違っている、充分ではない、取るに足らない存在だという自己イメージの極に、振られてしまっていました。それ故に、その人が持つ「本来の力」から、一時的に距離が出来てしまっていました。
同時に、「それはおかしいのではないか」といった何となく分かる直観が、底流で生きている事も見てとれました。こういった直観は、第3身体と関係しています。また、その能力は、その人の中にある自己肯定感とのバランスによって、確かさの度合いが変化するでしょう。
第3身体と関わる直観、自己肯定感は、第3身体が持つ「本来の力」が、本来の力を取り戻すサポートをしてくれます。
「本来の力」は、権威者であろうが誰であろうが、外側からの判断や評価には依らないものです。この力を思い出す事にセラピストが寄り添うと、その人の第3の眼も働き始めます。
いずれにせよ、理由や内容に関係なく、優劣や正誤の判断が起こるのであれば、それは、自分が第3の次元にいるというサインであり、「第3の眼」も開いていないという事です。
セラピストが第3の次元からワークするなら、そこには、ある種の緊張や硬さ、深刻さのエネルギーがあります。クライエントや参加者は、しばしば充分なスペースを持てていない萎縮感、自分を低位に見る収縮感を持つでしょう。
「マウントフジフラワーエッセンス講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンス講座」では、セラピスト、クライエント、観察者といった役割を体験しながら、第3の次元でクライエントを害しない在り方を体得していきます。とりわけ、グループワークのリーダーとなる勉強中には、「観る事」の学びを、忍耐強く行っていきます。
日本人への理解という点からも私が信頼している、ある西洋のヒーラーが言っていたのですが、西洋では、“自分は正しい”という前提があるので(自己イメージの光の極ですね)、間違っている(自己イメージの影の極です)という事は言いたがらないのだとか。だから、“自分は間違っている”という自己イメージが、表面上は、言動を制限する事があまりないのですね。
それに対して、日本人は、“自分は間違っている”という自己イメージを持ちやすいとの事。これは、光の下に出して表現したい自己イメージが、影の極だとも言えるでしょうか。
光なのに影って???
日本人は、この「複雑な面白さ」で、影の自分の方を、光の下で外側に見せるのですね。日本は、謙虚である事を美徳とする謙遜の文化ですから。反省したり、自分の至らない点を表現するのが大好きです。
ただ、複雑な面白さという意味合いにおいて、表層の自己イメージが“自分は間違っている”であっても、単純にそれだけではない事もあるのですね。日本人の自己イメージは、光であれ影であれ、十二単のように、繊細に幾層にもなっている気がします。
私自身にも、日本という引力下の次元では、この自己イメージがある事に気づいています。
例えば、弊社のサイトでは、各種「フラワーエッセンス講座」の体験談を多数掲載させて頂いているのですが、書いて下さった方にとってはこころの変容の流れとして自然に書かれたものであっても、講師を褒めた箇所は、数年前迄はほとんど削除させて頂いていました。それは、その方自身の力で起こった変容の中で、自分の内に既にある素晴らしさを、講師という鏡を通して観ておられるだけだという「事実」からです。
また、私自身、ポジティブな投影に意識的である事に、注意を向けていた事もありました。まだまだ人間的に未熟な自分は(このあたり、日本人的自己イメージの表現です)、ポジティブな投影を受けて、“正しく優れた講師”だという自己イメージに、同化してしまうかもしれませんから。
今は、動きの多次元性のそのままを、ただ受け止めています。
・・・そして、影なのに光。
日本人は、対極の影には、光の自分を隠しています。謙虚さと遜りの下に隠された強さ。とてつもないダメージの中から再誕生し、急速に成長していく底力は、集合的にも、普段は隠されています。追いつめられた日本人、逆ギレした日本人のパワーは、ヤバいです。
サムライの姿には、この両極が表現されているのではないかと思います。
また、和を尊ぶお国柄でもあるからか、複雑な光の元での表明であるにも関わらず、エネルギーをリーディングすると、日本人の場合、第3身体のこれらの対極が、西洋のようには分裂していないのです。
その時々で自己イメージの片方が表現されている時でも、内側では、複雑さや矛盾で混乱する事なく、両極が受け入れられ、行き来しながらバランスが取られていたりします。(西洋人からすると理解不能で、「どっちやねん!!」と混乱するかも)
だから、西洋のスピリチュアルな道のように、第3の次元の極に長く留まり、その中で戦ったりもがいたりする困難な道を経ずに、第4の次元にシフトしやすいとも言えるのですね。
こういった日本人特有の柔軟性のエネルギーは、多くの場合、この国以外の人には深く紐解けないでしょう。
ヒーリングやエネルギーリーディングのより高い次元では、お国柄の制限を超えて、エネルギーを観ていく事が起こります。ですが、多次元的に観ていく上で、この次元を理解しておく事も大切です。
興味深いのですが、私の周辺では、自ら「高い段階に至った」、「悟った」、「スピリチュアルな道を行く選ばれた人間だ」と言う海外のヒーラーはいるのですが、日本人には一人もいないのです。
知っている日本や東洋のトラディショナルな高僧達でさえ、そういった事を表明する人はいません。逆に「僕、特別な力はありませんから」、「生き神様のように言われますが、修行も慣れれば健康法のようなものです」、「寺院でも世間でも、人の悩みや問題はどこに行っても同じです」、「私は普通の人間です。ジャージ来ている時は誰も尊敬の目で見ませんから」と言い、人々のポジティブな投影をバッサリ切ってくれる(!!)高僧もいます。
公的なところでは、日本の修行はストイックで深刻な集合的イメージがあり、それに憧れる西洋人も多いのですが、公とはまた違う側面で関われば、人間的なユーモアの感覚がたくさんあり、そこから伝わる事が多かったりします。
このように、日本と西洋の第3身体の自己イメージには、それぞれが持つ個性があります。
だから、西洋の光と影、善悪の対比の中でのスピリチュアルなアプローチや、能動的な心理療法を日本人が行うと、時には、それが害になったり、症状が悪化する場合があります。本来の良さを、悪いもの、劣ったものだと思い込み、同じところに留まって、出られなくなる事もあるでしょう。
また、幾重もの次元で同時に、矛盾さえ自然に捉える日本のスピリチュアルなアプローチが、白黒、善悪に分割する西洋人には強いストレスがかかり、大混乱する事もあります。(マインドを大混乱させるのも、たまにはいいと思うのですが・・・)
日本の修行には、高位次元へとシフトするのに有益な、言わばダブルバインド的なアプローチがたくさんあります。
この、西洋的マインドや知性からは解読不能なものに深入りはせず、 文化が持つ“雰囲気”や曖昧なイメージという浅い次元で、理解されている事もあるでしょう。その方が、“安全”ではあります。
いずれにせよ、東洋的であれ西洋的であれ、山頂であれ下界であれ、この世界での虹の7色、両極のドラマの「現場体験」を通して、霊的な成長は起こります。
そして、第3の次元で達成する事、獲得する事は、霊的成長の自己イメージを私達に与えてくれます。ですが、それは、いつでも変動し得る“単なるイメージ”であり、“単なるエネルギー”であり、実存の体験ではありません。
時空の管理下にある次元では、あらゆる事はプロセスであり、変化の中で循環していくものであり、ここで完了というものはないのです。
達成したものの中身、大きさ、量、満足度等に関係なく、私達の意識が肉体を離れる時、それらのお宝は全て地上に手放していくしかなく、そこからもらった自己イメージのエネルギーも、磁力が失われていきます。
だから、生きる事は、自己イメージを捨てる事、手放す事でもあるのです。
手放す事は、第3の次元で言うなら、強さ、勝つ事の光の対極である、弱さ、負ける事の影の極。
私達が手放しながら生きる時、生きる事は、もっともっと自由になっていきます。それは、次の次元の上昇への誘いともなるでしょう。
そして、死の敷居をまたいだとしても、そこにもまた、別の次元の手放しのプロセスが待っているのです。
【大切なお知らせ】
「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
また、全「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
「ハートサポートシステム(有)」、「日本フラワーエッセンス協会」以外のところで、修了証、認定証を発行している事実はございません。
メルマガの読者様で、日本で最初にスタートしたこれらの講座に、名称と内容が類似したものと間違われたり、編入出来ると誤認されるケースが起こっているようです。
混同されぬようお願い申し上げます。
*もし、これらの問題に関してお困りの事、分からない事がございましたら、どのような事でも構いませんので、ご遠慮なく弊社にご相談下さいませ。
*【質問18】と【質問19】も参考になさって下さい。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2010年8月25日配信号内 第107回目の原稿より 第7身体―14》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、第7身体についてのお話を続けています。
言葉では表現出来ない次元故、今回も、東洋と西洋のスピリチュアルなプロセスにおける個性という切り口から、上位と下位のエネルギーボディ(サトルボディ)の機能の違いとその関係を、見ていく事にしましょう。
今回は、私自身の個人的な体験を記した部分が多くなっていますが、体験やプロセスは、個々の方によって違います。その前提で、読み進めて頂ければと思います。
さて、前回は、東洋と西洋の違いが最も分かりやすい、第3身体についてお話をしました。 “正しい私”“強い私”“優れた私”であれ、“間違っている私”“弱い私”
“劣った私”であれ、第3身体の自己イメージの1つの極に同化すると、柔軟に変化していく人生の自然な在り様を、生き辛く感じたり、変われないと思ってしまったりしがちです。
時空の中の極と極の間で、自分の中にあるYESから、あるいはNOから、内外の対極と戦い、分裂してしまうのですね。言い方を変えれば、対極に執着し、そこにエネルギーを注いでいるという事でもあります。YESを固定させて育てようとすると、NOも固定されて育つのです。
でも、本来、この現実世界は、その時々で、YESとNOの両方があって当たり前なのです。だから、世界の自然な在り様として、YESはNOと、NOはYESと、戦う必要はないのですね。
自己への、あるいは人生へのイメージの葛藤から自由であるには、第3の次元の高位でもある第6の次元(前回書いたように、これは私の体験を通した体系化ではありますが)と関係する「第3の眼」を開き、見守る事です。
豊かな動きの世界に関わると同時に、動きの外側、上方の揺れない中心に在って、観照する事が鍵となります。
一般的に、第3の眼は、サイキックな見る能力として取り上げられる事が多いものです。私自身も、個人セッションでエネルギーの状態や過去世をリーディングしますし、「マウントフジフラワーエッセンス講座」ではそういった事柄もカリキュラムに入れてはいますが、これらは、第3の眼の部分的な機能にしかすぎません。
光、影、内側、外側―。その対象が何であれ、対象に降りない次元から見守ると、違った姿が観えてきます。
そこから見守りながら使うサイキックならば、決め付け、善悪、優劣の自己イメージが、「目の前の現象とは無関係に起こっている」事も観ていやすいのですね。
この、下位の次元に巻き込まれない「観る事」のクリアさは、実際的な側面においても、セラピーやヒーリングの提供者として、場への責任を持つ事が楽に起こるでしょう。
エネルギー解剖学的にみて、第3の次元に属しているものに、色があります。
第3身体次元のサイキックな領域で第3の眼が作用すると、下位のエネルギーボディ(サトルボディ)のエネルギー状態(いわゆるオーラ)を、視覚の超感覚を通して、色として見る事が起こる場合があります。
瞑想を始めた初期にも、色のエネルギー体験をする人は多くいます。
人によってその内容は様々ですが、過去の私の体験を例に挙げると、白い光や煙の中に様々な色と形の切り紙のようなものが舞っていたり、美しい色と形がパタパタと変化したり、それが水面のように角度や深度が揺れるのを閉じた瞼の裏で見たり、眼を開けた後に特定の色を通して世界が見えたり、といった具合です。
これらの美しい色の現象は、瞑想の初期のプロセスでよく起こる反応であり、時には「第3の眼」のカタルシスであり、そこに留まり続けてもあまり意味はないものです。
少し話がずれるかもしれませんが、芸術家の例で言うと、ゴッホの絵には、彼は病んではいましたが、ある種のエネルギーの次元が表現されているのを感じます。あのような色と光のラインの世界を実際に見て、描いていたのではないかと思います。
エネルギーの次元の、色と、形と、動きと、流れ。宇宙のダンスは、とても豊かなのですね。そして、その中に、私達も含まれています。
宇宙のダンスは、時には、星に似ているし、波や渦に似ているし、花の姿にも似ていると感じます。花の形そのものに深く入ったなら、個を超えた次元を感じる人もいるでしょう。
だからこそ、花のエネルギーを転写したマウントフジフラワーエッセンスは、高みへの探求を刺激し、応援してくれるのでしょうか。
エネルギーの色でもあるオーラですが、サイキッカーの全てが、特定の人に共通の色を見ているわけではないようです。ヒーラーが焦点をあてる領域、クライエントのテーマ、ふたりの出会いの共振によっても、表面に際立ってくる色や形態は違うのではないかと思います。つまり、どのように在るか、出会うかによって、リーディングの深みや質が変わってくるとも言えます。
また、よく「あなたのオーラは○○色で、△△な形をしている」といった表現をするヒーラーさん、時には霊能者さんがいますが、おそらく、視覚以外の超感覚も使っているのだと思います。
私達のエネルギーボディ(サトルボディ)はシンプルな色ではなく、雨に濡れた歩道にこぼれた油膜のように、透明な虹の7色が輝いています。
また、焦点をあてる次元が変わると、例えばエーテル体なら白っぽいブルーやヴァイオレットやグレーに見えますし、より高位の次元では、ホワイトのエネルギーを見る事もあるでしょう。
視覚であれそれ以外の超感覚で見ているのであれ、オーラの状態は、その時のクライエントの気持ち、健康状態、呼吸、運動量等によっても変化します。つまり、オーラは、豊かな色彩の変化の世界に属しているのですね。
だから、その時のオーラ=その人自身だという視点から判断してしまうと、クライエントの可能性を制限し、固定する事になるでしょう。
逆に言うと、それを、セッションで有益に活用出来るという事でもあるのですが。弊社の「エネルギーリーディングトレーニング」を修了したフラワーエッセンスセラピストは、複数の超感覚を連動させてオーラドローイングを行いますが、分かりやすい表現形態として活用している例だと思います。
いずれにせよ、これらの超感覚をセッションで活用する上では、「観る事」のクリアさが求められるでしょう。セッションの提供者として、オーラを見る時も、行為に巻き込まれていない「観る事」のクリアさが大切だという事です。
講座をしていて、書籍や教師から教えられた知識の影響を受けているプロの方が、過去の固まったイメージから見てしまう故に、「観る事」が難しい場合があります。先入観のない人、瞑想をしている人の方が、むしろエネルギーの体験にすんなりと入れたりするのですね。
ところで、西洋の精神世界系で、道のりのプロセスで起こるサイキックを“悟った”事だと思いこんでしまいがちな背景には、その時点で、“悟った自己イメージ”に同化しているマインドを上方から一気に吹き飛ばすような、バッサリとした一喝のメソッドがない事も関係しているかもしれないと思っています。
日本の伝統的な修行のように、時にはマインドを混乱させたり、一瞬にしてマインドを気絶させるアプローチがないのですね。
西洋のスピリチュアルな道では、マインドを鎮めるというよりも、むしろ、マインドを詰めて成長していく側面があるのではないかと思います。そこには、日本人の特徴としてよく挙げられる日本人的な努力とはまた違う、自己イメージを基盤にした、マインドでの努力と苦悩のプロセスがあるのですね。
例えば、“道を行く選ばれし者”といった光の自己イメージの拠り所がないと、長い道のりのプロセスにいる自己の認識感を混乱させ、不安にし、対極の闇への怖れを招くかもしれないのです。
しかし、上位身体次元の最初の体験は、「自分が何者か」という自己イメージの拠り所が死ぬ事で、やって来てくれるものです。
以前、日本人の禅の老師と合気道の師に数十年仕えているというロシア人のドクターと、ラテン系シャーマンとの会話(すごい組み合わせです)に同席していたのですが、ロシア人が「禅のアプローチにはユーモアと遊びの感覚がある」と懸命に説明するのに対して、ラテン系は「禅のアプローチは深刻だ」と強く断定するのですね。
そこには、世界各国の人達と、私ともう一人の日本人もいたのですが、目の前でロシア人が禅を説いている光景は、何とも興味深いものでした。
日本の微妙な繊細さと西洋の複雑さが違っているように、深刻さやユーモアの印象やイメージも、日本と西洋では異なるのかもしれません。
日本と西洋では、マインドの構造や響き方が違うのですね。
こういった違いは、沈黙やスペースをどう認識し、捉えているかという事とも関係しているように思えます。(これには、上位身体の最初の次元、覚醒の次元である第5身体も関係しているかと思います。)
西洋人と同席すると、ずうっとしゃべりっぱなしである事がよくあります。飛行機でお隣がアメリカ人だったりすると、大変です。
マインドとは、言葉でもあります。マインドの次元では、沈黙が、その主体になる事はないのです。
西洋ではマインドが、日本では沈黙が発達し、それらは、スピリチュアルな成長の道のりにおいても、活用されています。
沈黙、あるいは削ぎ落としていくといったマイナスや否定形によるアプローチは、第3身体の光の自己イメージをその道のりで活用する西洋人は、不安になってしまうのですね。
西洋では、第3身体の次元において完璧さを求める故に、第3の次元で成長をストップさせてしまう事があります。霊的成長の道のりで吸収する知識や体験が“完璧になる為”のものであるなら、第3身体はどんどん重くなり、緊張し、第4の次元へと飛べなくなります。
また、セラピーやヒーリングにおいて、バウンダリーについて学ぶ事がよくありますが、バウンダリーの起点を下位次元だけに置いて理解すると、強者と弱者、上の者と下の者、与える者と与えられる者、助ける者と助けられる者という隠れた分裂や動きの中で、ヒーラーの第3身体はとても緊張します。それは、時には、一種の過度のプロテクションや攻撃にもなるでしょう。ハートの交流が起こらない為、クライエントは、エネルギーの壁をサトルな次元で感じるかもしれません。
カウンセリングにおいても、クライエントとの適切な距離について学びますが、教科書通りにする事で、センタリングがぶれたり、目の前の生きたクライエントに機能しない場合もあります。これもまた、下位のエネルギー次元に、自己の中心を置こうと頑張る事が関係しています。
また、第3の次元の闇や否定的なものを極度に怖れ、閉ざす事で、本来の力にぼんやりとした霧がかかり、まどろみに落ち、光の次元に眠り崩れる感じになる場合もあります。これは、日本人にもありがちな傾向かもしれません。
下位のバウンダリーを超える事は、上位の次元で起こります。
生がもたらす両面を認める事から、「観る事」へと上昇します。
ハートにも、その鍵があります。
セッションをしていて、エネルギーワークに窮屈さや疲労を感じるなら、ハートの道、気づきと観照の道が、それをブレークスルーし、上昇していくサポートとなります。
「マウントフジフラワーエッセンス講座」では、回を経ながらエネルギーを多次元的に扱い、それらの次元へと開いていきます。光であれ闇であれ、過去を基盤にした自己イメージから行為する事、そこから世界や自他をあてはめる事から自由になっていきます。
その為に、その時々のグループのエネルギーによっては、時には意図的に、参加者の方にプレイフルに不安になってもらう事もさせて頂いています(!?)。
「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」でも、何らかの技法を使って適切なボトルを選ぶといった、カルチャーセンター的(すみません、わかりやすいようにあえて使います)にセッションの技法と態度を習う事で完了するのではなく、より深い次元から人生と自他と向き合う事を体験していきます。
自己イメージのフィルターを通し、「あなたは何者か」をマインドで判断する次元を超えた、深みへと開いていきます。
そこでは、「このボトルは有名人で言うなら○○のタイプ」、「△△さんは◇◇のボトルのタイプ」といったマインドの機能を使った見方、また、問題を抱えているクライエントといった枠組みを手放します。
「私は○○な人」「あなたは○○な人」という、一見安心感を与える判断は、自他の未知なる成長を制限してしまいます。今ここと未来を、過去によって決める必要はないのです。
人生を変容する深い癒しは、これらを手放したところで、いつでも振動しています。
エネルギー解剖学的にみると、エネルギーボディ(サトルボディ)やチャクラの異なる次元だけではなく、ひとつのチャクラにも、ある種の次元の違いのようなものがあります。
私達のチャクラの外側には、より個人的な情報が、そして、内側には、家族、国民性や民族性といった、集合的な情報がインプットされています。内に入れば入る程、普遍的な次元に近付いていくとも言えるでしょう。
そして、これらの構造を高みから観るならば、日本人、西洋人といった括りも、単なるイメージだという気づきが起こってきます。
それらは、過去からの体験や情報を元にした、「反応」なのです。
私達は、過去を元に現在を見て、過去から現在に反応を起こしているのですね。自分に対しても、目の前の人に対しても。それ故に、人生を生き辛く感じたり、お馴染みの現象を引き寄せたりして、やっぱり変われないと思ってしまうのです。
誰もが、幸せになりたい、愛を分かち合いたいと、深いところで焦がれているにも関わらず。いえ、焦がれているからこそ。
いつも、現象は、今の、目の前で起こっています!
目の前で起こっている事と、それによって引き起こされる自分の反応は、それが思考であれ、感情であれ、イメージであれ、何の関係もありません。
輪廻転生という長い単位での過去の情報をインプットしている第3身体も含め、下位身体の次元での“努力”からは、この事の理解には行き着かないのです。
「理解」は、上位身体の高みからやって来ます。
あなたは、何者ですか?
【大切なお知らせ】
「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
また、全「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
「ハートサポートシステム(有)」、「日本フラワーエッセンス協会」以外のところで、修了証、認定証を発行している事実はございません。
メルマガの読者様で、日本で最初にスタートしたこれらの講座に、名称と内容が類似したものと間違われたり、編入出来ると誤認されるケースが起こっているようです。
混同されぬようお願い申し上げます。
*もし、これらの問題に関してお困りの事、分からない事がございましたら、どのような事でも構いませんので、ご遠慮なく弊社にご相談下さいませ。
*【質問18】と【質問19】も参考になさって下さい。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2010年10月6日配信号内 第108回目の原稿より 第7身体―15》
長めのお休みを頂いておりましたが、今回も、マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、第7身体についてのお話を続けていきます。
前回に引き続き、東洋と西洋のスピリチュアルなプロセスを切り口に、上位と下位のエネルギーボディ(サトルボディ)の機能とその関わりについて、探求していきましょう。
前回は、第3身体の次元の両極、光と闇のイメージの葛藤から自由になるには、第3の次元の高位である第6の次元(これは私の体験を通した体系化ではありますが)と関係する「第3の眼」の本来の機能、「観照」の質を開く事だと書きました。
西洋では、第3身体の “強さ”や“正しさ”の質、つまり光の極を、スピリチュアルな探求の道においても大切な要素として扱います。堅固な自我と、堅固な自我がイメージしている正しさを核として、進んでいくのですね。(前へと進み続ける“行動”の質も、第3身体の光の極に属しています。)
だから、様々な迷いや困難を突き進んでいく過程において、強さや正義を担うという自己イメージは頼もしい拠り処となってくれますし、その部分がしっかりとしていなければ、“弱さ”や“不正”の闇の極に振られてしまうわけです。
反対の極に陥って正しい道(という自己のイメージ)から逸れてしまうという怖れもまた、自らの強さで自らの弱さを律し、進み続ける動機付けとなってくれます。
“何かが間違っている”という感覚は、行為へのきっかけともなるのです。
マウントフジフラワーエッセンスのセッション、また、弊社で行っているバッチフラワーのセッションでの在り方と、西洋的なそれらとの違いのひとつは、拠り処や動機付けのなさにくつろぐ、という事かもしれません。それは、“する事”
の努力や戦いを通しての達成とは異なるものです。
この「何もしない事」を第3身体の次元で理解し、当てはめようとするなら、“弱さ”や“負け”の闇の極であるかのように感じるかもしれませんね。
第3の眼から、光と闇、正と不正といった揺れをそのままに見渡したなら、“する事”を通しては起こらない「観る事」から第3の次元の豊かな色の世界を眺めたなら、そこから起こる行為とは、どのようになるのでしょうか。
とは言え、第3身体次元の光の極の“強さ”や“正しさ”は、セッションでの実際的な場面で役立つものでもあります。
例えば、緊急性がある等、現実的で積極的な介入、常識と客観性がセラピストに必要とされる時。
どのような質のワークであったとしても、セッションの提供者としての責任において、この部分を鍛えておく事は不可欠です。
自我が発達した西洋で貧困層のクライエントと関わっているセラピストであるなら、この部分はより重要視されるでしょう。
例えば、回数限定の無料セッションに来るクライエントは、大抵の場合、複合的な問題を抱えており、荒れた環境にいます。そんなクライエントが最優先で求めるのは、ゆったりとした傾聴ではなく、現実的に機能する素早い積極的介入です。セラピーを学ぶ多くの人がやりたがるような、あるいは、東洋思想に興味を持つ知的階級のクライエントが求めるような、深い洞察を探る、自己成長する、といったニーズではないのですね。
その反面、上位身体の次元から見るなら、“常識的で客観的で正しくある”事は、時代や環境や立場によって変化していく表層の要素ともなります。
ですが、その時点における “正しさ”が明らかに見てとれる場合、自分自身の第3身体に起こる反応に対して、私達は、より無意識的になれるものです。何故なら、明らかな正誤の後ろ盾から、“安心して”反応出来るのですから。
例えば、その時の“正しさ”からみて明らかに過ちを犯した誰かに対して、正しい自分という自己イメージが大きく動き、それを証明しようと、過度な批判という反応がやって来たりするものです。光の極との同化が大きければ大きい程、感情もそれを起点に大きく反応し、“正しい自分”をことさら証明しようとして、過剰に頑張ってしまうのですね。
外側を批判する事は、もっと優れた自分、偉くなった自分になったかのように感じられ、光の自己をアピールする事にもなるものですが、それは、第3身体の光の極に引っかかっている、「第3の眼」が閉じているというサインです。
とりわけ、正誤の後ろ盾で自己イメージが動く時程、下位身体の反応に巻き込まれてしまい、「第3の眼」が機能していない事に、自分も周囲も気づかないものです。
でも、自分が行う現実対応と他者への批判という反応とは、関係のないものです。第3の眼の「観照」の次元に在るなら、現実的に出来る対応を行いながらも、自分の反応に気づいてもいられるでしょう。
「観照」は、正しさの力で無理に律したりコントロールする事ではなく、くつろいでいる時に機能します。西洋の道では、ここで、高位次元への上昇への頭を打たれる事が多いように思えます。
私達の人生では、その道筋や出会いの中で、善と悪、光と闇は、ちょっとした事で変動します。
何かの縁によって優れた人になったり、その逆になったりもします。ほんの少しのところで死を選ぶ事もあれば、生へと引き返す事もあります。多次元的なサポートが響く事もあれば、響かない事もあります。
この世界で自分が体験し、外側に見える誰かが体験するどのような善と悪、光と闇の要素も、全ての人々にあるものです。そして、それイコールその人自身ではありません。
あなたは、善くもなく、悪くもありません。誰も、善くも悪くも、特別な人はいません。
少なくともハートの次元の体験に入れば、それが体感としてやって来るでしょう。
そして、ただ、あなたが世界で、あなたが宇宙です。
トータルに生きる事にチューニングを合わせると、よりそれを感じ、今を生きる大切さや愛おしさにつながれるというのは、興味深い事です。
痛みの人生を繰り返すループから離れ、生き生きと自分らしく生きる決断をするなら、意識してもいなくても、ただシンプルに、正誤を超えた高位身体の次元へと開かれていきます。そして、その決断がなかったとしても、いつか誰もが、自然にそうなっていくものだと感じています。
ところで、これは私の個人的な感覚なのですが(すみません、ご自身の体験にそぐわなければさらりと読み流して下さい)、西洋のスピリチュアルなものの中には、光の存在だとしていても、同時にそこに闇が潜んでいるのを感じ取る事があります。それは、「本当はブラックマジックだ」といった意味合いではなく、光が届かず見えない奥底に、無きもの、触れてはいけないものとしての闇が動かぬよう繋がれている長さの感覚、とでも言っていいのでしょうか。
また、余談ですが、西洋には、虹色に輝くものの中にも、闇のエネルギーに属するものもあるとも言われています。善きものだと思っていたら違っていた等、東洋でも類似した内容を耳にする事がありますよね。
こういったものへの同化や怖れの反応は、私達の第3身体(やその他の下位身体)の深い層に属している、集合的なものなのかもしれません。
これらに盲目的になるのではなく、怖れに凍りつくのでもなく、動かされぬところから見守る質もまた、「第3の眼」にはあります。
念の為に、勿論、上記の事はオーラソーマを指してはいません。
(注:この連載は、カラーケアシステム「オーラソーマ」のメルマガ、サイトへの執筆です。オーラソーマでのオーラは光、ソーマは存在という意味。)
光のツールであるオーラソーマに「ブラック」という色がないのは、とても興味深い事だと思っています。
様々な色や光が「存在する」のに対して、「ブラック」という実体は本当は「存在しない」ものであり、それは単に「光の不在」である状態、と理解していいのでしょうか。
「ブラック」については、過去の連載で執筆しています。下記からご覧頂けます。
http://www.floweressence.co.jp/Essence/MailMagazine2.html#black
ここでは、「ブラック」に関して、
「ブラックと聞いただけで、居心地が悪い感じ、怖い感じ、不吉な感じ、異質な感じ、触れてはいけない感じ、一歩引きたい感じ、避けたい感じ、浸食された感じ、抵抗したい感じを、受けた人も多いかもしれません。それらの瞬時に起こった変化と反応は、まさに、ブラックがもたらすエネルギーでもあるのです。」
と、書いていましたね。
「光の不在」としての「ブラック」。
「不在」。
この単語にも、何だか得体のしれない、未知なる領域のような、安心出来ない響きがありませんか?死を連想する人もいるかもしれません。
こういった感覚もまた、古今東西、誰もが共通して持っているものだと思います。
「不在」。
何の対象もない事って、何かの対象が在る事に比べると、イメージが難しいのではないでしょうか。だって、フォーカスするものがないのですから。
もしかしたら、ブラックや闇を「不在」と見立てればイメージ出来るかもしれませんが、そうすると、それらは対象となってしまいます。イメージとしてのブラックや闇が「在る」のですから。
「不在」とは、このようなマインドの活動やイメージを超えたものなのでしょう。
実は、この「不在」というのは、第7身体を表現する単語でもあるのですね。
東洋では、表現出来ない第7の次元を、こういった否定形の言い回しを重ねる事で表現しようと試みていたりします。
この「不在」とは、在ると無し、実在と不在の対比の次元のそれではありません。そして、光がないとか、闇があるとか、光が滅するとか、光が去るとか、光を失うとかいった動きでもないものです。
全き死の後(という言い方も違うかも)には、何もありません。光であれ闇であれ、何もない事であれ、あるとかないとか言う次元ではないのですね。
それは、形態と共に、あるいは、形態の背後にあるものなのかもしれません。
また、神秘的で多次元的なエネルギー作業から生じた、美しく豊かな多様性の内奥にある普遍性を紐解いていったなら、あたり前のシンプルさも、同時にそこにあるような気もしています。
【大切なお知らせ】
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「日本フラワーエッセンス協会会員」以外に、師弟関係や協力関係のあるフラワーエッセンスのサイト、講座、スクール、個人はございません。混同されぬようお願い申し上げます。
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*【質問18】と【質問19】も参考になさって下さい。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2010年11月17日配信号内 第109回目の原稿より 第7身体―16》
長めのお休みを頂いておりました。
今回も、マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、上位と下位のエネルギーボディ(サトルボディ)の機能とその関わりを探求しながら、直接語る事は出来ない第7身体の周辺を、探求していきましょう。
前回は、東洋と西洋のスピリチュアリティの対比を切り口に、第3の眼の「観照」の機能が、第3身体の次元への同化から自由になっていく上で大切だという事を書きました。第3の眼が開かれていくと、結果的に、複雑さや緊張にしがみついて人生を生きる事から、くつろいで楽に生きる事への扉も開かれていくのですね。
今回は、少し目線を変えて、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」を切り口にもして、お話を進めていきたいと思います。
第3の眼を開き、対象にブレない高みから全体を見守るならば、世界や自分に現に起こっている事がどのようなものであれ、それによって引き起こされる自分の反応は、実はそれらとは関係がないのだという理解がやって来ます。
でも、光と闇の対極が存在する第3身体の次元からは、「そんなの納得出来ない!」という熱い批判がやって来そうです。
光と闇の自己イメージは、ポジティブであれネガティブであれ、この現実世界を生きていく上で役立つ要素です。と同時に、天の次元へと上昇し、高みから全体を見守る時、意識は、これら(への同化)はなくてもよいものだという視点へと開かれていきます。
自他や世界を光と闇に分断する同化の枠の中で物事を見続けながら、第3の眼を閉じたまま、おおいなる天の自由さへと上昇していく事は出来ません。
そして、上昇は、第3の次元を捨て去る事、光と闇をなくす事とは違います。その戦いもまた、第3の次元で起こっている反応です。戦う対象が外側のものであれ内側のものであれ、どれだけ高次で高潔に見えたとしても。
このあたりも、西洋のプロセスで陥りやすい部分なのかもしれません。
そして、そんな“自己イメージ”が見ている夢自体には、良いも悪いもありません。
生きた動きの世界の中では、光も闇もあり続けます。
あり続けながらも、高みから見守る事で、第3の眼差しが育まれていきます。
フルセッションを学ぶ「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」では、とりわけ講座の前半に、複数の人が静かな混乱を体験する事があります。
「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」で「観る事」のいくつかの層を突破していたとしても、「プロ養成講座」に入った途端、新たな層で揺さぶりがかかる事があるのですね。
だから、講座内外でご質問を受けたりして、講師は、個々の方々へのフォローに忙しくなります。
これ迄の馴染みのある“正しさ”の概念に基づいた保証がない、心もとなさ、拠り所のなさ、落ちつかなさ・・・。
自分は、正しく出来ているだろうか?間違っていないだろうか?と。
そんな時には、
「ええ、正しくやっているという保証等、何もありません。」
「!!」
というふうに、もっと揺さぶりをかけてしまう事があります。
勿論、講座をご提供させて頂いている責任から、不安なまま参加者の方を放置する事はしませんし、呼びかけへのフォローをさせて頂いています。
と同時に、この揺さぶりは、その人の深いところにある真実への探求心を自らが揺り動かし、第3の眼を開こうともするものです。
その「!!」空白の瞬間は、その人が自分自身の固まった土壌を動かして、古からの探求の種を目覚めさせ、芽吹かせていくようなもの、と言えるのかもしれません。
面白い事に、「マウントフジフラワーエッセンス講座」に来られる人には、表層であれこれ動く思いとは別のところで、「いにしえの種」を目覚めさせる事への大きな乾きを内在している事が少なくないのです。(勿論、広い意味で言うなら、全ての人がそうなのでしょうが。)
しばしば、第3身体の自己イメージは、この種の芽吹きに抵抗を起こします。でも、そのような軋轢もまた、この世界で種が芽吹いていく刺激にもなってくれるのです。
そういったところから見るなら、マウントフジフラワーエッセンスという乗り物の本質(あるいは核と言ってもいいでしょうか)は、セラピーでもなく、ヒーリングでもなく、自然療法でもなく、補完代替療法でもないのかもしれません。生きる事全体、そして、そこから開かれている「Beyond」に置かれている、と言ってもいいのでしょうか。
でも、それは、表層において、直接的に語られる事はあまりないものです。講座のエネルギーフィールドに共に身を置く事、トランスミッションのスペースに在る事で、花が携えている本質に、ひとりでに馴染んでいくのですね。
いずれにせよ、マウントフジフラワーエッセンスのセッションでは、概念や技法を学び、レベルアップしたからOKというものではありません。
また、自分と真剣に向き合ったからOK、植物や自然界に詳しくなったからOK、とも言えないものです。
(だからといって、NOT OKでもありません。)
これらのOKは、第3の次元の自己イメージを満足させてくれるものです。現実の次元で役立つこれらのOKを携えながらも、マウントフジフラワーエッセンスのセッションでは、それらを超えた高みにも同時に在る事が起こってきます。
だから、参加者の方々にとっては、過去に慣れ親しんだフラワーエッセンスやその他の療法のイメージの枠を超え、新たな次元が揺さぶられる事ともなるのですね。
第3の次元では、「ええっ、そんな事!」、「わからない〜」という反応が起こるかもしれませんが、こういった反応は、まさに第3の次元のお仕事ですから、大いに反応して頂く事にしています。
現在、プロとして活躍中の方には「あの時は何も分からない中で、自分はよくやった」、修了生の方には「現実とエネルギーの次元との関係を理解して、人生変わった」等と、よく言われたりします。
技法に習熟したから、自分と真剣に向き合ったから、植物の神秘に詳しくなったから、他者に認められたから・・・。これらの確固としているように見えるものは、私達を安心させ、どこかの枠組みに落ちつかせてくれます。
ですが、これらの確固としたものに見えるものは、本当に確固としたものでしょうか。
その基準は、何処から来ていますか?
どこで決められたものですか?
いつ生じたのですか?
誰から保障されていますか?
私達は、現実に見える世界にも、内側やエネルギーの見えない世界にも、沢山の基準を設けています。そして、その事で、現実の次元でもエネルギーの次元でも、様々な層を創造しています。
私達を安心させるそれらの層は、あたかも“真実”として成長していくので、現実においてもエネルギーの次元においても、機能してくれるのですね。
それらは役立ちますし、活用出来ます。マウントフジフラワーエッセンスでも、様々なエネルギー次元を扱っています。
そして、そんなふうに、多彩な次元からのサポートを受け取るマウントフジフラワーエッセンスのセッションだからこそ、第3の眼の観照の機能が大切にもなってくるのです。
第3の眼から見渡すなら、三次元世界であれ内的世界であれ、エネルギーの次元であれ、体験する対象は、そこからの反応を含め、自分自身ではありません。思考であれ、感情であれ、光であれ、闇であれ、権威であれ、愛であれ、瞑想性であれ。
マウントフジフラワーエッセンスのセッションの核においては、気づきや瞑想性といった枠も夢のようなものかもしれず、そこに、特別な優位性や区別もなく、何も言えない、とも言えるのでしょうか。
これだと思っていた夢、でもそれに対する肯定も否定もなく、確固とした保証も、確信も、拠り所もありません。
あらゆるものがあってもなくてもいい空っぽさの中で、あらゆるものと関わり遊びながら、見守っています。
そして、全てがそうある事を許す見守りの中では、何でもOKとも言えるのかもしれません。
マウントフジフラワーエッセンスのセッションでは、マウントフジフラワーエッセンスがクライエントへの働きかけのツールになるだけではなく、セラピストをもサポートしてくれます。
花達は、大地に根を張って留まり、来ては去っていく体験に委ね、ただそこにいます。
彼等は、自ら意識される事もなく、ただ在る事の癒し手です。
第3の眼から見守るならば、生きる事のありのままには、何の区別も問題もなく、何の問題のなさもありません。
マウントフジフラワーエッセンスのセッションにおいて、花達のように、この世界のダンスがそうある事の許しと共に在る事は、クライエントを、セラピスト自身を、開かれた場を、行為する事なく変容します。
マウントフジフラワーエッセンスの花達は、人生は、変える事なく変容するという理解へと、私達の3つ目の眼を開いてくれるのです。
【大切なお知らせ】
「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
また、全「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
「ハートサポートシステム(有)」、「日本フラワーエッセンス協会」以外のところで、修了証、認定証を発行している事実はございません。
メルマガの読者様で、日本で最初にスタートしたこれらの講座に、名称と内容が類似したものと間違われたり、編入出来ると誤認されるケースが起こっているようです。
「日本フラワーエッセンス協会会員」以外に、師弟関係や協力関係のあるフラワーエッセンスのサイト、講座、スクール、個人はございません。混同されぬようお願い申し上げます。
*もし、これらの問題に関してお困りの事、分からない事がございましたら、どのような事でも構いませんので、ご遠慮なく弊社にご相談下さいませ。
*【質問18】と【質問19】も参考になさって下さい。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2011年1月26日配信号内 第110回目の原稿より 第7身体―17》
スケジュールの都合により、年末年始に長めのお休みを頂いていましたが、久々に再開です。
今回も、マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、語ったり意味付けたりすると遠のいてしまう第7身体の周辺を、上位と下位のエネルギーボディ(サトルボディ)の関係と機能について紐解きながら、探求していきたいと思います。
前回迄の数回で、第3身体にインプットされた自己同化の二極が引き起こす複雑なコントロールから自由になるには、第6の次元と関連した「第3の眼」を開く事が鍵となる、といったお話をしてきました。
これは一般のエネルギー解剖学にはない、私の体験を通した体系化ではありますが、第3の次元が上昇した高位の姿としての第6の次元では、地上の個(エゴ)が持つ緊張は、“現実”ではなくなっています。
“自己対外界”という分断した関係性の“現実”だけにいるからこそ起こる、第3の次元の緊張。「第3の眼」は、こういった“現実”のはるか上空にあって、地上で起こっている全体を観照し、そして、天からそれを「観ている者」をも見守るのです。
第3の次元は、あり続けます。
「第3の眼」の次元の観照も、あり続けます。
“自己対外界”の“現実”の中で、個は様々な出来事に出会い、個ならではのユニークさから、内と外で反応します。
外界との関係で起こる出来事を通して、自己肯定感が高かったり、自己否定感が高かったり、支配者意識が高かったり、犠牲者意識が高かったりする自分から生じてくる、生きやすさや生きづらさを体験します。
時には善人や正しい人に、時には悪人や汚れ役になったりしながら。外側に見せたり隠したりしている、様々な“自分”という第3身体の層に光と影をあてながら。奪ったり、戦ったり、我慢したり、嘘をついたり、逃避したり、屈服したり、傷ついたり、許したり、見つめようとしたりするんですね。
そして、誰もが第3の次元の自分に“都合のいいように”肯定したり否定したりしながら、そんな自己イメージと同種のものを外界から引き寄せながら、“自分磨き”と“生き方さがし”のドラマを続けていくのです。
自己イメージの縛りは、それが変化していってもいかなくても、人生で起こる現実ドラマを縛るのですね。
・・・言い換えてみましょうか?
自己イメージの遊びは、それが変化していってもいかなくても、人生で起こる現実ドラマを遊べるのですね。
ところで、人が救われる、癒されるといった事は、どのような事なのでしょうか?
それは、安全、パワー、健やかさ、美しさ、豊かさといった、この世界で大切とされる縛り(=遊び)を得るか得ないかによって、左右される事もあるのかもしれません。
とりわけ、下位身体の次元が脅かされている時には、基盤の第1身体の次元を最優先に、より下位の次元が欲しているものから確保しようとします。
愛情であれお金であれ、“自己対外界”の“現実”の中で、それを持てない事で苦しんでいるのであれば、あるいは欠乏感や不足感に苛まれているのであれば、私達は、個としてそれを求め、得ようとするものです。それは、この世界に根付く人として生きる上での、自然な欲望の反応です。
たとえそれらが得られない事であきらめてしまったり、麻痺してしまったとしても、内側には、弱さという質を帯びた、同じ根っこの欲望があり続けます。
社会に向けて見せる“顔”でもある第3身体の次元と関連した欲望は、元々は、親や社会、教育といった外側から刷りこまれたイメージから来ている事もあるでしょう。
例えば、地位、名誉、階級等とも関わる社会的役割と同化したイメージや欲望は、第3身体の緊張と分裂を促進します。
では、それらによって左右されない「救われる」事の根本とは、どのようなものなのでしょうか。
それは、エネルギーボディ(サトルボディ)の第4の次元の踊り場から、更に天の次元に上昇していく中で、ぼんやりと見え始めるものなのかもしれない、と個人的に思ったりしています。
そして、上位次元から観たならば、「救われる」といった言い方は、意味はなくなるのかもしれませんね。
この上位身体の次元の探求者達が、たまたま、私の周辺にはたくさんいたりします。仕事のパートナー、学びの仲間、講座やセッションに来る人達。
同じ道を行く人達が存在しているという事は、それ自体が、互いが道を進んでいく上での頼もしいサポートともなっています。
人生で本当に大切にしたいものは何か、どういう事を志したい自分がいるか(第3身体の次元から、あえて「志」という言葉を使ってみました!)によって、生きる事の体験とそのドラマのイメージはガラリと違ってきます。
多次元的に作用するマウントフジフラワーエッセンスの深い次元には、上位身体の探求の次元が隠されています。「マウントフジフラワーエッセンス講座」においても、この次元が刺激されます。
表層では「美しさとダイエット」や「パワーと実現」を扱い、そのギフトを現実で受け取りながらも、もし、その人が開いているなら、その縛りを超えた次元にも、どこかで響いていくのですね。
これは、マウントフジフラワーエッセンスの作用の仕方が「特徴的」だと言われる理由のひとつではないかと思っています。
マウントフジフラワーエッセンスの作用をより深く体験したり、プロのセラピストを目指す「マウントフジフラワーエッセンス講座」では、自分感、世界感、現実感といったものに対して、二極の分断の次元だけから働きかける事はしません。
そこでは、縛りから自由な「Beyond」の高みから見守る事を、段階的な実技体験を通して、水面下で体得していきます。特別なエネルギーフィールドの伝達の中で、「第3の眼」の観照の質も、自然に活性化していくでしょう。
その副産物として、下位次元の人生は、楽でおおらかで、遊びの質(縛りではなく!)を帯びてきます。
私達は、内側の欲望と外側の現実との差異が大きい時、痛みや生きづらさを感じます。
だから、
現実が変わる事で、時間軸の縛りの中で、その痛みや生きづらさはなくなります。
内側が変わる事で、時間軸の縛りの中で、その痛みや生きづらさはなくなります。
観照へと上昇する事で、時間軸の縛りを超えて、その痛みや生きづらさは超越されます。
そして、超えたるところから見守るなら、どんな生き方にも問題はなく、どんなドラマにも問題がないという事もないのです。
「Beyond」の高みから見守る事をハートの次元から見上げたなら、それは、全面的な許しや絶対的な受容のような天の質として、感じられるのかもしれません。
この体験こそ、誰ものハートが深いところで焦がれているものであり、人によっては、上位身体次元の探求の発動力の第一歩ともなるものでしょう。
同時に、この地上では、人であれ、環境であれ、資源であれ、技術であれ、誰もが外界に依存しており、助けられており、誰一人として、自分だけでは生きてはいけないのです。
【大切なお知らせ】
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これらの内容からみても、必要な段階を踏んでいない状態で、編入頂く事は不可能です。弊社での編入の受け入れは出来かねますので、どうかご注意頂けますようお願い致します。
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(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2011年2月9日配信号内 第111回目の原稿より 第7身体―18》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、第7身体とその周辺を探求する為に、今回も、上位と下位のエネルギーボディ(サトルボディ)の特質とその関係について、見ていきたいと思います。
前回迄、第3身体の次元を超えていく上で、第3身体の上位の姿である第6身体(私の個人的経験からの体系化ですが)と関わる「第3の眼」を開く事について、しつこくお話をしてきました。
第3身体次元にある自己イメージこそが、“今のありのままの現実とは違っていたい”という欲望や、“今のありのままではない〈何者か〉になりたい”という願望が、潜んでいる場所なのです。だから、第3身体は常に緊張し、人生や自他を、スピリチュアルな道においてすら、成功と敗北の対比で見たりするのですね。
これ迄も東洋と西洋のアプローチの個性についてお話してきましたが、特に西洋的なマインドからみて、エゴのしっかりとした確立は、スピリチュアルな道を踏み外す事なく進んでいく上で、重要な条件となっています。
しかし、そのアプローチの仕方によっては、成功と敗北という幻想を真実と捉える第3身体を、更に緊張させる事もあります。エゴの独尊と独善が確立されればされる程、統合の道ではなく分離の道に踏み込んでいる事に、盲目になってしまうのです。
第3身体のエゴの領域を強固にする事は、道を進んで行く上で大切です。ですが、それが調和的に機能する上で、第6の次元に通じる「第3の眼」とのリンクが重要なのです。「第3の眼」の観照との橋架けがない時、強化された第3身体のエゴは暴走し、気づく事なく、様々な欲望や願望に焼かれます。
たとえ第3の次元から次の第4の次元への上昇の一瞥を体験したとしても、そこにドラマを見守る明るさがなければ、また地上に落とされてしまうかもしれません。そんな時、一瞥の後にエゴが感じる差異の苦しさは、それ以前とは、また違った質を帯びてくるでしょう。
それは、上位へと進んでいく上での火の浄化、純粋なものが残る前の破壊と再生のプロセスでもあるとも言えます。
例えば、今の時代(昔からあるとも言えるかも)、スピリチュアルが、第3身体次元を満足させるマネーゲームやポリティックスとして成り立っている事が少なくありません。ある段階では、その願望実現にいたいだけいて、そこからの満足を受け取ってもいいのです。
その一方、その次元の“スピリチュアル”だけで生きていると、それ以上の上昇を頭打ちにもします。そして、もしも健全に、ある領域での発達が徐々に目覚めているのであれば、そこに居続ける事が辛くなってくるでしょう。第3身体的な成功と敗北の極を、振り子のように動かされ続けるのですから。
この分離の痛みを感じる事も、第3身体の弱さの極を許す事も、人によっては、変性と上昇が起こる上で、必要な通過のプロセスだとも言えるのですね。
第3身体のビジネスマインドやポリティカルマインドを使い、スピリチュアルを表層的に取り入れる事は、裾野に広げるという役割も担っています。
ただ、もしも魂が24金に焦がれているなら、そこから更に進んでいくしかありません。
高位身体の次元は、表層で受け取られる事はありません。それらは、言葉や行為の情報を超えたところで、「伝達」されるのです。
ちょっと乱暴な言い方かもしれませんが、高位次元から見れば、表層に現れている行為の内容は、何をしていてもあまり関係ないのですね。
言いかえるなら、受け取り手の「志」に見合ったところのものだけが、その人自身に依り、受け取られるとも言えるのでしょうか。
また、それと同時に、スピリチュアルなある領域では、たくさんの“混ぜ物”があると、結果的に、あまりいい影響を与えない事もあるのです。
例えば、自然界の神聖な領域は、私達人間のように、全体から分断した複雑な欲望から、考えたり行為する事はありません。この部分で人が自然界を扱うと、たとえ表層では“成功”の様相を示していたとしても、既に人は“敗北”しています。
そして、どんな時にでも、自然界は勝利しているのです。
欲望の檻の外に在って、「第3の眼」から観照するアプローチは、東洋で発達してきました。
今のありのままの現実をそのままに、状態に依らないありのままを見る事。「第3の眼」は、状態を格付けしたり、条件を取捨選択する事とは無関係に、物事の成り立ちや起こりようの全体を、ただ見守るのです。
つまるところ、その観照は、西洋がどうの東洋がどうのといった分離の思考を突き抜けた、メタな眼差しなのですね。
そして、興味深い事に、心理でも霊的な道でも、東洋でも西洋でも、上昇の段階を進んでいくと、いつかは、枠組みの違いを超えたメタな領域に開かれ始めるのです。
だからこそ、第3身体次元の縛りが解かれていくであろうこれからの時代、日本で育まれてきた、自然界を打ち負かしてきたのとは違う在り方が、どんなふうに世界へのギフトとなっていくのか楽しみにしています。
ひとりの人としての一生は、短いものです。
「今の自分にとって、何が本当に最も大切か?」の問いかけに、自分という存在の核の近いところで振動する事は、自然にメタな次元へと目覚めていくきっかけとなるでしょう。
誰にも内在するその乾きを呼び起こし、喜びと共に生きる事。
表層的なスピリチュアルな言葉や行為からだけでは、中心近くからの呼び覚ましは起こりません。高位身体の実体験からくる伝達を通して、それは起こるのです。
実際、高みを実体験し、ワークや役割を通しての伝達を意識化している人達は、スピリチュアルな世界でもそんなに多くはないのかもしれません。
そして、高みへの乾きによって出会いが起こり、出会いを通して伝達というものが起こる事から、徐々に変化してきてはいますが、現段階においては、爆発的に一般受けする事もあまりないのかもしれません。
ですが、第3身体の次元で生き続ける事はよくない、という意味ではありません。「第3の眼」から見ると、この世界のあらゆる要素は、自分自身の内でもあり、究極に内包されるものなのです。
この多彩な世界を今世生きている中で、私自身が意識している事は、高みへの探求です。
この24金には、第3身体の成功と敗北のマインドゲームや、妥協や嘘が混じり込む事は出来ません。もし、人生の中で、意識の高みの体現と出会ってしまったなら、魂は、その体現から伝達された「何か」を、知らなかった頃には戻れないのです。
例えば、マウントフジフラワーエッセンスを通して、エネルギーワークを通して、高みへと、縁ある人達と互いに開いていく事も、探求のひとつの現れです。
勿論、この世界でのあらゆる役割がそうであるように、エネルギーボディ(サトルボディ)も、チャクラも、「本当の」私達自身ではありません。ですが、この世界の何らかの糸口を通して、あらゆるものの核にある「何か」の伝達を、探求していきたいと願っているのです。
それが、私の第3身体の背後にある、願いでもあるのかもしれません(!?)
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(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2011年2月23日配信号内 第111回目の原稿より 第7身体―19》
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、第7身体とその周辺の探求を続けていきましょう。
前回、自己イメージを司る第3身体は、今、自分が体験している状況や、今の自分自身の状態が、外的であれ内的であれ、現実とは違ったものであってほしいという欲望故に、非常に緊張しているといった話をしました。
第3身体には、これら現在のものだけではなく、遠く遡った過去からの欲望も詰まっています。「起こっているありのまま」と「願っている自己イメージ」との差異によって生じた分離、葛藤、対立―その固い緊張が、輪廻転生の長い時を経て貯められているのですね。
通常、私達は、「起こっているありのまま」を「願っている自己イメージ」に変えようと、様々な努力を試みます。願望実現からポジティブシンキング迄、変える為の方法を書いた書物が実にたくさん存在する事から、いかに多くの人達が、古くから、この次元で生き辛さを感じているかが想像出来ます。
ですが、本当のところは、これら多大な努力故に、私達は、ますます第3身体を、分離と緊張へと向かわせてしまっている事が少なくありません。
とりわけ、スピリチュアルな領域をはじめ、ビッグエゴ程、こういった努力にエネルギーを消費する事に対して、盲目になる事があります。
そんな第3身体で起こっているエネルギー状態に気づいているには、第6の次元に通じる「第3の眼」との橋架けにより、覚めている事が大切です。
「第3の眼」を開く質は、よい方向に変えようと努める事とは違います。
マインドの縛りからの自由にとって、努力は、機能しないのですね。言い替えると、自由にマインドを使うには、第3身体の行為とは異なった視点が役立つ、という事です。
「起こっているありのまま」と「願っている自己イメージ」との分離の次元から見れば、確かに実在する“物事が起こる原因”というものは、上位身体の次元には存在しないのです。
―というか、あるとかないとかすら言えないのですね。
しかしながら、第3身体の分離は、状態を変化させたりコントロールしたりする努力なく、統合へとシフトしていく潜在性を携えています。
第3の次元の「成る事」から、第6の次元の「在る事」へ―。
実際、「統合」とは、第3身体の高みに隠された可能性です。
変えようとする欲望も含め、「第3の眼」から観照する事で、分離、葛藤、対立による緊張は、くつろぎへとほどかれていきます。
ありのままを観る眼差しは、真偽を判断しようとする、際限のない思考活動からは自由です。
それは、何の大義名分もない、ただの「信頼」とも呼べるかもしれません。
スピリチュアルな世界には、いわゆる“超常的な第3の眼”のパワーを求める人達が少なくありません。
でも、彼等をリーディングすると、表面上は、過去世やオーラを見たい、といった第3の次元からくる欲望があったとしても、それらのもっと深い層には、物事の真理や本質を見抜きたい、心眼を開きたい、といった情熱の炎の燻りが認められる事がよくあります。
そういった点から見るなら、“超常的な第3の眼”を開く事に惹かれるのは、スピリチュアルなプロセスにおける自然な流れだとも言えるのかもしれません。
見ているもの、体験しているものへの疑いは、私達を、真実の深み、本当の事を知りたいという渇望へと向かわせてくれるのです。
つまり、どこかで私達は、“幻想”に気づいているのですね。
第3身体の次元は、移り変わる色のような次元です。この、動く次元の中から物事や自他を見る事は、サイキックな事柄も含め、“思考活動レベルでの原因追究”の一種だとも言えます。
それは、自分自身との間で、あるいは他との間で、対象との分離と葛藤の中に居続けるという事でもあるのです。
下位身体の次元を超えて高みへと進んでいくには、下位身体次元の言葉で言うなら「人生を根本的に変容し、痛みを繰り返さない幸せな生き方」を実現するには、「意識」に働きかけるワークが役立ちます。
集合的にみて第3身体の次元にいる今の文明世界では、そういったワークをしている人達は、私の知る限りではありますが、世界でもそう多くはいませんし、広く一般的にはなっていないと思います。
ですが、少しずつ変化は起こってきていると感じています。
「マウントフジフラワーエッセンス講座」では、 “超常的な第3の眼”の部分的開発ではなく、観照の在り方を体得していきます。
第3身体次元の欲望が、自分に属するものではないという理解は、道を進む人達のスペースを広げ、人生を楽にしてくれます。
「マウントフジフラワーエッセンス講座」に来られた方や、この連載を読まれた方で、人生の辛い時期にいた方から「救われた」といったフィードバックを頂く事がよくあります。
でも、誰か個人が救えるわけなどありません。
その気づきは、誰のものでもなく、どこにも属するものでもなく、誰かの特別な能力に依るものでもありません。
救われるのに、何らかの権威が、その人と変化との間にいなければならない必要性はありません。
その方の意識の視点が、変容しただけなのですね。
そして、その変容の振動は、この世界の励ましにもなるものです。
前回、スピリチュアルな領域においても、第3身体次元を満足させるマネーゲームやポリティックスとして成り立っている事があると書きました。
お金や政治は、人間の文明世界で起こる現象であり、第3身体の次元に属しています。“文明的な人間”とは、第3身体が発達した段階でもあるのですね。
動物も植物も、彼等自身が生き延びる為にお金を使う事はないですし、複雑で政治的な策略もありません。
マウントフジフラワーエッセンスの花達が、何故、行為する事なくひとりでに人を癒し、変えていくのかの鍵も、こういったところとも関係しているのかもしれません。
興味深いのは、その人が変わった事について、たとえそれが大きな変化であったとしても、あまりにも自然にそうなったので、おおごとに捉えていない事もあるという事。また、思い当たる変化の理由を論理的に説明出来ない、といった事も少なくありません。
この、“何かをした”といった貸し借りの感覚を伴わない変化は、花達ならではのギフトです。
マネーゲームやポリティックスといった第3身体の集合的な次元には、自分自身との、あるいは他者との分離、葛藤があります。
思考活動による疑い、信頼の不在は、通常ならすんなりと進む事柄に対してすら、疑う事や信頼出来ない事の原因を見つけ、自ら自分自身や他者との関係をこじれさせる事もあるでしょう。
それは、ハートのドアの存在が、見えていない状態とも言えます。
第3身体を超えていく、もうひとつの可能性は、ハート。
反抗期のステージからハートの次元へと上昇しようとする時、私達の多くに、「恥ずかしさ」の感覚がやって来る事があります。それは、自分自身の言動に気づいた時、まっすぐに天を見られないような、自分を恥じ入る感覚とも似ています。
地上から天の次元への上昇は、天をまっすぐに見る事で起こるのですから。
ハートには、どんな時にも何の問題もありません。
自己正当化が起こっている時は、まだハートのドアが見えていないというサインです。
でも、ハートのドアを見つけるのは、とても簡単です。
それは、地上の私達の誰もに内在する、天と地を結ぶ可能性なのですから。
【大切なお知らせ】
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《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2011年4月6日配信号内 第112回目の原稿より 番外編》
このたびの東北関東大震災にて被災に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
また、尊い命を無くされた方々のご冥福を、謹んでお祈り申し上げます。
今後の暮らしに、一刻も早く安らぎと安心がもたらされます様、皆様方のご健康と一日も早いご復興を、心よりお祈りしております。
微力ではありますが、ハートサポートシステム(有)、日本フラワーエッセンス協会として、出来る支援をしていきたいと思っております。
こんにちは、パビットラです。
今回は、いつもの連載を変更し、ハートサポートシステム(有)、日本フラワーエッセンス協会で行っている東北関東大震災の支援について、お知らせさせて下さい。
現在、私達は、「フラワーエッセンスの無料提供」の支援を行っておりますが、フラワーエッセンスの特殊性から、まとめて避難所等にお送りしても目的が達せられない可能性がある為、個別直送という「草の根レベル」の体制を取らせて頂いております。
ですが、交通や通信の状況から、この情報自体を知る事が出来ない被災者の方々も多くおられます。少しでも広く役立てられるよう、このメルマガをご覧になっている全ての方々に、お願い申し上げます。
被災地のご家族やご友人に、この情報を知らせて頂ければ幸いです。
また、もしよろしければ、ブログ、ツイッター、リンク、口コミ等、思いつく様々な方法でこの情報を発信して頂ければ、また、情報発信をお願いして頂ければ、大変ありがたく存じます。
●東北関東大震災で被災された方々への支援
マウントフジフラワーエッセンスの「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」のオーラスプレー(オーラに噴霧する外用タイプ)200本を、無料にてご提供致します。
今後の状況によって、提供本数を増やす予定です。
http://www.floweressence.co.jp/Sinsai.html#3
●サイト内、「震災サポート」にて、現在行っているその他の支援も掲載しております。今後も支援の内容が増える予定です。
http://www.floweressence.co.jp/Sinsai.html
被災者の方々へのマウントフジフラワーエッセンスのご提供として、大震災という大きな体験を乗り越えていく事に役立つ「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」を選ばせて頂きました。
個人的にも集合的にも、また、時間や環境の側面においても、自他を癒していく事が出来るこのボトルは、今の状況に対して、広い領域かつ深い次元で役だってくれるかと思っています。
東北関東大震災は、3月に起こりました。
3月は、日本では、卒業、進学、進級、就職をはじめ、ひとつの段階を終えて新しい段階へと進む、節目となる月です。
「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」も、人生で遭遇したとてつもなく大きな節目、そして、そこからの再出発という、「人生の3月のステージ」に役立つボトルです。
花のエネルギーの直接的な説明ではないない為、また、開発者自身の個人的内容も含まれる為、公的にはお伝えしていませんでしたが、「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」には、3月という月が携えている特殊なエネルギーがインプットされています。
このボトルを生成するプロセスで起こった、幾重ものシンクロニシティを背景に掲げながら。
過去の癒しの技法のひとつに、現在の状態の原因となった過去より前に遡り、痛みを感じる事なく癒す方法があります。
バランスのとれた3月という時のエネルギーを帯びた「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」を震災の癒しに使う事も、ある意味、それらと似た作用が付加される事にもなるでしょう。
「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」は、単体の花のエネルギーをインプットした72種類のマウントフジフラワーエッセンスの「ストックボトル」から、何種類かをミックスして開発された「コンビネーションボトル」の一種です。
ちなみに、「コンビネーションボトル」には、飲用とオーラ外用の2種類が作られています。
他の「コンビネーションボトル」と違う点は、この「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」だけが、72種類の「ストックボトル」以外の花のエネルギーもインプットされている事です。
その花達、ハクモクレン、ハナダイコン、ミツマタの3種類は、全て3月に開花します。特別な背景を持つこのボトルに、3月に開花する花以外を使う事は、あり得ませんでした。
「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」は、「3」月に開花する、「3」種類の花のエネルギーを特別に加えて、「3」月に作られたボトルなのです。ミツマタという花の名前にも、「3」という数が関わっていますね。
「3」という数は、ユニークです。
三位一体、三種の神器等、古今東西のスピリチュアルな領域において、とても縁が深い数だと言えます。
また、割算できれいに2つに割れる「2」に対して、割りきれない「3」。そこには、分かつ事の出来ない統合、完全性、強さが秘められています。
それは、「2」が持つ分離と対立を超えて誕生した、「2」元性の次元からは知る事の出来ない、新しい強さ、力です。
私達が、二元性という対極の次元を超え、相反するものを統合し、新しい第3の選択へと成長する時、破壊と創造のたくさんのエネルギーが動きます。
それは、今迄には存在しなかった、全く新しいものが誕生する時の大きな大きなシフト、死を通して生まれた出産のプロセスのようです。
この数字のマジックから見ても、「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」には、個人的にも集合的にも、対極を超えて再誕生する、というテーマが隠されている事が、見えてくるでしょう。
このボトルには、3月の真ん中である15日〜彼岸明けの時のエネルギーがインプットされています。
3月15日は、涅槃会です。
涅槃会とは、お釈迦様が入滅したと言われる陰暦の2月15日、あるいは新暦の1カ月遅れの3月15日に行われる法会の事です。
「涅槃」とは、サンスクリット語のニルヴァーナの事であり、エネルギーボディ(サトルボディ)の第7身体(ニルヴァーナ体)の究極の次元、不生不滅、迷いのない悟りの境地を意味しています。
また、春のお彼岸は、春分の日をはさみ、その前の3日と後ろの3日の間にあります。
「彼岸」もまた、迷いや苦しみから自由になり、解脱した悟りの世界を表しています。
春分の3日前は彼岸の「入り」、3日後は彼岸の「明け」。その真ん中にある春分は、彼岸の「中日」とも呼ばれています。
異なる次元への敷居を跨ぎ、中心を経て、敷居を出て再誕生する事。
春を分ける春分の日には、太陽が真東から昇り、真西に沈みます。対極の動きの中で、昼と夜という対極の長さは、等しくなります。
上と下、苦と楽、有と無、善と悪、死と生、光と闇・・・二元性のこの世界の全てのものは、対極がある事で、バランスが成り立っています。
春分は、一方だけに偏らない事の現れであり、更には、二元性の囚われを超え行く「中道」の象徴でもあります。
「中道」とは、対極のどちらにも依る事のない在り方、対極を超えた第3の選択だと言えるでしょう。
このボトルの別の特殊性として、花以外のエネルギー(便宜上、ディヴァインと名付けています)がインプットされているという点があります。
ですが、このディヴァインは、3月特有の仏教的な枠組みの中にあるエネルギーを意味していたり、そういったエネルギーをインプットしているといった事ではありません。
時のエネルギーと寄り添いながらこのボトルが誕生していった時、自然に、3月のエネルギーと縁が深くなってしまったのです。
3月15日は、開発者にとって、最愛の存在が肉体を離れた特別な日でした。
そして、3月21日は、その存在の誕生日であり、開発者自身の第2の誕生日でもあり、尊敬する師の第2の誕生日でもあったのです。
これらのどれもが、3月に起こった、無条件の愛を頂いた事の感謝と祝福です。
最愛の存在が肉体を離れた事が、このボトルが誕生した直接のきっかけでしが、結果的に、そこには、誕生、死、そして、全く新たな誕生という3つの時のエネルギーが、地上の体験とのシンクロニシティの中、インプットされる事となったのです。
(注)肉体の有無に関係なく、いわゆる聖人かどうかにも関係なく、例えばブッダ、大天使ミカエル、鈴木太郎(実在していたらごめんなさい)といった特定の名付けとなるような、個的な枠組みに属するエネルギーは、マウントフジフラワーエッセンスには入っていません。
そして、2011年4月より、「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」には、ヴァージョンアップされたディヴァインのエネルギーがインプットされてもいます。
このボトルを使う時、内側で、エネルギーの方向性を明確にする事(クリア―な意図や願いを持つ事)により、働きかけがよりパワフルかつスムーズになるでしょう。
また、今回のような震災が起こると、他の大地震や富士山の大噴火が話題となりますが、マウントフジフラワーエッセンスは、富士山とその周辺に咲く花々のエネルギーから創られています。
富士山のように美しく気高い山は、他には見られません。今の美しい霊峰富士を見られるのは、私達日本人が、この富士山と同じ時代に生きているから。いつか未来に噴火したなら、その時には、あの美しい姿ではなくなっているかもしれないのです。
私達人間にも、富士山という火山にも、生老病死があります。
共に生きているこの時代に、美しい富士山のエネルギーをフラワーエッセンスの形態を通してインプットし、エネルギーとして継承していく事もまた、マウントフジフラワーエッセンスの役割なのかもしれません。
富士山の守護神は、アマテラスオオミカミの命により天から地に降りたニニギノミコトの后、コノハナサクヤヒメです。
炎の中で3人の皇子を出産し、富士山の噴火、山霊を鎮めた美しいこの神様は、水徳の神であり、火難消除の神でもあります。
今も大変な作業に追われている原発も、水のエネルギーで、火を鎮める事をしています。ちなみに、炎症ややけどといった熱を持つ状態は、火の要素であり、感情的には怒りとつながっているとも言われています。
個を超えたところでは、私達は繋がっています。
だから、時空を超えたところで、何かしらのつながりが見出されたとしても、不思議ではないのかもしれません。
もっと個人的なところでは、今回の大震災の前に、大地震とそれに続く原発の予知夢を観たり、クライエントさんから「この前のセッションで大地震を予見していましたよね」と伝えられたりと、色々と思うところがありました。
大地震の前に予約していて3月に訪れた旅行先にも、訪れる意味がありました。
それ以外のところでも、たくさんのシンクロニシティが起こりました。
こういった事が紐解かれていく時、個としての自分を超えたところで、何かに動かされているという感覚があります。何の根拠もなくても、そこには論理を超えた「確かさ」の感覚があるのですね。
ですが、同時にこれらは、個人の内的体験であり、現実世界の“客観的な正しさ”とはまた違ったものです。
マウントフジフラワーエッセンス、そして「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」が持つ幾重ものエネルギーの働きかけ、その背後にある誕生のいきさつを感じたなら、今回の大震災にどう役立つのかはボトル自身が知っていて、開発者自身も、それを受け取っているのでしょう。
使用者とボトルの間には、どのような“他者からの教え”も必要ないのですから。
今は、目の前の今日一日をどう生きるかに寄り添い、その時々に役立つ実際的なサポートをする事が、最優先されるのだと思います。
でも、それでも、個を超えたところで、私達は繋がっています。
「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」は、生死という二元性を超えたところに働きかけます。
この世界に生まれおち、生老病死や喜怒哀楽という動きと変化の中で、私達は生きて、死んでいきます。
同時に、私達は、それらを超えた、生まれる事も死ぬ事もない、何によっても傷つけられたり損なわれたりしない存在でもあります。生まれる事と死ぬ事と、その間で起こるあらゆる体験の全ては、それらに抱きしめられ、受け入れられ、いつでもどんな時でも、許すという認識すらないところで、全面的に許されています。
どのように生きても、どのように死んでも、いつ死んでも、そういった事によって決して影響される事の永遠。
このボトルは、その次元へと開いているのです。
「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」は、自分の存在や生命がぐらつくかのような大きな喪失体験、死に値するような経験をした時に役立ちます。
死の体験を乗り越えていく為のこのボトルは、肉体を離れた存在、見送った存在の双方に役立ちます。
個を超えたところへと開かれた、出来事によって損なわれない「何か」とつなげてくれるエネルギーだからこそ、一日一日を懸命に濃密に生きている時、地上で生きる力、困難を乗り越えていく力を保つ拠り所となってくれるのです。
【大切なお知らせ】
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人のこころを扱うプロとして必要な技法や態度の学習を、短時間でインスタントにカバーする事は不可能です。不十分なセッションを行う事で、クライエントを害したり傷つけたりする事にもなります。結果的に学び直す事となり、遠回りにもなってしまいますので、ご注意の上、常識的で懸命なご判断をなさって下さいますようお願い致します。
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「ハートサポートシステム(有)」の各「基礎講座」で習得する理論と技法は、プロ仕様の基礎的レベルの実践を、各該当ブランドについて詳細にカバーしております。また、各「プロ養成講座」は、セラピー現場での実践力がとても高い内容となっております。エネルギー的見地においても、段階的な準備の元、適性を積み上げていくプログラムともなっております。
これらの内容からみても、必要な段階を踏んでいない状態で、編入頂く事は不可能です。弊社での編入の受け入れは出来かねますので、どうかご注意頂けますようお願い致します。
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「ハートサポートシステム(有)」との卸取引をスタートなさる為に、他団体の講座を受講し、紹介してもらうといったシステムは設けておりませんし、必要ではないものです。どうかくれぐれもご注意下さいませ。
★もし、これらの問題に関してお困りの事、分からない事がございましたら、どのような事でも構いませんので、ご遠慮なく弊社にご相談下さいませ。
★【質問18】と【質問19】も参考になさって下さい。
★卸のお取引をご希望の方は、こちらをご覧下さい。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2011年5月18日配信号内 第113回目の原稿より 番外編》
こんにちは、パビットラです。
今回も、いつもの連載を変更し、ハートサポートシステム(有)、日本フラワーエッセンス協会で行っている東日本大震災の無料支援について、お知らせさせて頂きたいと思います。
様々なところで行われている支援ですが、状況からみて、おそらく長期の活動となるでしょうし、支援内容もその時々で変化していくかと思います。
ハートサポートシステム(有)、日本フラワーエッセンス協会も、出来る支援をしていきたいと思っております。
前回、マウントフジフラワーエッセンス200本の無料提供を、被災者の方への個別直送という「草の根レベル」の体制で行っている事を書かせて頂きました。当時の通信や交通の状況からみて、また、フラワーエッセンスの特殊性からみて、まとめて避難所等にお送りしても、適切に活用されない可能性があったからです。
現在は、個別直送を続けると共に、状況が少しずつ変化し、被災地に直接入ってのボランティア活動も活発になってきている事から、新しい支援を追加しています。
同時に、これらの情報自体を知る事が出来ない方々も、未だ多くおられる状況でもあるかと思います。少しでも広く役立てられるよう、このメルマガをご覧になっている方々に、引き続きお願い致します。
役立つと思われる身近な人達に、この支援の情報を知らせて頂ければ幸いです。
また、もしよろしければ、ブログ、ツイッター、リンク、口コミ等でこの情報をお知らせ頂ければ、また、情報発信をお願いして頂ければ、大変ありがたく存じます。
●フラワーエッセンスの個別直送
マウントフジフラワーエッセンス「Prem Chivitraa(死後のプロセスに光をもたらす)」のオーラスプレー(オーラに噴霧する外用タイプ)200本を無料提供しています。
*こちらは、状況を見ながら、予告なく無料提供の本数を増やしています。
*被災された方への直送に限定させて頂いております。
http://www.floweressence.co.jp/Sinsai.html#2
●フラワーエッセンスの無料ワーク
日本フラワーエッセンス協会のバックアップを受けて、協会認定フラワーエッセンスセラピストが、フラワーエッセンスの無料ヒーリング(対面または遠隔で。人や環境に)、およびボトルの無料提供を行っています。
*被災されていなくても、震災を機に心身の不調が起こっておられる方にも、ご利用頂ける支援があります。
◎リビングライトエッセンス210本で無料支援
http://www.floweressence.co.jp/Sinsai.html#4
◎フラワーエッセンスオブザブッダフィールド200本で無料支援(第2弾)
http://www.floweressence.co.jp/Sinsai.html#9
◎支援者リスト
マウントフジフラワーエッセンス、バッチフラワーエッセンス、リビングライトエッセンス、フラワーエッセンスオブザブッダフィールドを使用し、無料ヒーリングやボトルの無料提供を行っている協会認定フラワーエッセンスセラピストです。
http://www.floweressence.co.jp/SinsaiA.html
東日本大震災から、2カ月余りが経過しました。
被災された方々から、何とか少し落ち着いてきた、自分も支援をしていきたい、サロンを再開しようと思っている、といったご連絡を頂くようになってきました。でも、地域によっては、まだまだ落ち着けない状態の方も、多くいらっしゃいます。
被災地から遠いところに住んでいたとしても、日本中の人達が、日々、今回の状況を見聞きし続けています。自分が根付くこの国で起こっている現実を、TVや新聞等から、目や耳の感覚器官を通してエネルギーボディ(サトルボディ)に吸収する事で、日本全体が揺さぶられています。
大きなショックは、エネルギーボディ(サトルボディ)を変形させ、縮こまらせたまま、凍りつかせます。意識上は自覚がなかったとしても、エネルギーボディ(サトルボディ)にインプットされたショックが解放される事なく留まったなら、数週間後くらいから、その影響が現れ始める事もあるでしょう。
とりわけ、子供達や繊細な人達の中には、情緒不安や不眠等が出ている人もいるのではないかと思います。
落ち着きや一貫性がなくなったり、明晰に考える事が出来なくなったり、逆に感覚が麻痺したかのように、動きが遅く鈍くなる人もいるでしょう。普段なら気に留めない事に過剰反応したり、非現実的な決断をしてしまう人もいるかもしれません。
また、いつも通りの日常を過ごしていても、ふと、何かに圧倒されるような感覚、現実感のない変な感覚がやって来る人もいるでしょう。
あの3月11日から、ある意味、日本は、それ以前の日本ではなくなりました。時を戻す事は出来ません。頭で分かっていても感情がその事実に追いついていけない時、このような、エネルギーボディ(サトルボディ)がうまく納まっていない状態を経験します。
エネルギーに敏感な人なら、様々なものを感じ取りすぎて辛い方もおられるのではないでしょうか。集合的に大きく動いている時期には、個人の内側の深いところ、古いところも大きく揺さぶられます。エネルギーボディ(サトルボディ)の下位の次元である本能的なものや感情も、動きやすくなります。
そんな時には、肉体を持ち、喜怒哀楽を感じながら生きているひとりの人間として、自然な反応をしている自分自身を許してあげる事も大切でしょう。
また、良くも悪くも、様々なメッセージをチャネルしやすくなる時期でもあります。ピシッと区切る事は出来ないかもしれませんが、外側の出来事を、自分の感情カタルシスに使って巻き込んでいないかどうか、覚めている事も大切でしょう。
感情や感覚は、私達のシンプルな指針になってくれます。でも、そこに違ったパワーが加わったり、盲目的に巻き込まれすぎてしまうと、指針として上手く機能しなくなるのですね。
ただ、シンプルに、普通に、気持ちや感覚を感じる事は、本当に大切なものが見えてくるきっかけにもなります。人本来の愛や幸せや喜びや、単純で基本的なものに立ち戻れば、自然と現れてくるものがあります。
それは、複雑で政治的な利害に気配りする大人マインドより、子供や動物の持つ純粋さや簡素さに近いのかもしれません。
今は、そういったシンプルで根本的な感覚へと、立ち戻りやすい時期でもあると思います。
その感覚を行動化する時、これからの日本は、どのように変わっていくのでしょうか。いずれにしても、その渦中を、今、私達は体験しているのです。
このような時期、マウントフジフラワーエッセンスやフラワーエッセンスオブザブッダフィールドを使ったり、ボトルを媒体としたヒーリングを受け取る事は、エネルギーボディ(サトルボディ)に留まっているショックを解放していく上で、非常に役立ちます。
微細な次元にも働きかけるマウントフジフラワーエッセンスは、外側の出来事で引き起こされた今の状態を癒していく過程で、より深く古い層にある自分自身のトラウマを、前世のものであれ今世のものであれ、同時に解放していく助けにもなります。
また、私達以外の命や環境もショックを受けているとも言えますが、マウントフジフラワーエッセンスは、動物、植物、鉱物、空間、場所の癒しにも有効です。
インドで開発されたフラワーエッセンスオブザブッダフィールドは、瞑想の次元と共に、現実に近い次元にも作用します。この時期、しっかりと身体に根付く強さ、安定、広がりを与えてくれるでしょう。睡眠のバランスが崩れていたり、緊張状態が続いている方には、とりわけ役立つでしょう。
水を媒体とした環境の浄化には、カナダで開発されたリビングライトエッセンスを使ったユニークな方法が有益かもしれません。
感受性豊かで受容的な水の元素の特質を利用し、キッチンの排水口、近所の河川等、今、自分が住んでいる場所の水にリビングライトエッセンスをたらし、エネルギーを拡散する事が出来ます。
遠隔で、ヒーリングしたい場所の地図、絵、見取り図等を媒体として使うのもいいでしょう。
ジェムストーンのエネルギーを基盤とし、大天使、7つの光線にも対応するリビングライトエッセンスは、オーラソーマ好きの方には、入りやすいブランドかと思います。
マウントフジフラワーエッセンス、フラワーエッセンスオブザブッダフィールド、リビングライトエッセンスを活用したヒーリングは、日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピストによる、被災者支援の無料ヒーリングでも行われています。
多くの人に、生命に、環境に、これらの無料支援を役立てて頂ければ幸いです。
一方、震災から時が経つほどに、私達のこころを響かせてくれる映像を見聞きする事も、日々、増えてきています。
日常が崩れ去るような出来事に対峙した時、私達は、今日も生きている事の尊さやありがたさに、気づかされます。
そして、辛い時期にいると、私達が持つ強さやふんばり、愛情深さや思いやりは、自然に発動しようとします。ひとりの個の内でも、人々という集合的な構造の中でも。
逆境の中で大いなるものへと開かれていくこの質は、日本人に、特に強いのではないかと思っています。
テレビを見ていて、震災や原発事故があった地に、再び花が咲いている姿を目にし、感動された人は多いのではないでしょうか。
浮き立つようなピンクの満開の桜、畑一面をイエローの光色に染めている菜の花、枯れた中から一生懸命芽吹いたカーネーション。
彼等の姿を見た多くの人達のこころを、どれだけ花達は動かしたのだろうか、と思ってしまいました。
花達って、すごい!!
花達は、私達を癒してやろうという作為や意図なく、ただ、その時が訪れて、ひとりでに花開いただけなのですね。どんな時にも、ただ、自然の変化にそのままに寄り添いながら。
彼等は、ただ、ありのままにそこに在るだけで、私達を深く動かします。勇気づけ、力を与え、慰め、ほっとさせ、落ちつかせ、安心させてくれます。
私達には、多種多様な好き嫌いがあります。でも、花が嫌いな人は、ほとんどいません。どんな国にいても、どんな時代に生きていても、どんな状況にあったとしても。
これって、すごい事だと思いませんか。
日常の様々な場面に、特別な時に、特殊な儀式に、花が使われ、それによってこころ動かされる事の、何と多い事でしょう。
きっと、私達の誰もが、花に内在する本質的な力をどこかで知っていて、その本質とつながる能力を、生まれながらに持っているからなのではないでしょうか。
マウントフジフラワーエッセンスには、日本に根付く花達が持つ、本質のエネルギーがインプットされています。だから、私達のエネルギーは、それを取り入れる事で花の本質と共鳴し、無理なく自然に変わり始めます。
過去を癒し、辛さを乗り越え、本来の自分らしさを取り戻し、望む現実を実現していく事をサポートしてくれるのです。
作為や意図が介在しない花のダイレクトで純粋なエネルギーは、ただ咲く花のように、私達がひとりでにほどかれる事を起こすのです。
そこに、時に人がしてしまうような追いつめや判断、感情やファンタジー、意味付けがないからこそ。
そして、花がもたらしてくれる本質的な力が、実は私達の内側に既にある事にも、マウントフジフラワーエッセンスは気づかせてくれます。
それは、努力や経験で獲得するモノやスキルとは違う、生まれながらに、私達の誰もに内在している「エッセンス」です。
だから、多くの方々が、マウントフジフラワーエッセンスを使っていると、「人生が変わる」と言われるのですね。それは、結果的に外側の人生に変化をもたらしもしますが、「自分が変わる」という事だと言えるでしょう。
―花の宇宙。
死のセレモニーや死後の節目に花を手向ける等、生きている時だけでなく、誰かが肉体を離れた後でさえ、私達は、花の本質に助けられています。
肉体を離れた人も、肉体を持っている人も、肉体を持つ準備をしている人も、どれだけ花達からの恩恵を与えられているでしょうか。
花の本質は、私達の肉体の生死を超え、私達の個の領域を超え、宇宙の中で伝えられ続けるのです。
私達は、自然に寄り添った生き方について、花や私達に内在する本質を生きる事について、今一度、振り返り、行動化していく時なのかもしれません。
【大切なお知らせ】
●「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
●各「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
●「ハートサポートシステム(有)」、「日本フラワーエッセンス協会」以外のところで、これらの修了証、認定証を発行している事実はございません。
●「日本フラワーエッセンス協会会員」以外に、師弟関係や協力関係のあるフラワーエッセンスのサイト、講座、スクール、個人はございません。
日本で最初にスタートした「ハートサポートシステム(有)」の講座に、名称が似ていたり、あるいは内容が類似していたり模倣しているものを、弊社(ハート
サポートシステム(有))オリジナル講座だと間違われるケースが起こっており ます。
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「ハートサポートシステム(有)」主催の「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)を受講または修了後、他団体の類似講座に編入する事で、「ハートサポートシステム(有)」の各講座で学んだ理論と技法を使ったセッションを行う資格、権利を得る事は出来ません。
プロとしての一定基準を保ち、活動を保護する上で、「ハートサポートシステム(有)」主催の各「基礎講座」と「プロ養成講座」を修了し、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する以外に、セッションを行う権利を得る方法は設けておりません。
人のこころを扱うプロとして必要な技法や態度の学習を、短時間でインスタントにカバーする事は不可能です。不十分なセッションを行う事で、クライエントを害したり傷つけたりする事にもなります。結果的に学び直す事となり、遠回りにもなってしまいますので、ご注意の上、常識的で懸命なご判断をなさって下さいますようお願い致します。
●お知らせ2・・・他団体からの編入の誤認について
他団体の基礎レベルのフラワーエッセンス講座から、「ハートサポートシステム(有)」主催の「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」に編入する事は出来ません。
「ハートサポートシステム(有)」の各「基礎講座」で習得する理論と技法は、プロ仕様の基礎的レベルの実践を、各該当ブランドについて詳細にカバーしております。また、各「プロ養成講座」は、セラピー現場での実践力がとても高い内容となっております。エネルギー的見地においても、段階的な準備の元、適性を積み上げていくプログラムともなっております。
これらの内容からみても、必要な段階を踏んでいない状態で、編入頂く事は不可能です。弊社での編入の受け入れは出来かねますので、どうかご注意頂けますようお願い致します。
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他団体のフラワーエッセンス講座を受ける事で、「ハートサポートシステム(有)」との卸取引の権利が得られるといった事実はございません。
「ハートサポートシステム(有)」との卸取引をスタートなさる為に、他団体の講座を受講し、紹介してもらうといったシステムは設けておりませんし、必要ではないものです。どうかくれぐれもご注意下さいませ。
★もし、これらの問題に関してお困りの事、分からない事がございましたら、どのような事でも構いませんので、ご遠慮なく弊社にご相談下さいませ。
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(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2011年6月15日配信号内 第114回目の原稿より 第7身体―20》
こんにちは、パビットラです。
2回に渡り、東日本大震災の無料支援のご案内と、それに関連した内容をお届けしてきました。今回から通常連載に戻り、マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、第7身体とその周辺の探求を続けていきたいと思います。
通常連載の前回では、そのままの現実とこうあるべきという欲望とのギャップが大きければ大きい程、第3身体の両極の葛藤と対立をもたらす事、それらを深く観ていくなら、今世を超え、輪廻転生を経て第3身体に刻印されている姿が見えてくる、というお話をしました。
そして、起こっている事を高みから見守るのが、第3身体の天の領域である第6身体の次元(と体験的に体系化しています)とリンクする、「第3の眼」だという事にも触れました。
私達には、個々によって、こうあって欲しいという惹かれる姿、イメージというものがあります。それらと現実とのギャップの間で、様々な事を想い、それによって様々な感情も生じてきます。
それらのパーソナルなイメージや想念や感情に巻き込まれず、ただ見守るのが「第3の眼」の機能なのですね。
第3身体次元の領域で辛さがある人は、ハートと共に、「第3の眼」の本来の機能を、瞑想を通して安全に発達させていく事は、楽に生きる助けとなるかもしれません。
イメージや、想念や、感情を、イコール自分自身と捉える事なく、観ている事。
そして、イコール自分自身と捉えている事、巻き込まれている事もまた、観ている事。
それは、何にも同化しない、素のままの、ピュアな「観る事」です。
通常、私達は、否定的なイメージ、想念、感情を変えようとしたり、なくそうとしたり、良くしようとしたりして、努力します。
でも、「観る事」は、そういった“努力”や“成長”とは無関係です。
「観る事」には、イメージや想念や感情、あるいは外側で起こっている事を、変える必要はないのです。
「観る事」は、変えようとする努力がいらない、とても楽チンな在り方です。
この在り方と親しくなったなら、世界や自分を変える事なく、世界全体の体験(者?)が変化していきます。
「世界や自分を変える事」を、もっと大きな「世界全体の体験」が抱きしめている事自身を体験します。
低位身体次元で起こる欲望と現実の葛藤、それに投入するコントロールや努力、これらが、何世にも渡り、私達に、あらゆる一時的な痛みや辛さ、時には達成感や快楽を、途切れる事なく引き起こしてきました。
この世界で過ごす一生涯、こういったドラマの変遷を、私達は一生懸命生きるのですね。
もし、私が空や星なら、あるいは天使なら、そんな人間達を天から見て、可愛くも愛おしい存在だと、大きなハートの翼で護りたくなるかもしれないと、ふと思ってしまう事があります・・・。
でも、「観る事」には、うまく表現出来ないのですが、個人という枠組みではない大いなる次元で、観る事そのものに在り、体験しているような、際限のない存在感のようなものがあります。
ハートの広がりの感覚よりも(そこはワンネスの座でもありますが)、もっと “私”という感覚がないというか、個人で観る領域ではないと表現すればいいのでしょうか。
この三次元世界で肉体を持っている個であるという事実に所属しながらも、同時に大いなる「観る事」を体験している、違う次元に同時に在る、とでも言えるのでしょうか。
「観る事」は、執着の停止や枠のない、ニュートラルなところで起こります。
「観る事」が成長していくと、観えなくなったとしても、すぐにまた眼を見開く事へと、自然に戻っていくようになっていきます。
結果的に、三次元世界で肉体を持っている個は、下位の次元の縛りから、天の次元の本質へと開かれていきます。
一時的な個に属さない高みへと、上昇します。
天と地がつながると、生きる事の可能性の視野が広がり、狭い視野の層で一生を送る事が、生のルールの全てではなくなっていきます。
東日本大震災から、たくさんの地の縛りの中で生きる事で、本能的な強さが揺さぶられています。それと共に、エゴを超えた次元も、揺さぶられています。
第1&第2身体、第3身体と共に、ハートを介して、第5身体、第6身体が刺激されています。
地にありながら、天に寄り添った自由へと上昇していったなら、生きるドラマの可能性が、変質していくかもしれません。
「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」で積み上げ(実は手放し)、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」で統合していく在り方、また、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」で学ぶセラピストの在り方には、「第3の眼」の機能とその瞑想性が、深く関わっています。
それは、一般的に言うところの努力や行為とは、違ったところで起こるものです。
だから、「この講座で何かを得たい」と期待して来られた方、「ここで自分を変えたい」と思って来られた方は、予想外のものを得たり、手放したり、想定外の領域で変わったりしていかれます。
例えば、第3身体のポジティブサイドへと突っ走って来た方にとっては、今迄の人生が180度転換するような実感を持たれる事が少なくありません。
二元性の中で制限されたエネルギーを使い、常にどこかで怖れを感じながら走り続ける頑張り方から、人生や自分との喜びに満ちた楽な付き合い方へと開かれていかれます。
とくに「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」では、瞑想という名称を使う事なく、瞑想の多彩な次元を味わうようデザインされています。花達の「Being」が傍らに在るだけで、今迄とは違う層での変性が起こり始めます。
参加者の方も提供者も、毎回、小さな死と再誕生を繰り返しながら、上昇のプロセスでの変性を体験していきます。
でも、もし、提供者が、いわゆるビジネスやセルフラブの第3身体の層からだけ “やっている”なら、花のエネルギーの本質が開かれる事を、邪魔してしまうだろうとも感じています。
第3身体のいわゆる“幸せ探し”は、“私”が降参しないうちは延々と続きます。
世間では、癒しや精神世界も含めて、たくさんのイメージが戦略として使われ、私達の第3身体や第2身体は反応させられます。
“私”の欲望を刺激する “イメージ戦略”の層では、表層の来ては去っていく対象は変わっていきますが、根源的な痛みや緊張は、深いところで留まり続けます。時間と共に変化する欲望は、“私”に、“安心な幸せ”を与えてはくれないのですね。
そして、「観る事」を通しても、エゴが想像する “安心な幸せ”は、決してやって来ません。
残念ながら!
そこで受け取るのは、エゴの想定外のものなのですから。
変化は、「動きのないところ」、「分裂のないところ」からスタートします。
根本的な変化に焦がれるなら、スタートしたいなら、ここに戻ってくる事が、実は近道です。
そして、その最も安全な最初のドアは、多くの人の場合、天と地が出会う座であるハートです。
通常連載に戻り、今回からハートのお話をする予定でしたが、長くなってしまいました。
そんなわけで、次回は、ハートのお話をしてみたいと思います。
【大切なお知らせ】
●「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
●各「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
●「ハートサポートシステム(有)」、「日本フラワーエッセンス協会」以外のところで、これらの修了証、認定証を発行している事実はございません。
●「日本フラワーエッセンス協会会員」以外に、師弟関係や協力関係のあるフラワーエッセンスのサイト、講座、スクール、個人はございません。
日本で最初にスタートした「ハートサポートシステム(有)」の講座に、名称が似ていたり、あるいは内容が類似していたり模倣しているものを、弊社(ハート
サポートシステム(有))オリジナル講座だと間違われるケースが起こっており ます。
こういった事実は全くございません。
以前からたびたび苦情やお問い合わせが来ております為、どうかご注意頂けますようお願い申し上げます。
●お知らせ1・・・他団体への編入の誤認について
「ハートサポートシステム(有)」主催の「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)を受講または修了後、他団体の類似講座に編入する事で、「ハートサポートシステム(有)」の各講座で学んだ理論と技法を使ったセッションを行う資格、権利を得る事は出来ません。
プロとしての一定基準を保ち、活動を保護する上で、「ハートサポートシステム(有)」主催の各「基礎講座」と「プロ養成講座」を修了し、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する以外に、セッションを行う権利を得る方法は設けておりません。
人のこころを扱うプロとして必要な技法や態度の学習を、短時間でインスタントにカバーする事は不可能です。不十分なセッションを行う事で、クライエントを害したり傷つけたりする事にもなります。結果的に学び直す事となり、遠回りにもなってしまいますので、ご注意の上、常識的で懸命なご判断をなさって下さいますようお願い致します。
●お知らせ2・・・他団体からの編入の誤認について
他団体の基礎レベルのフラワーエッセンス講座から、「ハートサポートシステム(有)」主催の「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」に編入する事は出来ません。
「ハートサポートシステム(有)」の各「基礎講座」で習得する理論と技法は、プロ仕様の基礎的レベルの実践を、各該当ブランドについて詳細にカバーしております。また、各「プロ養成講座」は、セラピー現場での実践力がとても高い内容となっております。エネルギー的見地においても、段階的な準備の元、適性を積み上げていくプログラムともなっております。
これらの内容からみても、必要な段階を踏んでいない状態で、編入頂く事は不可能です。弊社での編入の受け入れは出来かねますので、どうかご注意頂けますようお願い致します。
●お知らせ3・・・他団体からの卸取引の紹介の誤認について
他団体のフラワーエッセンス講座を受ける事で、「ハートサポートシステム(有)」との卸取引の権利が得られるといった事実はございません。
「ハートサポートシステム(有)」との卸取引をスタートなさる為に、他団体の講座を受講し、紹介してもらうといったシステムは設けておりませんし、必要ではないものです。どうかくれぐれもご注意下さいませ。
★もし、これらの問題に関してお困りの事、分からない事がございましたら、どのような事でも構いませんので、ご遠慮なく弊社にご相談下さいませ。
★【質問18】と【質問19】も参考になさって下さい。
★卸のお取引をご希望の方は、こちらをご覧下さい。
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2011年6月29日配信号内 第115回目の原稿より 第7身体―21》
こんにちは、パビットラです。
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、第7身体とその周辺の探求を続けていきたいと思います。
前回は、「第3の眼」の「観る事」が、世界や自分を変える努力なく、人生の体験(者)を変容するといったお話をしました。
「観る事」は、時には「気づき」とも表現され、セラピーや癒しの領域で、多様な意味合いで使われています。
この連載で伝えている「観る事」とは、知的活動、積極的活動、また、受容的活動でもなく、“個人”の行為や状態とも言えないものです。
「観る事」であれ「気づき」であれ、高位身体の次元を “意味付け”して言語化するなら、その作業故に、象徴や比喩の元にある水源からの振動が、変形されたり、カットされて伝わってしまうものです。
鎮まったマインドはそこにありながらも、意味付けの敷居に入るか入らないかのところの、個に属さない狭間を通して受け取られるもの。
個が様々な体験に同時にいながらも、それらに属さない空っぽさ、沈黙を、それ自体として体験している時。
振動は、そんなノーマインドの「ほころび」から入ってくる事もあります。
「第3の眼」の在り方ともつながるこの状態を、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」では、回を追って、エネルギーボディ(サトルボディ)の段階を上昇しながら探求していきます。
それは、「観る事」を、出来る限り正確に言語化しようとするマインドの場ではなく、「ほころび」からの振動に微妙にでも共振する事からスタートする、感得の場なのですね。
それは、活動や時間軸の変化の中で捉える、習う事の出来る態度や技法とも違ったものです。習うという表層の変遷や道のりの背後で、瞑想を通して、トランスミッションを通して反響している体験のようなものです。
興味深いのは、第3の眼の「観る事」による何も変える事のない変質が、地上でパーソナルに生きる次元で、結果的に役立つものになってしまうという事。
生きる事の彼方の次元が、生きるドラマのチャンネルをシフトするのですね。
通常、私達は、感情を乗り越えていく為に、第3身体を活性化させます。正しい―間違っているというところから、コントロールします。その分別を、人間的成長と呼んだりもします。
高位身体へと上昇していくと、正しい―間違っているというところとは別の、新しい在り方が生まれます。
このシフトへの安全で簡単な最初のドアが、多くの人の場合、天と地が出会う座であるハートなのですね。
ハートは、第3身体が行うネガティブからポジティブへの動きのようなものではなく、ネガティブもポジティブも、メタポジティブな在り方で包み込みます。全面的な承認で、ただ、ありのままを受け入れます。
だから、ハートは、そこと本当につながったなら、誰にとっても、無条件に居心地のよい状態を与えてくれる座です。
ハートのスペースに酔っぱらっている時、私達は、何の問題もないと感じ、喜びを持って、何であれ全てを受け入れられます。
世界全体にYESを言いたくなる至福感や、全ての人が愛おしく抱きしめたくなる母性的愛の感覚。
おそらく誰もが、人生の中で、これと似た体験を、何度となくしているかと思います。例えば、何かが上手くいった時や、愛する人が出来た時に。
第2チャクラのエネルギーがハートへと上昇する時、私達は、こういった状態を体験します。
また、第2チャクラとハートがつながると、インナーチャイルドは、大きく癒されます。
心理次元に作用にするバッチフラワーエッセンスを扱う「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」の後半では、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」に進級する人への準備としても、この部分を癒しておくワークを行います。
―下位身体から、ハートへの上昇。
下位身体に近いところで起こる、これらのハートの無条件の承認や赦しの状態は、ある種の内的活動だと言えるでしょうか。
それは、現実を生きていく上での支えともなってくれるのです。
下位身体では、意識を向けたところ、願うゴールへと私達は進もうとし、その次元が力付けられます。安定した家庭でも、美しい容姿でも、ビジネスの成功でも、特殊な能力の開発でも、大いなる覚醒でも。
前回“安心な幸せ”と表現したものを求める思いは、私達を地に留め、生きる為の原動力となってくれます。
ポジティブであれネガティブであれ、何らかの思いを持つ事で、私達の活動は生じるのですね。肉体的にも精神的にも。
そんな思いは、集合的にみても、この世界を動かす巨大な発電装置のようです。(今の時期、これを電力として使えればいいのですが。もしかしたら、この世界以外のエネルギーに、既に活用されているかもしれません。)
また、大震災後等、不安定になった時期には、下位身体とハートとの間で起こるエネルギーの交感で、ある種の楽観性が動きやすくもなります。それは、下位身体の引力の影響下で、永遠の幸せを夢見るような感じでしょうか。
これもまた、一時的であれ、生きていく私達を護ってくれるものです。
今の時代、集合的にみて、第3身体からハートへと上昇しようとしています。だから、愛、幸せといったところから上位身体へと更に上昇するのは、もう少し先かもしれません。今はまだ、一部の瞑想者、探求者が探っている領域だと言えるでしょう。
―ハートから、上位身体への上昇。
ハートの自由で自在な活動を包み込むようにしながら、活動は、止んでいきます。
だから、ハートには、希薄で軽い、制限のなさというか、違った感じがやって来ます。
承認や赦しを留めようとする引力も、なくなっていきます。
ハートから上位身体へと上昇する時、ハートは、肉体を超えた次元への最初の架け橋となります。
それは、肉体を持って生きながら、そこから「降りる事」です。
私達の誰もが、肉体を持った個として地に生きながら、「肉体なく」天に在る事が、同時に起こる潜在性を秘めています。
これこそが、肉体を持つ誰もに、既に在る大いなる可能性です。
でも、それを下位身体が見上げるなら、生き生きとしていない、あたかも死んだかの状態だと想像するかもしれません。
実際、それは、生死を超える事、再誕生が関係しています。
ありのままを受け止め、天への憧れを開く事。
それさえ超えて行く時には、天はどこか遠くにあるものではなく、私達は、天と地の両方に住むのでしょうか。
どんな風にして?
天と地の融合がその人の存在の内で起こり、より大きなものが開かれても、なおもハートは大切な鍵であり続けるのです。
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プロとしての一定基準を保ち、活動を保護する上で、「ハートサポートシステム(有)」主催の各「基礎講座」と「プロ養成講座」を修了し、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する以外に、セッションを行う権利を得る方法は設けておりません。
人のこころを扱うプロとして必要な技法や態度の学習を、短時間でインスタントにカバーする事は不可能です。不十分なセッションを行う事で、クライエントを害したり傷つけたりする事にもなります。結果的に学び直す事となり、遠回りにもなってしまいますので、ご注意の上、常識的で懸命なご判断をなさって下さいますようお願い致します。
●お知らせ2・・・他団体からの編入の誤認について
他団体の基礎レベルのフラワーエッセンス講座から、「ハートサポートシステム(有)」主催の「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」に編入する事は出来ません。
「ハートサポートシステム(有)」の各「基礎講座」で習得する理論と技法は、プロ仕様の基礎的レベルの実践を、各該当ブランドについて詳細にカバーしております。また、各「プロ養成講座」は、セラピー現場での実践力がとても高い内容となっております。エネルギー的見地においても、段階的な準備の元、適性を積み上げていくプログラムともなっております。
これらの内容からみても、必要な段階を踏んでいない状態で、編入頂く事は不可能です。弊社での編入の受け入れは出来かねますので、どうかご注意頂けますようお願い致します。
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他団体のフラワーエッセンス講座を受ける事で、「ハートサポートシステム(有)」との卸取引の権利が得られるといった事実はございません。
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(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2011年8月24日配信号内 第116回目の原稿より 第7身体―22》
こんにちは、パビットラです。
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も引き続き、第7身体とその周辺の探求を試みていきましょう。
ハートが、天と地が出会う座であり、下位身体から上位身体への上昇の架け橋である事。また、肉体を持って生きながら、そこから「降りる事」へのドアともなる事。前回は、そんなお話をしました。
―肉体を持って生きながら、そこから「降りる事」。
肉体を持った個として地上に生きているのに、肉体を持つ個とは異なる次元にある事?
世界の創造の結果としての私から、私の創造の結果としての世界を認識し、更にそこからも上昇して、世界の創造から退く事。
それは、生きる事、死ぬ事、その狭間にいる事といった、様々な時間と空間での創造の変遷とも違うようです。
でも、多彩な色彩と形態が来ては去って行くこの地上にいて、何色にも染まらず、どんな形も持たない事って、あるのでしょうか。
いいえ、天と地の両方に同時に住まう事は、“私”には出来ません。
“私”という下位身体の個の軸から思いを馳せても、天を知る事、体験する事は出来ません。
未知なるものを想像する事で、何らかの答を“創造”する事は出来たとしても。
“私”は、“創造者”を創造出来る程、クリエイティブな創造者なのです。
“私”という創造者の起点が活きている限り、創造も破壊も止む事はないのです。
“私”が想像し得ない天は、“私”が死ぬ事で開かれます。
“私”がいなくなると、天は、どこか彼方にある想像の創造物や創造者ではなくなります。
天は、個が何を思い、どう感じ、どのような肉体を持ち、どのようなエネルギー状態で、どんな過去を経て来たか、といった事は所有していません。
思考、感情、肉体、エネルギー、体験・・・。個が所有しているそれらの想像や創造の活動を、天は所有した事はありません。
天は、個が積み上げて来た歴史の足跡に、触れられる事はないのです。個が想像する天のように、裁く事もご褒美をくれる事もありません。
個と天が関係を持つ事も、それによって生じる法則もないのなら、“違い”として認識されるものを通して、彼方に行き着く道はないという事。
だとしたら、彼方とは、一瞬の転びで、体験されるものなのでしょうか???
ハートは、下位身体の個の“私”が欲望や執着で一喜一憂する人生から、天に寄り添い、個の枠を超えた自由自在さと共に生きる事へと誘ってくれます。個を地に繋ぎとめる引力の上方にある広大なスペースと繋がった、より大きな「生」をもたらしてくれます。
天に溶け込もうとするところで、地との絆を持ちながら。
ハートは、地に繋がれた柔軟な糸で、天高く浮かぶ風船のようです。
天と地の両方を体験する狭間で、ハートは、上にも下にも右にも左にも、自在に動きます。そして同時に、下位の第1〜第3身体とは違った振動で、この世界にいる事の重りにもなってくれるのです。
ハートの天と地の狭間の希薄な重量によって、物質界での個の作業が“うまくいく”事もあるのではないかと思います。
天とつながった人生での創造を続けたいなら、ハートを重りに、地から断絶しない事です。
ならば、下位身体に属する欲望や執着とは違った働きのハートの重量もまた、ある種の欲望、執着と呼ぶ事も出来るのでしょうか。
詳細な内容は忘れてしまいましたが、以前、光明を得た人がこの世界に留まる為に、何らかの執着する対象をあえて持っておくといった事を、聞いた事があります。
個の“私”が想像するとしたら、例えば、何かを伝えたいとか、救いたいとかいった欲望なのでしょうか?
あらゆる個の活動が止むところ。
個の生をあきらめるところ。
下位身体からハートへと上昇し、ハートで地に触れたまま天とつながり、更にハートさえも超えていったなら、集合的な形態も、個という形態も必然性がなくなるのかもしれません。
が、それもまた、個を起点とした、あるいはハートを起点とした想像なのかもしれません。
いずれにせよ、“私”がその事を知る事はないのです。
時には、ハートは、ある種の空虚な広がりの感覚をもたらす事もあります。その感覚は、ハートが持つ「属さない質」を表すものではないかと感じます。
それは、個の今迄の価値観との差異が大きい程、何かを亡くすような心もとなさとして感じられるかもしれません。
その感覚に慣れていない場合、ネガティブなものとして捉えてしまい、風船の糸をたぐりよせ、地へと再び降ろしてしまう事もあるでしょう。
「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」でも、回が進むにつれて、このような空虚感の体験をされる人がいます。それは、フラワーエッセンスの浄化反応とは違うものですが、浄化反応だとあえて思う事で、楽になる人もいます。
だから、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」では、回を追って次元を上昇していくカリキュラムの過程で心もとない感覚がやってくるかもしれない、また、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」では、浄化反応が強く出るかもしれない、もしもそういった体験をしたとしても、それでOKだと説明しています。
ハートの空虚感を許していくと、より大きな空へと開かれている、今迄とは違う信頼の感覚へと入っていきます。そうなったなら、人生で起こる様々な物事との付き合い方が、変化していきます。
フラワーエッセンスをはじめとするツールにおいて、低次の欲望を刺激する効果を扱い、そこに留まる事も出来ます。
ですが、これからの時代、人生を変容するところへと作用を上昇させるツールを必要とする人達が、増えていくのではないかと思います。
表層で低次の欲望を刺激するものに動いている時、彼等は、本体と繋がっていないような、別の“空しさ”を体験するでしょう。でも、その感覚もまた、ドアとして使えるものです。
人生の変容へと開かれているフラワーエッセンスの働きかけやアプローチには、独特の振動があります。
究極を求める探求者なら、ハートの直観的知性から、その振動を嗅ぎわける事が出来るでしょう。でも、そこに、マインドからの根拠というものは見つけられないでしょう。
《大切なお知らせ》
●「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
●各「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
●「ハートサポートシステム(有)」、「日本フラワーエッセンス協会」以外のところでは、各講座の修了証、認定証は発行されておりません。
日本で最初にスタートした「ハートサポートシステム(有)」の講座に、
・講座や資格の名称が同じかまたは似ているもの、
・あるいはカリキュラムや内容を模倣しているもの、
・協力関係にあると誤解を招く内容を掲載しているもの、
これらについて、ハートサポートシステム(有)オリジナル講座、あるいは協力団体であると誤認されるケースが起こっております。
また、相互編入出来る、卸取引先としてハートサポートシステム(有)を紹介してもらえると誤認されるケースも起こっております。
弊社サイトでご案内後、かなり改善はされたようですが、未だ苦情やお問い合わせを頂いております。
どうかご注意下さいますようお願い申し上げます。
【編入による受講の誤認について】
他団体の基礎レベルのフラワーエッセンス講座から、「ハートサポートシステム(有)」主催の「プロ養成講座」に編入する事は出来ません。
「ハートサポートシステム(有)」の各「基礎講座」では、プロ仕様の基礎的レベルの理論と技法、加えてオリジナルメソッドを習得します。他団体で学べない内容が「基礎講座」時から含まれている為、編入頂く事は出来ません。
★「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」・・・・・・・バッチフラワーエッセンスの基本的な一般内容を既に把握されている場合、「入門レベル」、「体験レベル」の受講は自由参加となり、「実践レベル」からご参加頂けます。これには、他団体での学びの他、個人レベルでの使用や勉強(書籍等)で習熟されている方も含みます。
【編入による資格取得の誤認について】
「ハートサポートシステム(有)」主催の各講座を受講または修了後、他団体の類似講座を受講する事で、「日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピスト」の資格は取得出来ません。
★「日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピスト」・・・・・・・「ハートサポートシステム(有)」の各講座で習得したセッションを行える有資格者。
【卸取引の紹介の誤認について】
「ハートサポートシステム(有)」と卸取引をする為に、他団体のフラワーエッセンス講座を受講し、紹介してもらうといったシステムは設けておりません。
お取引にあたり、ご紹介者は不要です。
●もし、これらの事柄に関してお困りの事、分からない事がございましたら、ご遠慮なくご相談下さいませ。
●【質問18】と【質問19】も参考になさって下さい。
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(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2011年9月21日配信号内 第117回目の原稿より 第7身体―23》
こんにちは、パビットラです。
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、第7身体とその周辺を探求していきたいと思います。
前回は、上位身体とハートのお話の中で、肉体を持って生きながら、地上に属していない事の可能性について書きました。
「それ」は、肉体を持って生きながら、そこから「降りる事」。
世界の創造から退く事。
この地上にいて、何色にも染まらず、どんな形も持たない事。
“私”が死ぬ事。
“私”という個の軸から起こるあらゆる現象は、外側の事であれ、内側の事であれ、ひとりの事であれ、集団の事であれ、彼方の星の事であれ、天界の事であれ、「それ」ではありません。
肉体を持った“私”であれ、肉体を持たない“私”であれ、時間と空間の中で “私”から起こり続ける創造や消滅は、「それ」ではないのですね。
では、「それ」は、“私”という個の軸から生じる現象を取り除いていった後に、なおも残っているものなのでしょうか。
その中で輪廻転生を続けてきたとも言える、無数の現象の“括り”という魔法が解けたならば、そこに何が現れるのでしょうか。
現象が生じる前にも、生じた後にもあったものとは?
始まりも終わりもないものとは?
問いかける事は、“私”の中心に至る程に深く潜り続けるならば、“私”そのものが溺れるきっかけになってくれます。
問いかける事や探す事もまた、ひとつの括りです。
でも、“私”を超えるプロセスにおいて、「それ」へのブリッジとなってくれるのではないかと思います。
肉体を観察し続ける事で肉体への同化から離れ、考え抜く事で無思考を体験するように。
だからこそ、様々な問いかけのメソッドが、古より東洋で多く発達してきたのでしょう。
ハートサポートシステムで行っている「フラワーエッセンス講座」では、実技を通して、“私”の同化に気づいているコツを体得していきます。
「マウントフジフラワーエッセンス講座」では、エネルギーボディ(サトルボディ)やチャクラの次元を、回を追って下位身体から上位身体へと、振動を上げていく事を通して。
「バッチ博士のフラワーエッセンス講座」では、実技やエクササイズを使い、ハートを介して、上位身体へと自然と開いていく事を通して。
フラワーエッセンスのような微細なエネルギーを扱うヒーリングを、表層の知識や技法だけでなく、本当に行いたいのであれば、これらの体験は必要とされるものだと思います。
自分が体験的に理解している世界の範囲から、他者に働きかけ、出会うのですから。
では、最初から上位身体次元を扱えるようにすればいいのではないかと思うかもしれませんが、そうはいかないのですね。
微細な次元を安全に開いていくには、下位身体から上位身体へと上がっていくか、ハートを起点に上がっていくかです。
この地上世界の信念の引力下で生きている“私”には、この間怠っこしいプロセスが安全なのです。
時間軸に縛られたプロセスもまた、私”のドラマでもあるのですが。
「マウントフジフラワーエッセンス講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンス講座」では、「人生や自分自身そのものへの考え方、在り方が変化した」、「楽に生きられるようになった」と、多くの方々に言って頂きます。
これには、マウントフジフラワーエッセンス自身の作用、また、ワークの場に構築したエネルギーフィールドが大いに関係しています。
そして、言語を超えた共振である、毎回のエネルギーのトランスミッション。
動的な学びの背後にあるエネルギーのトランスミッションは、出会い、その場を共有する全員(受講生も講師も)にとって、意識されてもされなくても、大切な役割となっています。
加えて、順を追って次元を上昇していくプロセスが、私達の人生の潜在性を開花していくプロセスの雛型であるから、とも思います。
講座の中で、エネルギー次元で体験する事が、現実生活を生きる先取り、エネルギー的な準備となっているのですね。
ところで、前回、ハートについてのお話の中で、ハートの事を、地に繋がれた柔軟な糸で、天高く浮かぶ風船のようだと例えました。
天に溶け込むところに触れながら、地との絆も失くさないハートは、天と地の狭間に在って、“私”が完全に消え去らない為の希薄な重りになってくれます。
ハートの機能は、肉体を持つ私達の霊的進化ならではのものです。
それは、地上に住まう私達にとっての、天界の存在的な内なる次元です。
ハートの次元を超え、天の次元の上位身体に飛び発ったなら、 “私”の引力圏外に出る事になります。
そこには、問いかけへの答はありません。
問いかけの中に答は吸収され、問いかけも消えていきます。
地から離れた“私” は窒息し、「それ」が蘇生されます。
だから、ハートの次元は、海中深くに潜り、時折海面に上がって息継ぎをするようなものだと言えるでしょうか。
天と地の間だから、「それ」へと開いていると共に、“私” は何とか息が出来るのですね。
徐々に、天に慣れていけます。
ハートの次元で時折希薄になる “私”が、完全に消え去ったとしたら、創造や消滅を生じさせる“括り”も、なくなってしまうのでしょうか?
“私”の問いかけの対象は、輪廻転生を超えて、際限なく用意されています。
そのうち森羅万象のドラマにうんざりした“私”は放棄され、「それ」へと吸収されるのでしょうか?
―古から伝わる教えがそのようにしか表現出来ないように、上の次元へと上昇していくと、どうしても否定的な表現が多くなってしまいますね。
“私”の濃密なドラマをどっぷりと生きられるのは、せいぜい第3身体迄です。だから、下位身体は、未知なる高位次元のはじっこの表現ですら、否定的なものに感じて、居心地悪くなります。
高位身体で体験する、“私”とは違った認識は、ドラマの中で頑張る事を通して得られるものではないのですから。
ハートの空虚感、空っぽさは、“私”から上昇しようとする次元の、最初の体験なのかもしれません。
それは、ハートを超えたところにある、他との対比のないアロンネス、全き独り在る事、沈黙へと開かれていく可能性です。
もし、ハートの空っぽさを体験的に理解していないなら、その状態を言語表現したクライエントに、「ハートが閉じている」、「大きなトラウマがある」といった否定的なジャッジメントをしてしまうかもしれません。
あるいは、そのスペースを知らない事で下位身体が揺さぶられ、クライエントが感じている違和感以上に、自分と未知なるものとの差異による居心地の悪さ、落ち着けなさを感じるかもしれません。
それにしても、古今東西、意識の究極に至った存在達にさえ、愛、ハートというものが、どれだけ大切に扱われてきたでしょう。
(勿論、ここで言う愛とは、第2身体の表現する愛情や愛着とは異なるものです。)
愛とは、この二元性世界のあらゆる現象の中にいながら、鏡に映し出された「それ」である事を、「それ」自身が体験する乗り物のようなものです。
もともと「それ」であった自らを認識する為の分離と融合を、愛を通して私達は体験します。
いやはや、間怠っこしいですね。
でも、ハートがある事で、探求の道に対して、何となくホッとしませんか。
私達の誰もが、ハートの事を、地上世界での究極の探求を応援してくれるものだと、きっとどこかで知っているのかもしれませんね。
愛は、“私”の降参です。
“私”が死ぬ準備です。
実のところ、エネルギーボディ(サトルボディ)もまた、“私”の括りのひとつです。
地上での道のりは、色々と間怠っこしいのです。
《大切なお知らせ》
●「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
●各「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
●「ハートサポートシステム(有)」、「日本フラワーエッセンス協会」以外のところでは、各講座の修了証、認定証は発行されておりません。
日本で最初にスタートした「ハートサポートシステム(有)」の講座に、
・講座や資格の名称が同じかまたは似ているもの、
・あるいはカリキュラムや内容を模倣しているもの、
・協力関係にあると誤解を招く内容を掲載しているもの、
これらについて、ハートサポートシステム(有)オリジナル講座、あるいは協力団体であると誤認されるケースが起こっております。
また、相互編入出来る、卸取引先としてハートサポートシステム(有)を紹介してもらえると誤認されるケースも起こっております。
弊社サイトでご案内後、かなり改善はされたようですが、未だ苦情やお問い合わせを頂いております。
どうかご注意下さいますようお願い申し上げます。
【編入による受講の誤認について】
他団体の基礎レベルのフラワーエッセンス講座から、「ハートサポートシステム(有)」主催の「プロ養成講座」に編入する事は出来ません。
「ハートサポートシステム(有)」の各「基礎講座」では、プロ仕様の基礎的レベルの理論と技法、加えてオリジナルメソッドを習得します。他団体で学べない内容が「基礎講座」時から含まれている為、編入頂く事は出来ません。
★「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」・・・・・・・バッチフラワーエッセンスの基本的な一般内容を既に把握されている場合、「入門レベル」、「体験レベル」の受講は自由参加となり、「実践レベル」からご参加頂けます。これには、他団体での学びの他、個人レベルでの使用や勉強(書籍等)で習熟されている方も含みます。
【編入による資格取得の誤認について】
「ハートサポートシステム(有)」主催の各講座を受講または修了後、他団体の類似講座を受講する事で、「日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピスト」の資格は取得出来ません。
★「日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピスト」・・・・・・・「ハートサポートシステム(有)」の各講座で習得したセッションを行える有資格者。
【卸取引の紹介の誤認について】
「ハートサポートシステム(有)」と卸取引をする為に、他団体のフラワーエッセンス講座を受講し、紹介してもらうといったシステムは設けておりません。
お取引にあたり、ご紹介者は不要です。
●もし、これらの事柄に関してお困りの事、分からない事がございましたら、ご遠慮なくご相談下さいませ。
●【質問18】と【質問19】も参考になさって下さい。
●卸のお取引をご希望の方は、こちらをご覧下さい
(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2011年10月19日配信号内 第118回目の原稿より 第7身体―24》
こんにちは、パビットラです。
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も引き続き、第7身体とその周辺を紐解いていきましょう。
前回、肉体のあるなしに関らず、“私”が認識したり行為したりする内外の現象の“全て”は、「それ」ではないというお話をしました。
“私”が認識したり行為したりする内外の現象の“全て”って?
“全て”とは、
肉体を持っている時や持っていない時の敷居を超えて、過去や現在や未来に、
内側で、思ったり、感じたりする事。
外側に、行動したり、表現したりする事。
内外の世界を認識する、あらゆる事。
つまり、動くもの、変化するもの、現れるもの、消え去るものの全部。
“私”も含んだ、“全て”です。
じゃあ“全て”がなくなったら、何もなくなってしまうんじゃないの?
“私”がいなくなったら、何もなくなってしまうんじゃないの?
“私”の“全て”の消滅。
そう、それが「それ」なのです。
“私”の動機がない、“全て”がないところ。
だとしたら、“私”がいる限り、「それ」を認識し、辿り着く事は不可能です。
あらゆる努力をしても辿り着けない、掴まえられないもの。
それは、空っぽの空間や沈黙に、少し似ているのかもしれません。
全てのモノには、色や形といった個別性、境界、分離があります。生じ、やがては消滅します。
あらゆる言葉には、固定し、意味付けし、方向付ける個別性があります。発せられ、やがては止みます。
でも、
個性豊かなモノが存在する空間には、個別性や境界がありません。
個性豊かな言葉と言葉の間の沈黙には、個別性や境界がありません。
“私”のモノとあなたのモノは違うかもしれないけれど、生じてやがてなくなっていくけれど、そこに在る空間に違いはありません。
“私”の言葉とあなたの言葉は違うかもしれないけれど、生じてやがてなくなっていくけれど、沈黙に違いはありません。
空っぽさや沈黙は、何にも属する事なく、変わる事もありません。
古の時代から、東洋の霊的な探求において、空っぽさについて様々な研究がされてきた事。
沈黙に入る修行が大切にされてきた事。
「それ」へと開くヒントが、公然の秘密のように隠されているのかもしれませんね。
霊的な探求の道のりで起こる様々な体験も、熱意や一生懸命さも、「そこ」へと至る為のものです。
道のりを歩んで来た“私”に、いつかそれらを“私”ごと捨てるしかない、「その時」が来るのでしょうか。
体験も、熱意も、一生懸命さも、全く役立たない、「その時」が。
“私”の理解不能を理解した途端、全面的に降参する、「その時」が。
「その時」に辿り着く迄は、“私”が同化しているところに働きかけ、現象の面倒を見る以外に、何が出来るでしょうか。
身体に症状があるなら薬を飲み、手当をするように。
究極的には役立たない段階を踏む事も、“私”が役立たなくなる迄は、無駄にはなりません。
そして、究極的には役立たない段階を踏む事を、“私”がしてもしなくても、「それ」は影響を受けません。
“私”がどんな段階にいたとしても、「それ」はいつも在り続けます。
だから、安心してOKです。
探求の道のりを歩んでいる時、安心をもたらしてくれるのがハートです。
ハートには、いつも何の問題もありません。
どんな時でも、どんな状態でも、どんな事をしていても、全てがOKです。
ハートのスペースに抱きしめられると、様々な役立たない段階は、“私”によって複雑になったり長引いたりする事なく、手放されていきます。
ハートの全面的な受容と共に在ると、“私”から起こるあらゆる事が、モノや言葉のように個別性や個性がありながらも、同時に空間や沈黙のように、何の質も持たないものとしても体験されていきます。
何の質も持たないという感覚は、執着のなさと似ています。
“私”を扉に、“私”はいるのにいないような、空のように希薄な体験がやって来ます。
対極との引っ張り合いがない、重力から自由であるハートの中心に入れば入る程、内と外の分離や方向性のない、限界のない広大さがある事に気づきます。
もしかしたら、空っぽさに気づいた時こそ、空っぽさの内の“私”は、同時に存在出来るのかもしれません。空虚さに包まれた存在、沈黙に包まれた音もまた、空虚さであり沈黙なのかもしれません。
マウントフジフラワーエッセンスのセッションでも、異なる状態を同時に体験しているところへと、セラピストは入って行きます。
セラピストとクライエント、個と個として出会い、セッションの提供者として実際的な事柄にも気を配りながらも、個としてのクライエントをすり抜け、境界のない次元の出会いへと開いています。
そして、この体験は、響き合います。
エネルギーの「トランスミッション」です。
行為の背後で起こるこのトランスミッションは、マウントフジフラワーエッセンスにとって重要なものです。
面白い事に、具体的にこれだと分からなくても、トランスミッションの場を共有する事で、受講生の方に、現実の生活の中ででも様々な変化が起こり始めます。
また、今迄フラワーエッセンスで体験した事のない、感じた事のない、初めての感覚を体験される方も少なくありません。
トランスミッションによる共振は、言語化のない、個を透り越したところで響きます。
目の前の個人は、いるのにいないのですね。
見当たらない個人は、そこに入る暖簾のようなものです。
トランスミッションは、個人に所属する何かの能力ではありません。
それは、究極的には役立たない段階で、私”の枠を超えて「それ」と出会う練習(?)のようなものなのかもしれません。
《大切なお知らせ》
●「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
●各「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
●「ハートサポートシステム(有)」、「日本フラワーエッセンス協会」以外のところでは、各講座の修了証、認定証は発行されておりません。
日本で最初にスタートした「ハートサポートシステム(有)」の講座に、
・講座や資格の名称が同じかまたは似ているもの、
・あるいはカリキュラムや内容を模倣しているもの、
・協力関係にあると誤解を招く内容を掲載しているもの、
これらについて、ハートサポートシステム(有)オリジナル講座、あるいは協力団体であると誤認されるケースが起こっております。
また、相互編入出来る、卸取引先としてハートサポートシステム(有)を紹介してもらえると誤認されるケースも起こっております。
弊社サイトでご案内後、かなり改善はされたようですが、未だ苦情やお問い合わせを頂いております。
どうかご注意下さいますようお願い申し上げます。
【編入による受講の誤認について】
他団体の基礎レベルのフラワーエッセンス講座から、「ハートサポートシステム(有)」主催の「プロ養成講座」に編入する事は出来ません。
「ハートサポートシステム(有)」の各「基礎講座」では、プロ仕様の基礎的レベルの理論と技法、加えてオリジナルメソッドを習得します。他団体で学べない内容が「基礎講座」時から含まれている為、編入頂く事は出来ません。
★「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」・・・・・・・バッチフラワーエッセンスの基本的な一般内容を既に把握されている場合、「入門レベル」、「体験レベル」の受講は自由参加となり、「実践レベル」からご参加頂けます。これには、他団体での学びの他、個人レベルでの使用や勉強(書籍等)で習熟されている方も含みます。
【編入による資格取得の誤認について】
「ハートサポートシステム(有)」主催の各講座を受講または修了後、他団体の類似講座を受講する事で、「日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピスト」の資格は取得出来ません。
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(つづく)
《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2011年11月16日配信号内 第119回目の原稿より 第7身体―25》
【はじめに】
これらは、オーラソーマ関連のメルマガとサイトからのご依頼により、弊社講師パビットラが2006年
8月16日配信号より執筆している連載原稿を、項目ごとに分かりやすくまとめたものです。
連載は現在も進行中ですので、不定期に新原稿を更新しています。
この連載は、フラワーエッセンスやエネルギーワークの基本を知り、エネルギーボディ(サトルボディ)、チャクラといった微細エネルギー解剖学的な事柄も含め、メタフィジカルな次元での理解を深める為のものです。
弊社講師パビットラの実体験からの理解を元に書かれている事から、既存のトレーニング、書籍からは得る事が困難な、専門的で詳細な内容も多数含まれています。
その為、フラワーエッセンスやエネルギーワークの専門家も、参考になさっています。
これらの内容にご興味のある方は、弊社「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」にて、講師である執筆者自身から直接学ぶ事が出来ます。
体験を通して理解して頂く為に、理論や実践と共に、エネルギーのトランスミッションをはじめ、多次元的な学びの機会を提供させて頂いており、プロのフラワーエッセンスやエネルギーワークのヒーラー、セラピストも、多数来られています。
《全体目次》
http://www.floweressence.co.jp/Essence/Mailmaga-info.html
【今回の内容はここから】
〔筆者注〕
今回の文内のハートという表現は、私達のエネルギーボディ(サトルボディ)の中枢であるハートチャクラを指してはいません。
ハートチャクラと差別化する為に、ハート、ハートチャクラと表現を変えています。
こんにちは、パビットラです。
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、第7身体とその周辺について探っていきます。
前回は、高位次元の「それ」は、“私”という動機、つまり“全て”が無いところであり、それ故、“私”によって「それ」を認識し、辿り着く事は出来ないといったお話をしました。
「それ」は、モノや言葉といった個別性や境界の背後にある、空間や沈黙に少し似ているとも書きました。
“私”やあなたのモノや言葉の生滅の背後には、変わる事のない空間や沈黙が、いつもあるのですね。
モノは、空間なしには存在出来ません。
言葉は、沈黙なしには存在出来ません。
でも、
空間は、モノがあってもなくても、在り続けます。
沈黙は、言葉があってもなくても、在り続けます。
モノがなくなった時、実はずうっとそこに在った空間が現れて来ます。
言葉がなくなった時、実はずうっとそこに在った沈黙が現れて来ます。
“私”は、「それ」なしには存在出来ません。
“全て”は、「それ」なしには存在出来ません。
でも、
「それ」は、“私”がいてもいなくても、在り続けます。
「それ」は、“全て”があってもなくても、在り続けます。
“私”がなくなった時、実はずうっとそこに在った「それ」が現れて来ます。
“全て”がなくなった時、実はずうっとそこに在った「それ」が現れて来ます。
これは、私の個人的体験なのですが、エネルギー次元の体験は人それぞれであり、その道のりの過程で固定し続ける完璧な正誤はない事を前提に、以下を読んで頂ければと思います。
“私”と「それ」を結ぶのは、ハートです。
ハートは、「それ」への憧れを持っています。
「それ」への憧れをエネルギーに、宇宙や世界は、ハートから現れました。
普遍的な宗教性や霊性といったものもまた、もしかしたら、私達の「それ」への可能性を芽生えさせるものとして、ハートから生じたのではないかと思います。
普遍的な宗教性や霊性は、それ自身を超えていく為にハートから現れ、様々に表現され、またハートの空っぽさへと吸収されていくのかもしれません。
ハートから生じた普遍的な宗教性や霊性を外へと投射するなら、そこに肯定的で聖なる存在を見い出し、ある次元での真実な“現象”として、育て上げていく事が出来るでしょう。
個人的にも、集合的(個人の内の相互関係)にも。
この三次元世界の住人でも、もっと微細な次元の住人でも。
肯定的で聖なる存在は、「それ」から“距離”がある故に、この世界や他の世界において、個人にも、個人を通して動く集団にも、力を持ちます。実際、それらは、現実世界を生きていく中で、助けや拠り所となってくれたりもします。
また、ハートから生じた普遍的な宗教性や霊性を内へと投射するなら、それは形なきものへと還っていきます。普遍的な宗教性や霊性が内へと向かうなら、それ自身を超えて行くドアとなります。
ハートを通して、 “私”の器と、それを内包するもっともっと大いなるものとの間に「何か」が出入りする事で、そこに繋がりが起こります。
その繋げてくれる「何か」が、愛なのだと思います。
ハートの愛がなければ、繋がりは生じず、“私”は生じず、“私”が大いなるものへとなくなる事も生じないのではないかと思います。
古の時代から、あらゆるものは愛であると言われています。
たぶんそれは、ハートをドアとした本当の事だと思います。
宇宙のあらゆるものは、愛という動機、エネルギーで動いています。
世界も魂も、愛という喜び、祝福で出来ていて、繋がっています。
だから、愛は、全てのものが、元々持っている質です。
何かをしたからではなく、存在している事、現れた事自体が、愛という祝福です。
ピークの時も、死に逝く時も。
どんな、内外の現象も。
モノは、空間である事。
言葉は、沈黙である事。
“私”は、「それ」である事。
“全て”は、「それ」である事。
モノは、空間に。
言葉は、沈黙に。
“私”は、「それ」に。
“全て”は、「それ」に。
橋を架ける事が出来るのが、ハートです。
花、猫、蝶といったピュアな生き物に深く入り、そこから宇宙の表現を眺めた時、よくそんな事を受け取ります。
彼等の体現を通して、私達は、どれだけ愛をもらっているでしょうか。
そして、あらゆるものが愛だと認識したなら、 “私”はお手上げ、降参するしかありません。
ハートを通して、 “私”の器と大いなるものを繋ぐ愛というエネルギーを乗り物にして、「それ」から、人生という動きが起こっています。
そして、“私”もまた、愛を乗り物に出入りしている動きなのだと感じたなら、“私”より大きな私へと、消えていきます。
“私”という主体は、主体ではなくなります。
ハートは、“私”よりも広大です。
ところで、私達のチャクラという側面から見るなら、ハートのチャクラは直接的には第2身体(エーテル体)次元にあり、他のチャクラと同様、様々な層があります。
個人の現象の層があり、集合的な現象の層があり、より大きな現象の層があり、中心に入れば、空っぽさ、沈黙と出会います。
執着の重さが解かれていくハートのチャクラの奥に入れば入る程、そこから外へと現れ出る人生は、楽で軽やかなものになっていきます。
マウントフジフラワーエッセンスのセッションで、クライエントと個対個として出会いながら、同時に異なる次元にも触れているセラピストは、ハートのチャクラを通して、ハートの体験に触れているとも言えるかもしれません。
フラワーエッセンスの面白いところは、色、形、香、味といった物理成分がないところです。それらの作用の情報を内包し、表現しているけれど、物質として表層には現していないのですね。
だからこそ、物質を超えた次元、この世界に物質として現れる前の微細な次元に、ダイレクトに響く特徴を持っているのです。
古の時代より、世界中で様々なフラワーエッセンスやヴァイブレーションエッセンスが、様々な形態をとって開発されています。それらは、多くの場合、心理や感情レベルへの作用にフォーカスされています。
より高次元への作用とされるものもまた、“私”から投射される、心理や感情レベルからくる、より複雑な表現への作用だと言えましょう。
私個人としては、フラワーエッセンスには、心理や感情レベルを超えて作用するドアとしての、隠された潜在性があると感じています。
(外へと投射された、高次元の聖なる存在といったものではなく。)
だからこそ、マウントフジフラワーエッセンスを開発しました。
自然界に寄り添って生き、自他を裁いたり追い詰めたりしない花という存在は、ある意味、マインドを持つ私達よりも、「それ」の根源に近いところに在るのですね。だから、内在する高みの振動で、私達の同質のものを動かす事が出来るのです。
そして、フラワーエッセンスに、物理的刺激という拠り所や支えがない事は、周辺への同化や執着を起こさせない事にも、一役かっているのではないかと思っています。
逆に、これはマウントフジフラワーエッセンスの場合ですが、物理次元のあらゆる癒し、物理成分との融合、併用についての制限がほとんどありません。例えば、精油と混合する事で、下位身体への働きかけを、より豊かに広げる事も出来るのです。
以前にも書きましたが、多くの場合、少なくともひとつは上の次元の身体から、下の次元の身体を癒す事が出来ます。
例えば、肉体(第1身体)に働きかけたいなら、エーテル体(第2身体)から癒しを降ろしていく事が出来ます。あるいは、肉体に深く入っていったなら、結果的に、第2身体を体験する事となっていくでしょう。
マウントフジフラワーエッセンスでは、例えば、望みの実現というテーマに働きかけるボトルは、個としての達成が幻想だと知っている次元から、作用が降りて(広がって)きます。
カルマの解放というテーマに働きかけるボトルなら、カルマが幻想だと知っている次元から、作用が降りてきます。
でも、使用者の方は、そういった事までを意識しておく必要性はなく、表のテーマに対してボトルを選ぶ事で、恩恵を受け取っていけます。
使用者によっては、表層の変化の背後で動く微細な次元での作用を通して、受け取る恩恵が、とりたてて気にかけないものとなっていくかもしれません。日々の自然であたり前の生活のように。
あるいは、表層の恩恵を受け取る事で、更なる深みへの渇望が刺激される、内なる探求者もいるかもしれません。
いずれにしても、ボトルを使う様々な現実的な動機の背景にある、真の安心、永遠に変わらぬ幸せを得たいといった誰もの内に潜む乾きや欲望は、高みへと向かうきっかけとなるでしょう。
下位次元の乾きや欲望は、ハートの仕業でもあるのかもしれません。
面白い事に、マウントフジフラワーエッセンスを日常的に続けている人が、意識してもしなくても、どこかで高みへの響きを体験している事を、使用経過の報告を通して感じさせられる事がよくあります。
地道に続けていく中で、意識が、自然と上位身体へと広がっていくのですね。
マウントフジフラワーエッセンスは、思考、感情、環境、関係性の安定や、望んでいる状態の実現だけに、意識を置いてはいません。
ハートが焦がれる領域もまた、刺激されるのです。
ハートは、私達を地に落とし、天へと上昇させてくれる仕掛け人です。
マウントフジフラワーエッセンス、そしてそのセッションがそうであるように、「マウントフジフラワーエッセンス講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンス講座」にも、自然に上位身体を響かせていく、様々な仕掛けや伏線があります。
そこでは、行為は、マインドだけと連動してはいません。
マインドならば矛盾や対立とみなし、混乱してしまうような事でも、ハートでは、同時に存在し、溶け合う事が出来るのです。
《大切なお知らせ》
●「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
●各「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
●「ハートサポートシステム(有)」、「日本フラワーエッセンス協会」以外のところでは、各講座の修了証、認定証は発行されておりません。
日本で最初にスタートした「ハートサポートシステム(有)」の講座に、
・講座や資格の名称が同じかまたは似ているもの、
・あるいはカリキュラムや内容を模倣しているもの、
・協力関係にあると誤解を招く内容を掲載しているもの、
これらについて、ハートサポートシステム(有)オリジナル講座、あるいは協力団体であると誤認されるケースが起こっております。
また、相互編入出来る、卸取引先としてハートサポートシステム(有)を紹介してもらえると誤認されるケースも起こっております。
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【編入による資格取得の誤認について】
「ハートサポートシステム(有)」主催の各講座を受講または修了後、他団体の類似講座を受講する事で、「日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピスト」の資格は取得出来ません。
★「日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピスト」・・・・・・・「ハートサポートシステム(有)」の各講座で習得したセッションを行える有資格者。
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《エネルギーボディ(サトルボディ)とチャクラについて 2011年12月14日配信号内 第120回目の原稿より 第7身体―26》
【はじめに】
これらは、オーラソーマ関連のメルマガとサイトからのご依頼により、弊社講師パビットラが2006年
8月16日配信号より執筆している連載原稿を、項目ごとに分かりやすくまとめたものです。
連載は現在も進行中ですので、不定期に新原稿を更新しています。
この連載は、フラワーエッセンスやエネルギーワークの基本を知り、エネルギーボディ(サトルボディ)、チャクラといった微細エネルギー解剖学的な事柄も含め、メタフィジカルな次元での理解を深める為のものです。
弊社講師パビットラの実体験からの理解を元に書かれている事から、既存のトレーニング、書籍からは得る事が困難な、専門的で詳細な内容も多数含まれています。
その為、フラワーエッセンスやエネルギーワークの専門家も、参考になさっています。
これらの内容にご興味のある方は、弊社「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」にて、講師である執筆者自身から直接学ぶ事が出来ます。
体験を通して理解して頂く為に、理論や実践と共に、エネルギーのトランスミッションをはじめ、多次元的な学びの機会を提供させて頂いており、プロのフラワーエッセンスやエネルギーワークのヒーラー、セラピストも、多数来られています。
《全体目次》
http://www.floweressence.co.jp/Essence/Mailmaga-info.html
【今回の内容はここから】
〔筆者注〕
今回の文内のハートという表現は、私達のエネルギーボディ(サトルボディ)の中枢であるハートチャクラを指してはいません。
ハートチャクラと差別化する為に、ハート、ハートチャクラと表現を変えています。
こんにちは、パビットラです。
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も引き続き、第7身体とその周辺を探求していきましょう。
前回は、変化していく“モノ”や“言葉”の存在や非在を包み込み、変わる事なく在り続ける「空間」と「沈黙」を例えに、“私”と「それ」について、紐解きました。
“私”という世界には、個から集合的なものに至る迄、粗雑なものから微細なものに至る迄、様々な大きさ、歴史、次元があります。
でも、「それ」には、大きさ、歴史、次元といった対象や要素がありません。
“モノ”の生滅に依存しない「空間」や、 “言葉”の有無に影響されない「沈黙」が、ずうっとあるように。
また、私の個人的体験ではありますが、“私”と「それ」を結ぶハートの可能性についても、お話ししました。
「それ」から生じ、生じたものは「それ」を焦がれ、「それ」へと消えていく動きを起こす、大いなるドアであるハート。
ハートは、愛というエネルギーの源によってあらゆるものを生じさせ、生じた元の「それ」へと、愛と共に再び吸収させるのです。
ハートの、愛の、生じ、変化し、ひとつに還る光の動きを、繋げている力。
その力が、 “私”を世界に落とし、 “私”と世界を天へと戻します。
愛を乗り物として「それ」から生じた“私”という光が、長い長い旅をして、ああでもないこうでもないと「それ」を探りながら、実はずうっと「それ」であった事へと消える過程に、どのような必然性や意味があるのでしょうか。
―そこに必然性を見い出そうとするのも、意味を創造するのも、“私”から起こっている動きです。
神秘は、神秘のままに・・・。
意味付けや創造の主体から退いていくと、下位身体の次元とは違う軽さがやって来ます。
その軽さの中では、“私”から起こるあらゆる現実は、張りぼての“私”と宇宙を出入りする、空っぽの風のように感じるかもしれません。
そして、張りぼての“私”という境界を超え、空っぽさへと明け渡し、“私”という主体へのフォーカスがはずれていく過程において、生きる事にじたばたしない、“私”より大きな安心や喜びがもたらされるかもしれません。
それは、あらゆるものに偏在する、愛の実感と言ってもいいのでしょうか。
そこには、理由はありません。
だから、原因結果を司る、理由に依存する、通常の過去現在未来のような時間感覚もありません。
これと似た感覚に、私達は、偶然、あるいは意識する事なく、ほんの一瞬触れる事があるかもしれません。本当の我家のような、懐かしさと共に。
何か、“私”とは違う私である、という感じ?
例えば、ごく小さな頃や、深く自然界や宇宙に触れた時に?
そして、そこから、“私”や世界より大きな何か?こそ、私らしいといった直観的知性へと開かれていく事もあるかもしれません。
でも、何という事でしょう、まず、“私”からの乾きが起こらなければ、そこに至ろうとする動きを起こさなければ、 “私”と世界は消滅しないのです。
どうやら“私”は、生老病死を何度も繰り返しながら、様々な次元で、いずれ必要ではなくなる同化を持つ事で、次元の階段を登って行っているようです。
「それ」に至る迄の( “私”の世界の)階段を、古より、様々な身体の次元を経ながら。
ある段階迄は役立つ同化も、次の段階ではどうでもよいものとなります。
例えば、アストラル体の次元では、“私”こそが私です。自己イメージを持っているこの次元の“私”からは、 “私”の枠を超えた私を体験する事は出来ません。
そして、そういった次元の階段を登るプロセスで、同化を持ち、同化を手放すあらゆる動きもまた、 “私”の一部なのです。
“私”は、“私”を超える迄は、“私”でいるのです。
目的という欲望を持つには、ある種のマインドを持つ事が必要です。
目的を実現する為には、粗雑なものであれ微細なものであれ、目的の根を降ろせる形のようなものが必要です。
マインドから起こった方向性を持つエネルギーは、ある種の形を創造するのですね。
その変化していく形の始まりから終わり迄を、私達は、“私”や世界と呼んだりもします。
ある種の身体は、ある種のマインドで出来ています。
身体を持つ事は、マインドを持つ事です。
それは、現れ、向かい、変化し、終わる“私”です。
便宜上、「それ」の例えにしている「空間」や「沈黙」も、実際は、時空があって成り立っているものです。
だから、本当は、「それ」とは遠いものだとも言えましょう。
いつか“私”という幻への同化が消えされば、その例えが、時空を超えたものとして理解される日が来るのでしょうか。
話は変わりますが、クライエントが発する“言葉”だけをとり、Aの状態の時にはBを、Cの状態の時にはDをといった風に、万人共通のパズルにはめ込むように見立てても、上手くいかない事がよくあります。
何故なら、クライエントのそれぞれがオリジナルであり、パズルの部分部分を合わせても、その人全体にはならないからです。
また、様々な引き寄せのメソッドも、お金や成功といった“モノ”だけを扱っても、いつか滞ってしまうでしょう。
セラピストが“言葉”や“モノ”と同じ次元に振動して働きかけるなら、変容の深みには届かないのです。たとえ表層で、何となく“きれいに”進んだとしても。
また、この次元から上位身体を扱おうとするなら、下位身体の境界を曖昧にし、不健康な状態にしてしまう事もあるかもしれません。あるいは、下位次元の“現実”である、いわゆる低次のエネルギーの影響を受けるかもしれません。
むしろ、より地に近い次元、言葉より行動、行動より身体を明晰に扱った方が、現実的で役に立つでしょう。
マウントフジフラワーエッセンスのセッションでは、セラピストは、 “言葉”の背後にある「沈黙」、“モノ”の背後にある空っぽな「空間」にチューニングを合わせます。
そして、セッションの場を降ろし、開いた中で起こる“言葉”や“モノ”が、大いなるハートの愛の振動で満たされている事へと開いてもいます。
マウントフジフラワーエッセンスは、花という表現が起こる前にある、この宇宙(=自分自身)に偏在するユニークかつ普遍的な、本質的な情報と響き合わせてくれる媒体です。
そして、そこから更に、ユニークさが起こった源へと開きます。
様々な現象に働きかける際、現象そのものだけでなく、現象の背後にある名付けられたユニークな本質へと響くと共に、本質の背後にある空っぽさへのドアにも共振するのですね。
私達は、自然界のあらゆるものを通して、様々な次元に入って行く事が出来ます。
とりわけ花という儚い存在が、人のマインドが育て上げた聖なる対象以上に、楽にそれを起こしてくれる事があります。
花には、階層も、信念も、正しさも、間違いもありません。
上下や優劣があるとみなすのは、人に同じ事を行っている人自身のマインドから来ています。
花が、私達を縛る事はありません。
花とは、何と愛に満ちた存在なのでしょう。
花と接する時、私達は自由でいられます。
「マウントフジフラワーエッセンス講座」では、マウントフジフラワーエッセンスを媒体に、それ自身の恩恵も受け取りながら、花のエネルギーを通して、在り方のコツを教えてもらうのです。
これは、知識を集めたり、技法を真似したからといって出来るものではありません。
何故なら、知識や技法では機能しない次元を、知識や技法とは違ったところで扱っているからです。
《大切なお知らせ》
●「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
●各「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
●「ハートサポートシステム(有)」、「日本フラワーエッセンス協会」以外のところでは、各講座の修了証、認定証は発行されておりません。
日本で最初にスタートした「ハートサポートシステム(有)」の講座に、
・講座や資格の名称が同じかまたは似ているもの、
・あるいはカリキュラムや内容を模倣しているもの、
・協力関係にあると誤解を招く内容を掲載しているもの、
これらについて、ハートサポートシステム(有)オリジナル講座、あるいは協力団体であると誤認されるケースが起こっております。
また、相互編入出来る、卸取引先としてハートサポートシステム(有)を紹介してもらえると誤認されるケースも起こっております。
弊社サイトでご案内後、かなり改善はされたようですが、未だ苦情やお問い合わせを頂いております。
どうかご注意下さいますようお願い申し上げます。
【編入による受講の誤認について】
他団体の基礎レベルのフラワーエッセンス講座から、「ハートサポートシステム(有)」主催の「プロ養成講座」に編入する事は出来ません。
「ハートサポートシステム(有)」の各「基礎講座」では、プロ仕様の基礎的レベルの理論と技法、加えてオリジナルメソッドを習得します。他団体で学べない内容が「基礎講座」時から含まれている為、編入頂く事は出来ません。
★「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」・・・・・・・バッチフラワーエッセンスの基本的な一般内容を既に把握されている場合、「入門レベル」、「体験レベル」の受講は自由参加となり、「実践レベル」からご参加頂けます。これには、他団体での学びの他、個人レベルでの使用や勉強(書籍等)で習熟されている方も含みます。
【編入による資格取得の誤認について】
「ハートサポートシステム(有)」主催の各講座を受講または修了後、他団体の類似講座を受講する事で、「日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピスト」の資格は取得出来ません。
★「日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピスト」・・・・・・・「ハートサポートシステム(有)」の各講座で習得したセッションを行える有資格者。
【卸取引の紹介の誤認について】
「ハートサポートシステム(有)」と卸取引をする為に、他団体のフラワーエッセンス講座を受講し、紹介してもらうといったシステムは設けておりません。
お取引にあたり、ご紹介者は不要です。
●もし、これらの事柄に関してお困りの事、分からない事がございましたら、ご遠慮なくご相談下さいませ。
●【質問18】と【質問19】も参考になさって下さい。
●卸のお取引をご希望の方は、こちらをご覧下さい
(つづく)
《エネルギーボディとチャクラについて 2012年2月8日配信号内
第121回目の原稿より 第7身体―27》
【はじめに】
これらは、オーラソーマ関連のメルマガとサイトからのご依頼により、弊社講師パビットラが2006年
8月16日配信号より執筆している連載原稿を、項目ごとに分かりやすくまとめたものです。
連載は現在も進行中ですので、不定期に新原稿を更新しています。
この連載は、フラワーエッセンスやエネルギーワークの基本を知り、エネルギーボディ(サトルボディ)、チャクラといった微細エネルギー解剖学的な事柄も含め、メタフィジカルな次元での理解を深める為のものです。
弊社講師パビットラの実体験からの理解を元に書かれている事から、既存のトレーニング、書籍からは得る事が困難な、専門的で詳細な内容も多数含まれています。
その為、フラワーエッセンスやエネルギーワークの専門家も、参考になさっています。
これらの内容にご興味のある方は、弊社「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」にて、講師である執筆者自身から直接学ぶ事が出来ます。
体験を通して理解して頂く為に、理論や実践と共に、エネルギーのトランスミッションをはじめ、多次元的な学びの機会を提供させて頂いており、プロのフラワーエッセンスやエネルギーワークのヒーラー、セラピストも、多数来られています。
《全体目次》
http://www.floweressence.co.jp/Essence/Mailmaga-info.html
【今回の内容はここから】
こんにちは、パビットラです。
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、第7身体とその周辺についてのお話をしていきましょう。
上位身体に上がっていくにつれ、言葉を超えた次元へと入っていきます。本来は言葉で表現する事が出来ないものですが、上位身体のお話になってから、「読んで楽になった」、「今迄とは違う観方をするようになった」といったフィードバックを、以前より頂いています。
また、マウントフジフラワーエッセンスを使用され、「新たな理解が生まれた」、「目から鱗で吹っ切れた」といったお声も、頂戴しています。
もし、「これ迄、下位身体(肉体、感情、思考、信念、トラウマ、カルマ等の次元)を見つめたりヒーリングしてきて、沢山よい変化を受け取ったけれど、本当に求めているものはもっと違うところにある気がする」、「きっと、この先があるはず」と感じているのなら、上位身体の「目覚め」への渇望が。動き始めているのかもしれません。
新しい在り方へと開いていくのに、熟してきているのですね。
集合的にみてハートチャクラの次元へと上昇していく時代の中、上位身体にフォーカスするそんな人達も、これから増えていくだろうと感じています。
そういった時期にご自身がさしかかっていると感じているなら、もしご縁があれば、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」にいらして下さい。ゴールデンウイークに「マウントフジフラワーエッセンス東京集中基礎講座」「マウントフジフラワーエッセンス東京集中プロ養成講座」がありますので、遠方の方も参加されやすいかと思っています。
講座では、マウントフジフラワーエッセンスを切り口に、エネルギーボディ(サトルボディ)の7つの次元の理論だけでなく、実際のワークを通して、下位身体から高位身体の次元へと上昇していくプログラムが組まれています。自然に高位身体のテイストを味わい、進んでいきます。
元々、究極の「目覚め」というものを意識して開発されたマウントフジフラワーエッセンスですが、今の時代的にみても、フィットする方がおられるのではないかと感じています。
さて、前回は、“私”と「それ」とを対比しました。
今回は、たびたび頂くフィードバックから、上位身体の「目覚め」への渇望を、どのように扱っていくかについて、書いていきたいと思います。
(本当はそのような事は言えないのですが、渇望への狭間のところに納まって、無理やり書いていきましょう。)
スピリチュアルな成長を求め、上位身体の「目覚め」を渇望している多くの人に、意外とハマりがちな状態があります。
それは、「それ」への渇望から、“私”を超えて「それ」へと向かう為に行っているあらゆる事が、あるいは行わない事が、実は、 “私”の中を堂々巡りしているかもしれない?という事。
つまり、“私”という金魚鉢から出る為に、金魚鉢の中で、何とかしようと考えたり、反応したり、観察する事を、やり続けているのですね。
もし、何年も何をしても変わらないと感じているなら、あるいはアップダウンを繰り返しているなら、それは、“実は、金魚鉢の中に(同化して)居続ける為の努力を、し続けているよ”というサインなのかもしれません。
金魚鉢から出る為の努力の“ネタ”を、自ら金魚鉢に与え続けているが故に、出る為の努力は続き、金魚鉢から出られなくしているのですね(!!)。
“私”が創造したものを“私”が解放し、また別の何かを創造し、またそれを解放する、金魚鉢の中の生滅のプロセス。
ある要素が完結し、また、新たな要素がやって来ます。
確固たる意志を持つ“私”も、大きな目標を実現した“私”も、霊的成長を目指す“私”も、自己を見つめる“私”も、金魚鉢の中で起こっています。
それが、下位身体での“私”の成長というものです。
そして、それには、何も悪い事はありません。
ただ、この繰り返しが臨界点に達していると感じるなら、このつたない文章が何となく気にかかるなら、マウントフジフラワーエッセンスに惹かれるのなら、今迄とは異なる在り方を探る時が来ているのかもしれません。
自分の尻尾を追いかけグルグル回るワンちゃんのように、“私”が観ているものは、その動機や行為自体も含め、際限のない“私”自身です。
そして、際限のない状態にし続けているのも、“私”自身です。
“私”がいるから、内側の世界も外側の世界も存在します。
“私”の尻尾を観ているから、「それ」が観えません。
「それ」は、金魚鉢の中味とは、全く関係ありません。
“私”が何をしたかしなかったか、何を感じているかいないか、何を知っているかいないかには、一切関係ありません。
“私”は、「それ」とは出会えません。
“私”を探る事で、“私”を知る事は出来ても、「それ」を知る事は出来ません。
とりわけ西洋では、論理では理解不可能なこの部分で滞ってしまい、第3身体(アストラル体)の自己イメージの向上に向かう事が少なくありません。
ですが、そんな時のブレークスルーに役立ってくれるのは、第3身体ではなくハートチャクラなのですね。
今迄の第3身体の意志力や成し遂げる力、論理や検証が、実は“私”の金魚鉢の中の不確実な要素である事に、様々な人達が気づき始めています。
ですから、集合的にハートチャクラの次元へと上昇していこうとしているのも、当然な流れなのかもしれません。
話は変わりますが、東洋的な在り方の影響を受けた西洋のセラピー、カウンセリング、ボディワーク、ヒーリングの領域で、よく、“今、ここ”と言われます。
例えば、「今、ここの身体に意識を向ける事」や、「今、ここの感覚に入っていく事」、「今、ここの思考に気づいている事」。
これらは、スペースアウトした状態から現実に戻ったり、感受性や表現力を開いたり、自己観察力を深める為の有効な方法です。
ある種の瞑想でも、ある状態に入っていくのに役立ちます。
私自身も、肉体や感情にフォーカスする時等に、こういった気づきの技法を扱います。
実際、エネルギーボディ(サトルボディ)のある段階迄は、とても役立ちます。
人によっては、今、ここの背後にある沈黙やスペースに、感覚的に気づく事もあるでしょう。
でも、過去と未来の間の “今、ここ”であるなら、それは、金魚鉢の中にあるのです。
過去も、未来も、今も、ここも、そこも、あそこも、“私” という金魚鉢の認識があるから、存在するのです。
あらゆる時間、空間、場所、肉体、感情、思考の始まりから終わり迄、“私”の中で起こっています。
だから、肉体や感情や思考の“今、ここ”の体験を、金魚鉢の中の体験者が観察する事は、自分の尻尾を追い続ける事となります。
金魚鉢は、落ち着き、腑に落ちたいのです。
つじつまを合わせ、完結したいのです。
堂々巡りの旅を終わらせて、絶対的な拠り所を見つけたいからこその「それ」への渇望故に、自分の尻尾を追い続けるしか出来ないのです。
でも、落ち着き、腑に落ちても、新たなソワソワがやって来ます。
つじつまを合わ、完結しても、新たな刺激要因がやって来ます。
「それ」と出会う為に、“私”に出来る事は何もない、と降参する迄は。
マウントフジフラワーエッセンスの講座では、 “私”との付き合い方を、セッションでの在り方を通して体得していきます。
それは、下位身体から見たら、“私”の確かさの根底が揺らぎ始める事なのかもしれません。
これは個人的な感じなのですが、上位身体に向かう過程では、“私”が生まれる事、生きる事、死ぬ事に、興味がなくなっていくかもしれません。
といっても、これは、下位身体で言う、厭世主義や虚無感とは異なる状態です。下位身体が想定しない、平安、くつろぎがやって来ます。
そこでは、愛が “私”を超えて、際限なく広がっています。
生きている “私”の恐れや不安を、大いなる信頼が包んでいます。この信頼は、0との比較での100%ではなく、信頼に値する保証や支えがあるのでもなく、ただの全信頼です。
特別な現象も、不思議な能力も関係ありません。
通常、セラピストがセッションでクライエントと接する時、その人の“私”が感じている、金魚鉢の中の痛み、生き辛さ等に寄り添います。
マウントフジフラワーエッセンスのセッションでは、セラピストは、それらを包み込み、際限なく広がる次元、大いなる源泉とつながって在る事へと開きます。
それは、たとえ上位身体の次元をダイレクトに扱ったり表現しなかったとしても、クライエントが自分自身で変容していく援助になるでしょう。
それは、言わば、「何もしない事」での援助です。
また、マウントフジフラワーエッセンスが仲介に入る事で、自然と沈黙のスペースが広がっていきます。言葉を超えた沈黙の交感は、時空を超えた上位身体を響かせます。
“私”が沈黙し、言語化が止む時、「それ」へのドアは、開きやすくなるのです。
《大切なお知らせ》
●「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
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・講座や資格の名称が同じかまたは似ているもの、
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これらについて、ハートサポートシステム(有)オリジナル講座、あるいは協力団体であると誤認されるケースが起こっております。
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(つづく)
《エネルギーボディとチャクラについて 2012年4月4日配信号内
第122回目の原稿より 第7身体―28》
【はじめに】
これらは、オーラソーマ関連のメルマガとサイトからのご依頼により、弊社講師パビットラが2006年
8月16日配信号より執筆している連載原稿を、項目ごとに分かりやすくまとめたものです。
連載は現在も進行中ですので、不定期に新原稿を更新しています。
この連載は、フラワーエッセンスやエネルギーワークの基本を知り、エネルギーボディ(サトルボディ)、チャクラといった微細エネルギー解剖学的な事柄も含め、メタフィジカルな次元での理解を深める為のものです。
弊社講師パビットラの実体験からの理解を元に書かれている事から、既存のトレーニング、書籍からは得る事が困難な、専門的で詳細な内容も多数含まれています。
その為、フラワーエッセンスやエネルギーワークの専門家も、参考になさっています。
これらの内容にご興味のある方は、弊社「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」にて、講師である執筆者自身から直接学ぶ事が出来ます。
体験を通して理解して頂く為に、理論や実践と共に、エネルギーのトランスミッションをはじめ、多次元的な学びの機会を提供させて頂いており、プロのフラワーエッセンスやエネルギーワークのヒーラー、セラピストも、多数来られています。
《全体目次》
http://www.floweressence.co.jp/Essence/Mailmaga-info.html
【今回の内容はここから】
こんにちは、パビットラです。
お仕事の都合で少し長いお休みを頂いていましたが、マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマにしたこの連載、今回も第7身体とその周辺についてです。
前回、“私”を超えて「それ」へと向かう為の“私”による“私”への試み自体が、“私”に餌を与えて強靭にし、“私”に同化し続ける事となっている、といったお話をしました。
“私”を体験する “私”として観る事、“私”を知る事からは、「それ」は観えないし、知られないのです。 “私”のどこを深く掘ったとしても、「それ」は見つかりません。
観る事への無条件の愛があるなら、視界の広がりを通して、まずは“私”の縁(フチ)に気づくかもしれません。
世界の全てが、“私”という縁(フチ)の内側で生滅している事への気づき。
それが、“私”が世界であるという気づきへと、開かれていくかもしれません。
では、その縁(フチ)の外は?
その先は?
世界の始まりの前や、終わりの後は?
何を体験し、何を理解したとしても、そこに縁(フチ)があるなら、その外があるなら、その先があるなら、その前や後があるなら、その“認識”は、「それ」ではないのです。
とってもシンプルです。
もし、ありとあらゆる探求をし、「それ」には行き着かない事、出来る事は何もない事に辿り着いたなら、降参し、今迄の手段を手放す時です。
そこでは、少なくとも“私”に餌を与えない事が、ヒントになってくれるかもしれません。
“私”という対象の中味を、観察しない事。
つまり、“私”の執着に、執着しない事。
縁(フチ)は、世界は、事実は、誰によって認識されているのでしょうか?
言語化に倒れ込む事なく、ただそこに戻る事も、助けとなるかもしれません。
マウントフジフラワーエッセンスは、こういった在り方のコツを掴むサポートをしてくれます。
様々なエネルギーボディ(サトルボディ)の層に、多次元的に作用するマウントフジフラワーエッセンス。
その使用プロセスでは、フラワーエッセンスで一般的に言われる「玉ねぎの皮むき作用」の水平次元での働きかけの他、垂直にらせん状に進むエネルギーシフト、あるいは、異なる次元での同時調整が起こる事があります。
そういった作用が、自分の尻尾を追いかけるグルグル状態から、全く別のところにポンッ!と飛ばし、“私”の活動をストップさせる事があるのですね。
言わば、“私”の一時的な失神状態です。
だから、失神の狭間で、目からウロコな事が起こったり、思い当たる原因なく、ある時突然、思考では理解出来ない「これだ!」といったカチッとした感覚を受け取ったりするのです。
まだまだ手放せないものがある自分だというのに、そんな自分より大きな何かに包まれ、そちらの方が圧倒的に正しいような、嬉しい感覚。
あるいは、あたかも恩寵が降って来たかのような感覚。
「マウントフジフラワーエッセンス講座」(毎週通い)、「マウントフジフラワーエッセンス集中講座」(4月29日〜)では、セラピストの在り方を体得するレッスンを通して、“私”との同化的な付き合いとは異なる在り方を掴んでいきます。
様々な瞑想や修行がそうであるように、本来はレッスンや鍛錬では決して獲得出来ない次元へと“進む”過程で、それが起こりやすい環境設定をする、とでも言っていいのでしょうか?
いやはや、矛盾していますよね。
そういった視点から見るなら、トラウマを解放したり、過去世を癒したり、カルマを解消したりといった事は、「幻想」を扱っているようなものです。
上位身体の次元では、肉体、感情、思考、過去は、幻想なのですね。
絶対的な“現実”といったものはなく、好きに創れる、創っている、とも言えるのかもしれません。
勿論、マウントフジフラワーエッセンスのセッションで行うエネルギーボディ(サトルボディ)のリーディングでも、クライエントさんに役立つなら、過去世のリーディングを行う事があります。
でも、それは、その次元の中で完結させるというよりも、執着とは違った方向性へと開いていく為、と言えるのでしょうか。
ある幻想の活動を失神させ、悪循環のつながりをカットし、次元をシフトするようなものなのかもしれません。
これはあくまで私の個人的経験であり、上手く説明出来ないのですが、意識的な失神のような、言語化のないところ、まっしろなところに在る事のコツのようなものがあります。
そして、慣れてきたら(?)、いつでもそこに戻れる、のではなく、いつもそこに在る事の気づきが広がっていきます。
興味深い事に、そのプロセスでのギフトとして、動きの世界の中に、愛が全てに広がっている事を体験します。
ただの信頼が、どんな“私”よりも大きくなります。
行為は、あえてその世界に降りていくような、役割を通したドラマ、軽やかな遊びとなります。
こういった視点から観るなら、地上世界から遠く離れた神秘的で複雑な世界でさえ、どこまで行っても、“私”に含まれているものだと理解されるでしょう。
もし、“私”という中心、縁(フチ)の内と外があるなら。あるいは、ヒエラルキーと共に変化していくものであるなら。それは、古より覚者によって東洋で伝えられている、「それ」とは異なるものです。
変化しているように見えるけれど、金太郎飴のようなものです。
―「それ」は、変化しないのです。
少し関連した事ですが、エネルギーボディ(サトルボディ)を理解するのに、エネルギーフィールドの大きさとして説明する方法があります。
例えば、第2身体は肉体の周辺10センチくらいに広がっている、等です。下位身体についてなら役立ちますし、私自身、「マウントフジフラワーエッセンス講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンス講座」の微細エネルギー解剖学の授業で、そういった事を伝えています。
ただ、上位身体については、下位身体と同じ扱いで伝える事は出来ません。
上位身体についてのそういった記述もあるのかもしれませんが、 “私”という肉体、あるいはエネルギーボディ(サトルボディ)を持った個、というところへの同化が消えた次元を表すのに、肉体周辺に何センチ広がってといった表現は、経験を通してもしっくりこないのですね。
今世の肉体であれ、輪廻転生する自分の総体であれ、この世界であれ、天国であれ、地獄であれ、神であれ。
道のりの段階で役立つものも役立たないものも、“私”の縁(フチ)の大きさが異なる金太郎飴なのです。
《大切なお知らせ》
●「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
●各「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
●「ハートサポートシステム(有)」、「日本フラワーエッセンス協会」以外のところでは、各講座の修了証、認定証は発行されておりません。
日本で最初にスタートした「ハートサポートシステム(有)」の講座に、
・講座や資格の名称が同じかまたは似ているもの、
・あるいはカリキュラムや内容を模倣しているもの、
・協力関係にあると誤解を招く内容を掲載しているもの、
これらについて、ハートサポートシステム(有)オリジナル講座、あるいは協力団体であると誤認されるケースが起こっております。
また、相互編入出来る、卸取引先としてハートサポートシステム(有)を紹介してもらえると誤認されるケースも起こっております。
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【編入による受講の誤認について】
他団体の基礎レベルのフラワーエッセンス講座から、「ハートサポートシステム(有)」主催の「プロ養成講座」に編入する事は出来ません。
「ハートサポートシステム(有)」の各「基礎講座」では、プロ仕様の基礎的レベルの理論と技法、加えてオリジナルメソッドを習得します。他団体で学べない内容が「基礎講座」時から含まれている為、編入頂く事は出来ません。
★「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」・・・・・・・バッチフラワーエッセンスの基本的な一般内容を既に把握されている場合、「入門レベル」、「体験レベル」の受講は自由参加となり、「実践レベル」からご参加頂けます。これには、他団体での学びの他、個人レベルでの使用や勉強(書籍等)で習熟されている方も含みます。
【編入による資格取得の誤認について】
「ハートサポートシステム(有)」主催の各講座を受講または修了後、他団体の類似講座を受講する事で、「日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピスト」の資格は取得出来ません。
★「日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピスト」・・・・・・・「ハートサポートシステム(有)」の各講座で習得したセッションを行える有資格者。
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「ハートサポートシステム(有)」と卸取引をする為に、他団体のフラワーエッセンス講座を受講し、紹介してもらうといったシステムは設けておりません。
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●卸のお取引をご希望の方は、こちらをご覧下さい
(つづく)
《エネルギーボディとチャクラについて 2012年4月18日配信号内
第123回目の原稿より 第7身体―29》
【はじめに】
これらは、オーラソーマ関連のメルマガとサイトからのご依頼により、弊社講師パビットラが2006年
8月16日配信号より執筆している連載原稿を、項目ごとに分かりやすくまとめたものです。
連載は現在も進行中ですので、不定期に新原稿を更新しています。
この連載は、フラワーエッセンスやエネルギーワークの基本を知り、エネルギーボディ(サトルボディ)、チャクラといった微細エネルギー解剖学的な事柄も含め、メタフィジカルな次元での理解を深める為のものです。
弊社講師パビットラの実体験からの理解を元に書かれている事から、既存のトレーニング、書籍からは得る事が困難な、専門的で詳細な内容も多数含まれています。
その為、フラワーエッセンスやエネルギーワークの専門家も、参考になさっています。
これらの内容にご興味のある方は、弊社「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」にて、講師である執筆者自身から直接学ぶ事が出来ます。
体験を通して理解して頂く為に、理論や実践と共に、エネルギーのトランスミッションをはじめ、多次元的な学びの機会を提供させて頂いており、プロのフラワーエッセンスやエネルギーワークのヒーラー、セラピストも、多数来られています。
《全体目次》
http://www.floweressence.co.jp/Essence/Mailmaga-info.html
【今回の内容はここから】
こんにちは、パビットラです。
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマに、今回も、第7身体とその周辺について書いていきたいと思います。
“私”が世界である事の認識。
でも、“私”という世界に縁(フチ)があり、その外、その始まりの前や終わりの後があるなら、その認識は、究極の「それ」ではないのだというお話を、前回書きました。
“対象”を認識する精神活動を極める事で、「それ」に行き着く事はないのですね。
私達の心は、神様以上の偉大なる創造者です。
金太郎飴の頭から尻尾迄、あらゆるものを創造する事が出来ます。
それは、どこまで行っても金太郎飴であると同時に、金太郎飴の外の世界もあるのだという事。
金太郎飴の外の世界には、金太郎飴を創造した偉大な何かがあり、その創造を創造したもっと偉大な何かもあって。
そんなふうに、“私”は、偉大なる金太郎飴を、様々な次元で創造し続ける事も出来るのです。
例えば、第3身体、アストラル体の次元での、肉体の生滅、魂の輪廻転生の、巡る道のりで訪れる世界。
第4身体、メンタル体の次元での、肉体に降り立つ事のない、天上の聖なる存在達の、永遠に平和な世界。
これらは、肉体やモノが物質世界での現実であるのと同様、その次元での“現実”です。
だから、私達は、アストラルの次元からの影響を受けたり、逆に働きかけたりする事が出来ます。
また、メンタルの次元を地上的な振動に落とし、祈りを通してコンタクトしたり、育て上げたり、サポートを受けたりする事も出来るでしょう。
探求の道のりを進むプロセスで(が)あるなら、これらは役立ちます。
また、これらの分野の専門家が、愛情や思いやりを持って、私達を援助してくれる事もあるでしょう。
そんな肉体の次元も、アストラルの次元も、メンタルの次元も、金太郎飴の延長線上にあります。
物欲に従って生きる事も、世間から離れて籠る事も、地獄やおばけを怖れる事も、天上界から助けてもらう事も。
私達は、この生であれ、もっと大きな生滅の単位であれ、金太郎飴の中を、進んで行きます。
そして、物質的なものであれスピリチュアルなものであれ、目的地へと至る為の沢山のルールを、自他に設けます。もしかしたら、ルールを外れたなら目的を達成出来ない、というルールも設けるかもしれません。
それが、様々な次元での“現実”です。
でも、第7の次元、「それ」は、この金太郎飴の延長線上の目的地で、達成を待ってくれてはいないのです。
かといって、金太郎飴の延長線上を超えようとするなら、その行為自体が、金太郎飴の中に居続ける事を助長するかもしれません。
何であれ、“ここ”から“あそこ”に行こう、という思いが続く限り。
金太郎飴は、あるのでしょうか?
いいえ、金太郎飴は、ありません。
そして、ないという事もまた対象となり、精神活動は続いて行くのです。
古から言われてきた、「それ」へと至る道のりでの、否定や、放棄や、終わらせる事。
言葉で言えない領域を否定の言葉で表現した「それ」は、「それ」自身ではありません。
だから、これらを下位の次元で捉えたなら、ルールはどんどん増えていきます。そして、「それ」へと至る為に、とても長い時間を、時には何世もかける事となっていくのです。
でも、高位身体の次元では幻想である道のり中で、ある次元のドアが開く事で、次のドアが開く事もあるのかもしれません。
そんなふうに、私達は、「それ」を思い出す為にたくさんの“無駄な事”を経験するのですが、まず肉体を持つ事で、経験はスタートします。
もしかしたら、「それ」を認識するという最初の縁(フチ)の一瞥の為には、肉体に宿り、二元性の中に入る必要があるのかもしれません。
「それ」の認識を体験する為に、私達はここにいます。
「それ」自体は、認識出来ないものであるにも関わらず。
「それ」には、次の段階がありません。達成するものも、縁(フチ)も、枠も、ありません。
だから、「それ」は、認識出来ません。
認識するには、分離、距離、対象が必要です。
宇宙、あるいは神は、自分自身を認識する為に世界を創造した、といった事のエッセンスは、もしかしたら、この事につながるのかもしれません。
下位身体の思考や論理からは、そこに隠された公然の秘密を理解出来ない為、時代を経る中、公然の秘密が見えなくなってしまっているのかもしれません。
探求して、探求して、探求を終わらせる事。
“私”という源から生じた果実は、この世界での熟成に時間がかかるのです。
果実には、「それ」が分かりません。
熟成しきって、それ自体が落ちる迄は。
“私”という引力が、 “私”を留める為に、身体を持たせています。それがなくなると、“私”に吸い寄せられる必要は、なくなっていきます。
認識、気づき、観照は、道のりのプロセスの中で、「それ」へのドアとなってくれるものです。
ドアの中に入ったなら、もうドアは必要ないのです。
さて、前回書いた事についてご質問を頂きましたので、この場でお答えさせて頂きます。
ご質問は、「マウントフジフラワーエッセンスのセッションで過去世のリーディングを行う事があるが、それは、その次元の中で完結させるというよりも、執着とは違った方向性へと開いていく為。ある幻想の活動を失神させ、悪循環のつながりをカットし、次元をシフトするようなもの。」という事について、もう少し知りたいとの事でした。
ご質問者の方はマウントフジフラワーエッセンスのセッションを受けた事があり、ヒーリング前に座って話を聞いている時から、今迄体験した事のない不思議な空間に入ったとの事で、その理由を知りたいから、という事でした。
これは、該当文の下に書いていた「意識的な失神のような、言語化のないところ、まっしろなところに在る事のコツのようなものがある。」という事にもつながるかもしれません。
マウントフジフラワーエッセンスのセッションでのリーディングの際、意識レベルでは言葉による伝達が続くのですが、別の層では、マインドが空白になる事へと誘われているのですね。
空っぽのスペースが生まれる事で、そこに、その人自身の理解が、内側からやって来るのです。
それは、時にはクリアなメッセージかもしれませんし、体感かもしれませんし、ハートを響かせるカチッとした感じかもしれません。あるいは、どこか別の次元に行っていたような感覚として、残るかもしれません。
マウントフジフラワーエッセンスのセッションのリーディングのステージ、とりわけ「ニューヴィジョンメッセージ」が含まれたセッションでは、よりそういった質が際立ちます。
リーディング内容は言語を通して伝えられはしますが、一般的なリーディングセッションで話を聞く時のような、ある種の日常の延長線上での意識でいる事が、クライエントには難しくなります。
これは、表層では言語を扱っていながら、同時に、言語を超えたところでのトランスミッションが起こっているからだと言えるでしょう。
多彩な次元で働きかけるマウントフジフラワーエッセンスですが、創った背後には、自分自身も含めた、「それ」の探求者達へのサポートという事がありました。
何故、花を選んだのかというと、大地に根差すと共に天へと開いている花が、ハートの表現のようであるからです。
花に内在する、ハートの質。
だからこそ、古の時代より、人の霊的成長に働きかけるスピリチュアルな領域で、花が使われたり、象徴とされているようにも感じています。
ハートは、私達が肉体を持ってここにいる事を通しての、究極の可能性の鍵です。ある意味、その上にもその下にも、ハート程の作用をしてくれる鍵はないのかもしれません。
また、花は、源の光がこの世界に降りて現れた虹の7色の特質を、その存在を通して表してくれています。
私達が花と出会う時、マインドが創造した余計な何かを介在させる事なく、虹の7色の核、エッセンスな領域と、ダイレクトに接触しやすいのです。
私達は、この世界で肉体を持っている事で、虹の7色の特質を認識する為に、様々な機会を持とうとします。
無条件の「愛」を実感する為に、運命の人を求めます。
永遠の「安心」を得ようと、充分なお金を獲得したがります。
揺るがない「力」を感じたくて、仕事で成果を出そうと頑張ります。
虹の7色が持つ特質を認識する為に、私達は、家族、恋人、友達、仕事、趣味をはじめ、人生の中の様々なシーンで、様々な事を行うのですね。
そして、それらが繰り返されるうち、様々な行為自体が目的となります。
虹の7色は、背後に隠れます。
でも、本当は、虹の7色の認識が目的であり、行為とは、この世界での認識の為の表現手段なのです。
そして、外側の表現が生じた元の虹の7色は、あらゆる人の内側に、元々あるものです。
私達は、内側のエッセンスを確かめる為に、外側に表現しているのです。
花と出会う時、私達のマインドやエゴの壁が取り払われ、依存や貸し借りなく、ただ純粋に、虹の7色のインスピレーションとつながりやすくなります。
ある花は「愛」を、別の花は「安心」を、他の花は「力」を、ただこの地上に咲いている事で、私達に思い出させてくれます。
また、花は、その中心で、やがては熟成しきって落ちる果実を、この世界に生じさせる存在でもあります。
そして、マウントフジフラワーエッセンスは、花が生じる前のエネルギーをブリッジとして、虹の7色が現れた源へのドアとなってくれるのです。
《大切なお知らせ》
●「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
●各「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
●「ハートサポートシステム(有)」、「日本フラワーエッセンス協会」以外のところでは、各講座の修了証、認定証は発行されておりません。
日本で最初にスタートした「ハートサポートシステム(有)」の講座に、
・講座や資格の名称が同じかまたは似ているもの、
・あるいはカリキュラムや内容を模倣しているもの、
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これらについて、ハートサポートシステム(有)オリジナル講座、あるいは協力団体であると誤認されるケースが起こっております。
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どうかご注意下さいますようお願い申し上げます。
【編入による受講の誤認について】
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「ハートサポートシステム(有)」の各「基礎講座」では、プロ仕様の基礎的レベルの理論と技法、加えてオリジナルメソッドを習得します。他団体で学べない内容が「基礎講座」時から含まれている為、編入頂く事は出来ません。
★「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」・・・・・・・バッチフラワーエッセンスの基本的な一般内容を既に把握されている場合、「入門レベル」、「体験レベル」の受講は自由参加となり、「実践レベル」からご参加頂けます。これには、他団体での学びの他、個人レベルでの使用や勉強(書籍等)で習熟されている方も含みます。
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「ハートサポートシステム(有)」主催の各講座を受講または修了後、他団体の類似講座を受講する事で、「日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピスト」の資格は取得出来ません。
★「日本フラワーエッセンス協会認定フラワーエッセンスセラピスト」・・・・・・・「ハートサポートシステム(有)」の各講座で習得したセッションを行える有資格者。
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「ハートサポートシステム(有)」と卸取引をする為に、他団体のフラワーエッセンス講座を受講し、紹介してもらうといったシステムは設けておりません。
お取引にあたり、ご紹介者は不要です。
●もし、これらの事柄に関してお困りの事、分からない事がございましたら、ご遠慮なくご相談下さいませ。
●【質問18】と【質問19】も参考になさって下さい。
●卸のお取引をご希望の方は、こちらをご覧下さい
(つづく)
《エネルギーボディとチャクラについて 2012年5月11日配信号内
第124回目の原稿より 第7身体―30》
【はじめに】
これらは、オーラソーマ関連のメルマガとサイトからのご依頼により、弊社講師パビットラが2006年
8月16日配信号より執筆している連載原稿を、項目ごとに分かりやすくまとめたものです。
連載は現在も進行中ですので、不定期に新原稿を更新しています。
この連載は、フラワーエッセンスやエネルギーワークの基本を知り、エネルギーボディ(サトルボディ)、チャクラといった微細エネルギー解剖学的な事柄も含め、メタフィジカルな次元での理解を深める為のものです。
弊社講師パビットラの実体験からの理解を元に書かれている事から、既存のトレーニング、書籍からは得る事が困難な、専門的で詳細な内容も多数含まれています。
その為、フラワーエッセンスやエネルギーワークの専門家も、参考になさっています。
これらの内容にご興味のある方は、弊社「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」にて、講師である執筆者自身から直接学ぶ事が出来ます。
体験を通して理解して頂く為に、理論や実践と共に、エネルギーのトランスミッションをはじめ、多次元的な学びの機会を提供させて頂いており、プロのフラワーエッセンスやエネルギーワークのヒーラー、セラピストも、多数来られています。
《全体目次》
http://www.floweressence.co.jp/Essence/Mailmaga-info.html
【今回の内容はここから】
【日常とセッションに役立つチャクラ・エネルギーボディ(サトルボディ)・エネルギー解剖学】
こんにちは、パビットラです。
マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディ(サトルボディ)、エネルギーワークをテーマにしたこの連載、今回も、第7身体とその周辺についてのお話が続きます。
本文に入る前に、アナウンスさせて下さい。
プロのフラワーエッセンスセラピストの集団「日本フラワーエッセンス協会」主催で、震災支援のワークショップ第3弾「“花のエネルギー”と出会う バッチ博士のフラワーエッセンスミニワークショップ&ミニセッション体験会」が、6月10日の2〜5時に開催されます。
被災された方は、参加費無料で、フラワーエッセンスのプレゼント付。
一般の方の参加費は、今回も「福島県動物救護本部 東日本大震災動物救護活動」に寄付させて頂きます。
ハートに内在する花の本質と繋がるグループでのエネルギーワークを前半に、フラワーエッセンスのミニ個人セッション(30分 30mlミックスボトル付)を後半に、最後にお茶とお菓子でシェアリングを行う少人数の集いです。
フラワーエッセンスのグループワークや個人セッションを、お気軽に、リーズナブルな参加費で体験して頂けるかと思います。
個人セッションでは、セラピストが1対1で対応させて頂き、バッチフラワーエッセンスのリーディングと、ボトルを使ったエネルギーボディ(サトルボディ)のヒーリングを行います。サポートが欲しいテーマを決めてきて下さいね。
ご興味のある方は、是非、いらして下さい。簡単な説明もありますので、フラワーエッセンス未経験の方でも大丈夫です。私も参加する予定です。
それでは、本文にいきましょう。
前回、私達は、様々な次元における“現実“の創造者であると共に、自らが創造した “現実“に働きかけたり、そこにルールを設けたりもする、といったお話をしました。
そして、第7の次元である「それ」は、そういった“現実“から高みへの延長線上や、頂点にあるわけではない、という事も。
「それ」は、決して表現出来ないもの。そして、表現したなら、「それ」ではなくなるもの。
なのに、古の時代より、「それ」のテイストを伝えようと、様々な表現の試みがなされてきました。
時には、聴き手である“私”の成長のプロセスに寄り添って、表現は変えられました。
時には、様々な角度から表された表現の姿が、正反対の様想になる事もありました。
そんな風に、異なる次元から多様な表現が試みられ、異なる次元で受け取られたが故に、ややこしくさせてしまった事もあったのかもしれません。
沢山のスピリチュアルなドラマが想像され、創造されました。
“私”がいるからこそ、「それ」を焦がれるドラマを生きられるのですね。
外へと映し出された「それ」への焦がれは、神聖な存在を生み出しました。
内へと映し出された「それ」への焦がれは、目的を持たせました。
自己を見つめる事や、修行する事や、瞑想する事や、エゴを捨てる事や、善行を積む事や、行う事、成る事の様々が。
そして、
神聖な存在が、目的が、“私”によって手放されていきました。
手放す“私”が、手放されていきました。
手放す事が、手放されていきました。
手放すものも、手放されるものも、なくなりました。
“私”が天の高みに至ったとしても、地の果てに堕ちたとしても、どんな次元でどんなドラマを創造したとしても、「それ」からは、はずれた事はありませんでした。
空っぽさの内で、生じたり止んだりする純粋なダンスを意味付けする、創造者である“私”。
意味付けと共に言葉が生じ、その言葉に沿ってドラマが生じました。
“私”が言語を生み、ドラマを生み、過去を生み、未来を生み、時間を生みました。
私”がいなくなったなら、言葉が止み、ドラマが止み、過去が止み、未来が止み、時間が止みました。
幻想の蓄積のない空っぽさの中で、純粋なダンスの生滅が、ただ、起こっています。
「それ」は、空っぽさ、純粋なダンスの認識をも超えています。
さて、ここからは、別の角度から表現をかえて、高位身体の次元を探っていきましょう。
同じ視点で読むと矛盾が起こるので、ちょっと切り替えて下さいね。
霊峰富士に咲く花々から創られた、マウントフジフラワーエッセンス。
前回、花という媒体を選んだのは、花が、大地に根差すと共に天へと開いているから、といった事を書きました。
私達のエネルギーが、肉体の次元へと下降し、生殖器のチャクラを通して対極の性と結ばれたなら、第3の肉体が誕生します。地上での生命が、存続されていきます。
その同じエネルギーが、高次の次元へと上昇し、頭頂のチャクラを通して天と結ばれたなら、2元性を超えた霊的な変容が誕生します。
花は、人で言うなら生殖器です。
なのに、地に向かわず、天へと開いています。
花は、肉体から肉体を超えたものへ、地から天へと上昇する私達の究極の可能性を、この世界で表現しているのですね。
そして、花が、その姿を通して、私達に喚起させてくれる虹の7色の特質。
例えば、愛、情熱、共感、平和、静けさ、調和、勇気、力、明晰性。
マウントフジフラワーエッセンスは、そんな虹の7色の特質を表現する花の姿が地上に生じる前の、もっともっと微細なエネルギーです。
この世界で、花という命、肉体が起こる前にある、より純粋な、エッセンスの存在、本質そのもの。
マウントフジフラワーエッセンスは、そんな7色のエッセンシャルな質、多次元的な幾重もの層を突き抜けて、普遍性へ、宇宙へ、中心へと至れる可能性をも秘めているのです。
日本で最初にフラワーエッセンスを導入し、長年関わる中で、国内外の様々なところから、「○○のエッセンスを創って欲しい」といった依頼を受ける事があります。
例えば、聖なる存在○○のエッセンス等です。
エネルギーの次元を体験していれば創り方は分かりますし(そういうものなのですね)、創れるものでもありましたが、全てお断りしてきました。
(もし、思い当たる方が読まれていたら、ごめんなさい)
ちなみに、聖なる存在の名称故にメンタル次元だと捉えがちですが、エネルギーの世界を体験的に理解している人なら、この種のエッセンスが、アストラル次元に落とし込まれて作られ、下位身体の次元で作用してくれる事が感じられるかもしれません。
いずれにせよ、どの次元であれ、関係している次元で作用し、役立ってくれるのですね。
“天と地の間にある天”で、私達をサポートしてくれる次元。
その次元は、地への降り立ちがなく、天へのシフトもない領域です。
地にも属さず、天にも属さないその狭間からは、下降して根付く先も、上昇して消え去る先もありません。どちらにも行く事なく、その状態に安定しています。
地の花も、天の花も育つ事がないからこそ、平安なのです。
でも、私達は、そういった次元さえ超えて、上昇していく可能性を持っています。
地上世界に降り、肉体に納まる事で、本当の天へと再誕生出来るのです。
花達は、私達人間のメンタルな創造活動を介在させる事なく、エッセンシャルな領域に、ダイレクトに、よりシンプルに、まっすぐに行かせてくれる特徴を持っています。
本質の、直接的な体験です。
現れていなかった可能性が現れた究極の結果を、「開花」と言います。
それは、可能性に行き着いた事、至った事を示しています。
私達は、気づかぬうちに、花がこの世界で何を与えてくれているかを表現しているのですね。
地と天という二元性の超越を秘めた花のエネルギーを、究極の「それ」の探求者であるならば、使わない手はありません。
フラワーエッセンスの中でも、独自の方法で生成されたマウントフジフラワーエッセンスは、「それ」への探求者の道のりをサポートしてくれます。
セラピーであり、ヒーリングであり、代替療法であると共に、「意識」に働きかける特徴を持っています。
探求者であるならば、本気で究極の目覚めに焦がれる事を助け、より焦がれを本気にさせ、意識のシフトを起こしてくれます。
他にも、新しいブランドの立ち上げからOEM迄、ビジネス的なものから神秘的なもの迄、あるいは、マウントフジフラワーエッセンスとのコラボ等、様々なお話も頂いてきましたが、これらについてもお断りしてきました。
ただ、「ア・マ・テラッセ」という製品に、日本の植物へのこだわりという共通点、良心的な価格設定に共鳴し、マウントフジフラワーエッセンスをコラボさせて頂く事となりました。
「日本を元気にする」というコンセプトへの共振が最も大きな理由でもありましたが、2011年の3,11東日本大震災後の5月、デビューとなりました。
「日本を元気にする」日本の植物達からのギフトは、1年を迎えました。
「日本を元気にする」を胸に抱いて、出来る事を地味にでも続けていきたいと思っています。
震災支援のワークショップ第3弾、ご縁があったらいらして下さい。
また、他にもボトルの無料送付等、支援を継続しています。被災地の方は、よろしかったら、花達のサポートを活用して下さいね。
震災サポートの詳細は、ハートサポートシステムのサイトからご覧頂けます。
《大切なお知らせ》
●「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座」、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」、「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」、「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」(東京夜間、集中、通信)の修了証は、「ハートサポートシステム(有)」主催の各オリジナル講座でのみ、発行されます。
●各「フラワーエッセンスプロ養成講座」の修了生は、「日本フラワーエッセンス協会」の認定資格を取得する権利を持つ事が出来ます。
●「ハートサポートシステム(有)」、「日本フラワーエッセンス協会」以外のところでは、各講座の修了証、認定証は発行されておりません。
日本で最初にスタートした「ハートサポートシステム(有)」の講座に、
・講座や資格の名称が同じかまたは似ているもの、
・あるいはカリキュラムや内容を模倣しているもの、
・協力関係にあると誤解を招く内容を掲載しているもの、
これらについて、ハートサポートシステム(有)オリジナル講座、あるいは協力団体であると誤認されるケースが起こっております。
また、相互編入出来る、卸取引先としてハートサポートシステム(有)を紹介してもらえると誤認されるケースも起こっております。
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どうかご注意下さいますようお願い申し上げます。
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【編入による資格取得の誤認について】
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