*エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラ・第5身体(スピリチュアル体)*
〜メルマガに連載中の過去の原稿から〜

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《エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラについて 第51回目の原稿より 第5身体(スピリチュアル体)―1》
 マウントフジフラワーエッセンスからみたエネルギーボディー(サトルボディー)、エネルギーワークをテーマに、今回からは、第5身体(スピリチュアル体)のお話となります。

 エネルギーが下から上へと上昇し、活性化した第4身体(メンタル体)の次元。その天と地の仲介の次元が更に微細になると、私達は大地を去り、天へと飛翔します。
 第1身体(フィジカル体)から第4身体(メンタル体)迄は、ある意味、大きなひと括りの中での移動であり、階段を一段一段登るかのように、連続していました。それに対して、第5身体(スピリチュアル体)は、その大きなひと括りから、シフトします。第4身体(メンタル体)の階段の踊り場から足を離し、天の領域へと飛び立つかのような、スピリチュアルな次元なのです。

 地を後にしたその領域は、地の世界で私達が抱える様々な事柄や問題の、引力圏外にあります。大抵の問題、あるいは問題の原因というものは、自分と他者、自分と外界との関わりにおいて起こるもの。そういった地上のやっかいな問題に、この次元になると巻き込まれる事はありません。この次元は、俗世界のもろもろ、エゴとエゴのぶつかり合いからは自由なのです。外と内といった対比や関わりの刺激や助けなく、自分自身で在る事を認識している次元です。

 第4身体(メンタル体)で、思考の狭間で現れては消えていた気づきが、この次元では、気づきそのものとなります。思考や感情に振り回される事なく、対極の間を揺れ動く事なく、瞬間瞬間、中心に在って、意識的に目覚めています。

 今の世界において、実際に第4身体(メンタル体)が活性化している事は、思いのほか稀な現象です。更に微細になった第5身体(スピリチュアル体)の次元は、もっともっと稀だと言えます。
 第5身体(スピリチュアル体)は、地上で肉体を持った個としての繰り返しの環から放たれ、第4身体(メンタル体)の幻からも自由になり、開かれた天へと飛翔する霊的次元です。

 もしかしたら、この文章の、自分自身で在る事、気づき、中心に在って、目覚めている、といった単語から湧き上るイメージがあるかもしれませんが、第5身体(スピリチュアル体)の次元は、おそらく、それとは違ったものでしょう。
 人々が人生の中で特殊な環境にある時、一時的にそのような状態になる事はありますが、また元の状態に戻り、ほとんどの時は眠りこけたままです。
 また、もし、下位身体を飛び超えてこの次元が活性化したならば、スピリチュアルである事とはかけ離れた表現をとっていくかもしれません。
 
 そしてまた、第4身体(メンタル体)がゴールではなかったように、人として到達する事が稀有であるこの第5身体(スピリチュアル体)の次元も、ゴールではありません。古今東西のエネルギーボディー(サトルボディー)の概念において、それが5つに分類されている場合、第4から第5身体(スピリチュアル体)への天の領域へのシフト故に、そう受け取られているのかもしれませんね。

 エネルギーボディー(サトルボディー)の次元が微細になればなる程、知的で論理的な枠組み、知識や努力は、邪魔や障害になっていきます。あえて有益なものを挙げるとしたら、日本で培われてきた伝統的な瞑想が、第5身体(スピリチュアル体)にも役立つと言えましょう。
微細な次元のエネルギーであるマウントフジフラワーエッセンスを扱うセッションでも、過去の枠組からは自由な、新しい在り方が基本となっています。

 二元性を超えたところにある自分自身の“正しさ”を見い出し、より高い視点で決断していくマウントフジフラワーエッセンスに、ニラがあります。
 自由意志や責任と関わるニラは、自由な個としての意識的な選択と意味付け、自分自身を生きる事にフォーカスしています。
 ニラは、周囲の反応や意見、世間的な価値観や評価が気になって、本当にやりたい行動を起こせない時に有効です。盲目的な信じ込み、今の自分には役立たない価値基準や慣習から、自由になっていくサポートにもいいでしょう。
 このフラワーエッセンスは、ひとりひとりが個々の世界の創造者であり、体験を精いっぱい生きていく事への責任と可能性に気づかせてくれるのです。
(つづく)


《エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラについて 第52回目の原稿より 第5身体(スピリチュアル体)―2》
 第5身体(スピリチュアル体)は、地上を後にしてスピリチュアルな天へと飛び立ったかのような、それ以前の下位のエネルギーボディー(サトルボディー)とは全く違った領域です。第5身体(スピリチュアル体)にチューニングを合わせたなら、第1〜第3身体(アストラル体)、また、第4身体(メンタル体)とも全く違う、それらの次元を超えた異質な異次元のエネルギーである事が、感じ取られるでしょう。

 第4身体(メンタル体)で思考への同一化が解かれ、思考のない状態が広がっていくにつれ、様々な物事、他者へのリアクションは消えていきます。
 そんな第4身体(メンタル体)の次元から、天へと飛び立った第5身体(スピリチュアル体)の次元は、小宇宙の “Being”に目覚め、覚醒している次元。大宇宙という大海から生まれた、小宇宙である私達。個であると共に、大海の一部である私達……。
 第5身体(スピリチュアル体)の天の次元、二元性を超えた小宇宙の次元では、地上で制限された個というエゴが持つ葛藤からは、完全に自由です。

 『私達人間は、それぞれが独立した個であると共に、宇宙、存在の一部でもあります。一粒の水滴が大海の一部であるように。フラワーエッセンスは、私達一粒一粒の水滴のそれぞれが大海とつながっている事を思い出させ、大海からの栄養をスムーズに受け取れるようにしてくれます。そして、大海の意志と可能性が、水滴という個々の人格を通して、この地上で具体的に実現されていく事をサポートしてくれるのです。』バッチ博士のフラワーエッセンスガイドブック/フレグランスジャーナル社刊より
 2000年に日本人として初めて出版したこの専門書も、もう7刷目になりました。当時と比べると、フラワーエッセンスも徐々に知られてきていますね。

 「バッチ博士のフラワーエッセンス」は、個としての自分と大宇宙の源とのつながりを思い出し、仲介であるハイアーセルフを通して源からの光を受け取る事で、この地上での天命を全うしていけるようサポートしてくれます。

 個としての人格である私達は、生まれながらに、魂の特質、本質的な質というものを持っています。人格が魂の特質と切り離された時、私達は、人生を生き辛くなります。「バッチ博士のフラワーエッセンス」は、私達の魂が本来持っている特質と同調する、花のエネルギーそのもの。だからこそ、その周波数で、二元性の次元である人格の周波数を整える事が出来るのです。人格が魂からのまっすぐな光と再びつながり、「本来の自分自身」、天命を生きていけるように。

 独り在る事へと開いてくれるマウントフジフラワーエッセンスに、ノビルがあります。
 ロンリネスからアロンネスへ、孤独から独り在る事の満足へ。ノビルは、内側の一体感をもたらし、小宇宙である自分自身へと意識を向けてくれるフラワーエッセンスです。分離感を溶かし、淋しさを伴う孤立や孤独ではなく、満たされた感覚で独り在る事とつなげてくれます。
 このフラワーエッセンスは、瞑想やスピリチュアルな世界に引き篭もってしまう人にも使用出来ます。理想化された自己イメージを、崩せない人にも。

 エネルギー解剖学的には、ひとつ上位のエネルギーボディー(サトルボディー)から、あるいはひとつ上位と下位の間から、下位エネルギーボディー(サトルボディー)を整える事が出来ます。第1〜第4身体(メンタル体)次元の、調和と不調和といった二元性に作用する「バッチ博士のフラワーエッセンス」ですが、二元性の揺れを超え、より微細な領域にもその作用が浸透する潜在力を持っています。

 2009年2月からの「バッチ博士のフラワーエッセンス講座」から、今の時代の探求への呼応として、エネルギーワークとして昇華する事で、古のフラワーエッセンス、古典的なフラワーエッセンスに内在する、素晴らしい力を紐解き、活用するフルセッションを展開しています。
(つづく)


《エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラについて 第53回目の原稿より 第5身体(スピリチュアル体)―3》
 第5身体(スピリチュアル体)を感じてみると、まさに次元がシフトしたかのように、下位のエネルギーボディー(サトルボディー)とは全く異なった質のエネルギーである事は、前回書きました。

 第5身体(スピリチュアル体)は、その拡大を遮るような、ざわめく思考や言葉の雲に翻弄される事はありません。いわゆる、この世界で判断されるところの、良いものであれ悪いものであれ。第5身体(スピリチュアル体)は、二元性の世界のあれこれを手放し、中心からどこまでも際限なく広がっていく、覚醒したスペースのようです。

 これは、私の体験を通したものですが、第4身体(メンタル体)にも第5身体(スピリチュアル体)にも、開かれた喜びの感覚のようなものがあるように感じています。
 でも、第4身体(メンタル体)が持つ至福の感覚と、第5身体(スピリチュアル体)の至福(といっていいのでしょうか)の感覚は全く違います。4身体次元の至福が、あえて言えば、第5身体(スピリチュアル体)と比べると暖かくセンチメンタルなのに対して、第5身体(スピリチュアル体)は、そういった質とは違います。でも、それは、第2身体(エーテル体)次元のセンチメンタルとは全く異なるものです!
第3身体(アストラル体)以降は、言葉を通した表現が、どんどん難しくなっていきます……。

 マウントフジフラワーエッセンスを使ったセッションで、クライエントがある深い状態に在る時、自然にこういったスペースへのチューニングに降りていくといった事が、ただ、起こる事があります。
 そこは、私が、といった個人の人格やエゴを超えた、マインドや言葉で表現すると、きっとずれてしまう、もっと深いところでの出会いの次元、とでも言ったらいいのでしょうか。Being、臨在を通した出会い、沈黙の交感とも言えるのかもしれません。そこで起こった微細な変質のようなものは、意識されてもされなくても、深い核に届いて、いつの日かじわじわと芽吹くのです。
 日本の花達の微細なエネルギーであるマウントフジフラワーエッセンスの媒介が、私達の臨在の領域へと響き、自然にその次元が花開いていくというのは、とても興味深い事です。花のエネルギーとの出会いによる幾重もの可能性の全てを、私達人間は、まだまだ認識していないのかもしれませんね。

 サイキックな学びにおいても、学ぶ内容とは別の次元で、伝達されるものは様々です。臨在を貫き、ただそれが"分かる"ような深い体験、瞑想のフィールドを触発するのは、教えているワーク内容と関係のないところで、あるいはより大きなところで、"起こる"ものでもあります。
 私達がマインドに巻き込まれる事のない沈黙のスペースに在る時、行っている事の背後で伝わる本質を、臨在としての出会いを通して感じ取ります。
 また、そこから改めてワークの内容を見渡してみると、その学びに隠された深い意味や、より大きな意図が感じられたりもするかもしれません。

 隠された可能性をオープンしてくれるマウントフジフラワーエッセンスに、リンドウがあります。
 再び光とつなげてくれるリンドウは、隠された可能性、埋もれた宝を見い出す為のフラワーエッセンスです。
 自分自身に対しては、外側に張られた雲の背後に隠されたそのままの自分に、気づいていくサポートとなります。
 また、自分自身の特質、個性、才能、長所等、隠れたものを見つける手助けにも役立つフラワーエッセンスです。自分自身に対する、過去からの固定した見方を手放し、拡大した新鮮な視野で、新しい可能性を見ていく為に。
 様々なレベルでの痛み、滞りを流してくれる働きもあります。気になる部分の周辺にスプレーし、深い呼吸と共にリンドウのエネルギーを広げましょう。

(つづく)


《エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラについて 第54回目の原稿より 第5身体(スピリチュアル体)―4》
 第5身体(スピリチュアル体)は、気づきがある、気づきがないといった対比や凹凸はなく、それらをも内包する、制限のない空のような気づきに在る次元です。
 そういったところから見ると、瞑想がスタートするのは、第5身体(スピリチュアル体)からだと言えるのかもしれません。

 言葉による表現が比較的簡単だった第1〜第3身体(アストラル体)に対して、第5身体(スピリチュアル体)の次元は、第4身体(メンタル体)以上に難しくなっていきます。
 第5身体(スピリチュアル体)の回からは、私自身の体験からのお伽話のようなもの、あくまで主観の世界として、読んでいって頂ければありがたいと思っています。

 私自身の体験としては、第5身体(スピリチュアル体)の次元にチューニングを合わせると、その際限のない永遠の宇宙のような感覚に、制限から解き放たれた全き自由を感じます。それは、エゴや人格としての自分、個や部分といったものが消え、引力から自由になり、宇宙全体へと広がっているような至福、喜びの感覚です。
 時空の制限を超えた、小宇宙としての永遠の自分が、ただ在る次元。
 中心に在って、遥か宇宙のはじっこに同時に触れているかのような。無限の空間でいて、時間と距離を飛び超え、同時に彼方と出会っているかのような。

 その瞑想の次元では、過去から蓄積された知識は役立ちません。もし、そのようなものが頭をかすめたとしたら、そこからはずれているのですから。
 例えば、尊敬する教師から学んだものがいかに素晴らしくても、その知識によって、制限のない宇宙は、個、部分といった分別のあるマインドの世界に収縮してしまうでしょう。体験を伴う事のない情報の独り歩きは、ポイントをマインドの世界に留める事になってしまうのです。
 スピリチュアルな勉強は、専門知識を豊かにし、それをまた誰かに教えていく事が出来ます。ヒーラーとしてのテクニックも、上達します。でも、より深い次元に浸透し、変質が起こるところ迄、入っていく事は出来ないのです。

 もし、何かを通してそれが伝達され、その人の存在に達するとしたら、知識や教育からではなく、臨在、沈黙の交感によってだと思います。
 それは、言葉や文章を超えたところで起こります。言葉と言葉の間の沈黙、行と行の間の空間で、それは少しだけ香っています。そこにチューニングが合い、開かれていったなら、受け取られるものだとも言えるかもしれません。

 スピリチュアルな探求者として、あなたは、何を求めているのでしょうか?
 求めている“そこ”の次元へと、今の学びは開かれていますか?
 そんな問いかけをするのは、第5身体(スピリチュアル体)の次元と対応する、第5チャクラなのですね。

 自分自身を、本当に生きる事へ。
 獲得し、蓄えていくといったものとは違う次元での、いつもまっさらな創造性へと開かれた時。それが今世や来世といった長い単位であれ、数秒間の短い単位であれ、大小の“輪廻”や“カルマ”の怖れから自由になっていけるのかもしれません。内なる中心の、永遠の宇宙から。

 時空を超えて行くマウントフジフラワーエッセンスに、「変化を超えて再誕生する」があります。
 「変化を超えて再誕生する」は、時空の流れという表層を生きながらも、決して変化しない中心に在る事に同時に目覚め、時空を超越していくボトルです。
 決して変化しない実存に根付く事、臨在する事、在る事は、瞬間瞬間の創造と破壊といった動きや変化を許す事と、対立するものではありません。そんな理解へと、このボトルは誘ってくれるのです。
(つづく)


《エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラについて 第55回目の原稿より 第5身体(スピリチュアル体)―5》
 第5身体(スピリチュアル体)は、第5チャクラと関係しています。
 若い頃、自分自身の第5チャクラにチューニングを合わせると、いつも宇宙に拡大するような感覚がありました。エネルギーをリーディングし、それをアートで表現すると、目を引く大きさへと拡大していました。

 友人のあるサイキックヒーラーは、「アーティストとしてのクリエイティビティがあるから、第5チャクラが発達している」と言っていました。確かに、当時、私はプロのイラストレーターでしたが、外交的にコミュニケーションするタイプではなく、単純に=第5チャクラが発達しているという事ではない、何か別の第5チャクラの特質が関連している、と確信していました。
 そして、段々と、第5身体(スピリチュアル体)、第5チャクラのより深い領域について、体験を通して感得するものがありました。その観点から見ると、一般的によく言われる第5チャクラの資質である、狭い範囲におけるクリエイティビティ、言葉を通したコミュニケーションといったものは、表層的、部分的なものだと言えるかもしれません。

 第5チャクラの外側の、動き、変化、信じ込み、既知、経験、個の世界。内側の深い領域での、集合的、普遍的な次元。そして、中心の、空の次元。
 実のところ、中心の空は、どのチャクラにも在るものです。そこには、通常は、第4チャクラから入っていくのが最も簡単で安全ですが、第5チャクラから入っていく体験も、ハートから次へと進む準備が出来ていたなら、大変興味深いものとなるでしょう。

 『霊的世界に関係する最初のチャクラである第5チャクラは、下位のチャクラの監督者。第5チャクラにある信じ込みは、下位のチャクラをコントロールするのです。下位のチャクラを癒し、信じ込みがもたらすパターンから自由になるには、この部分にワークしていく事が大切だと言えるでしょう。』(2007年10月10日の連載第13回目より)

 第5チャクラに蓄積された過去の体験からの信じ込みは、下位のチャクラの反応をコントロールし、あなたの人生と世界を創造します。この部分のエネルギーレベルでのパターンを変容する事は、人生の変容へとつながっていきます。
花の微細なエネルギーパターンであり、エネルギーボディー(サトルボディー)の領域にダイレクトに作用するマウントフジフラワーエッセンスは、この次元の変容にも役立ちます。

 第5チャクラの奥深くへとチューニングを合わせた時、そこには、制限されたものはありません。その超えたる次元では、蓄積された知識や努力は不要です。そこでは、あれやこれやと思い悩む繰り返しはありません。
 問いかけは、それ自身に吸収され、無限の空へと消えていくかのようです。そして、変容は、何もないところから、ただ、一瞬にして起こります。引力なく身軽に、クリアに、スッキリ、あっさりと! 一瞬で床が抜け落ちたような、ただ今ここに在る、静かに静止し、覚めたスッキリ感。
 また、内側で起こった変質は、外側の動きの世界での新しい創造性として、現実に表現されてもいくのです。

 ありのままにくつろぐマウントフジフラワーエッセンスに、マルバハギがあります。
 マルバハギは、世界と自分を、そのままに受け入れる為のフラワーエッセンスです。何が起こっていても、ただ、信頼するという質をもたらしてくれます。
(つづく)


《エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラについて 第56回目の原稿より 第5身体(スピリチュアル体)―6》
 ……私達は、今にいるようにみえて、過去を生きています!私達は、第5チャクラにインプットされた、過去の体験によって積み上げられた信じ込みである“内側の独り言”に従い、「人生のリアリティ」を創り上げているのです。

 エネルギー解剖学的に、下位のエネルギーボディー(サトルボディー)やチャクラに対応し、それを支配するエネルギー中枢が、この第5チャクラに存在します。
 そこには、全ての過去の体験のデータ、エネルギーパターンが蓄えられています。個人であれ、転生の単位であれ。また、そのエネルギー中枢のより内側の深い層には、集合的な情報、つまり、アカシックレコードまでもが蓄積されています。

 このエネルギー中枢について、私が尊敬するアメリカ人のヒーラー、プラサードは、リングと名付けています。この概念は、エネルギーにワークしていく上で、とても役立つものです。

 第5チャクラのコントロールという性質をリングという概念から説明すると、リングに蓄えられた過去のエネルギーパターンのデータが、下位のエネルギーボディー(サトルボディー)がどうあるべきか、といったものを創り出していると言えます。つまり、下位のエネルギーボディー(サトルボディー)の不調和は、リングにインプットされたエネルギーパターンの反映なのです。
 そういった意味において、エネルギーワークを行う際、下位のエネルギーボディー(サトルボディー)を調整するだけでなく、第5チャクラに働きかける事、あるいはリングを調整する事が、重要だと言えるでしょう。

 また、リングや第5チャクラだけを調整しても、エネルギーボディー(サトルボディー)に固まったエネルギーが残っていると、それがアンテナとなり、様々な刺激によって、古いエネルギーパターンを再び取り込みやすくなります。エネルギーボディー(サトルボディー)に働きかけると、過去のパターンがやってきても、そこに凍りつかず、ほぐれやすくもなる事で、エネルギーパターンの解放が加速されるでしょう。
 エネルギーボディー(サトルボディー)とリングあるいは第5チャクラの両方に働きかける事で、また元に戻るというエネルギーのリバウンドに、引っかからなくなっていくのです。

 この第5チャクラの変容には、まず、ハートから受け入れ、許す事が鍵となります。ハートの受容という質を経る事なく第5チャクラに働きかけても、なかなか変容には至りません。様々なヒーリングを受け、変容しようと頑張ってみても、そこにハートの受容がなければ、エネルギー的に拒絶や葛藤が起こり、やっぱり何も変わらないと思ったり、リバウンドしてしまったりするのですね。
 そしてまた、ハートに留まったままだけでは、変容は起こりません。受容と変容が共に起こる事で、全てが大きくシフトするのです。

 第5チャクラの中心は、過去の信じ込みから自由です。中心では、全ての過去がスペースへと戻っていきます。あらゆる信じ込みと、それによって生じている痛み、苦しみ、憎しみ、楽しみ、喜び、想像、意味付け、言葉、内側の独り言……。それらが、中心のスペースへと溶け込んでいきます。
 瞬間瞬間、生まれたての新しさの中に洗われ、ただ在る事。そこでは、過去の影響を引き受ける必要性はありませんし、次に何が起こるかも分かりません。

 “知らない”という在り方で、生の神秘をそのままに受け入れると、私達は、小宇宙の無限の可能性、自由へと開かれます。何の理由もない、何に頼る事もない、100%の信頼が、そこには在るのです。

 知らない姿勢……この事は、マウントフジフラワーエッセンスのセッションにおいて伝えている、大切な基本姿勢です。マウントフジフラワーエッセンスと共に在って、セラピストのエネルギーボディー(サトルボディー)がくつろぎ、エネルギーが自然に流れている時、楽に内なる中心に臨在しています。中心の静けさと表層の動きのバランスの中、その両方を同時に体験しています。中心のスペースに在る事でこそ、そこからダイナミックで豊かな変容も発動します。そして更に、それらを超えたより大きなものへと入っていく可能性が、開かれていくのです。
(つづく)


《エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラについて 第57回目の原稿より 第5身体(スピリチュアル体)―7》
 瞬間瞬間の新しさに開いている事は、第5身体(スピリチュアル体)が持つ可能性です。
 私達は、様々な信念、信じ込みを持って生きています。自分自身が、これは正しい、これはこうなんだと思っている、過去の体験から蓄積されてきた様々な信じ込みは、私達の人生の今をすり抜け、未来を創り上げていきます。
 信じ込みは、それに沿った体験を呼び込みます。そして、体験の現象化によって、やはりその信じ込みは正しかったのだと確認する事となります。この繰り返しによって、信じ込みは、より確固たるものへと成長していくのです。

 ……あなたが正しいと信じている事、それは、本当にそうなのでしょうか?
 この問いかけに対して、様々な応答が内側からやって来るのでしょうか。肯定する応答、否定する応答、その間で揺れ動く応答、役立ちそうな応答、もう手放してもいいと思える応答、今迄にはなかった新しい応答……。
 でも、この問いかけに答がやって来たとしたら、どのような答であったとしても、それは、第5身体(スピリチュアル体)の次元からのものではありません。第5身体(スピリチュアル体)は、問いかけと答のはるか彼方、エゴや二元性の終わりを超えたところに属するのです。

 第5身体(スピリチュアル体)の次元に入ると、エゴの葛藤はなくなり、信じ込みから解放されていきます。答を求める次元では、信じ込みがすり替わってはいきますが、信じ込みというパターンの根っこは、形を変えながらもそのまま続いていくのです。
 確固たる答がある(というふうに信じ込んでいる)時、私達は、安心します。答がない、知らないという未知へとくつろいだ時、私達は、信じ込みを創造する事から退けるのです。(でも、別の次元でこの事を納得しようとすると、またややこしいところにはまり込んでしまうかもしれません!)

 何かを求めたり、しようとしたりする思考や感情への同一化や色付けが抜け落ち、ただ、覚めている事。実は、誰もが、人生の中で、こういった第5身体(スピリチュアル体)の感覚を体験する事があります。これは私の感じであり、第4身体(メンタル体)以上に表現するのが難しいのですが、その次元は、思考も感情もなく、氷山のてっぺんのクリアさそのものとしてただ在るという、あらゆるものが抜け落ち、中性で境界のない覚醒感、臨在感でしょうか。それは、無境界な宇宙的広大さであるとも言えるし、距離や大きさを超えたところだとも表現出来るかもしれません。
 マウントフジフラワーエッセンスのセッションで、セラピストがこの覚醒の静止した臨在から動いている時、マウントフジフラワーエッセンスがもたらす自由な創造性が、そこで起こるのを目撃する事となります。

 第5身体(スピリチュアル体)の第4回目で「瞑想がスタートするのは、第5身体(スピリチュアル体)からだと言えるのかもしれません」と書いたのは、こういったところから来ています。例えば、禅的なメソッドは、生死の循環から自由になる、第5身体(スピリチュアル体)の次元に役立ちます。
 第4身体(メンタル体)以降、学習は役立たなくなっていきます。例えば、論理的思考、客観的識別力、比較や批判精神といったものを持ったまま、入っていける次元ではないのです。また、それらへの否定や葛藤が存在する次元でもありません。

 肉体を持って生き、動きの世界の様々な領域に触れ、味わいながらも、それを超えた次元に同時に在る事が、誰の内にも可能性として内在しています。
 それには、人格、経験、知識、努力、才能といったものとは、関係ありません。もし、そこに “至る事”への区別意識のようなものがあるならば、その思考は、第5身体(スピリチュアル体)に属してはいないのです。第5身体(スピリチュアル体)は、信じ込みがもたらす安全性や保証(として一見見えるもの)、至ったり習熟する事からは自由です。

「リヴィングエナジー」の2009年発売号に、このシリーズ前半のとりまとめで、「マウントフジフラワーエッセンスによるエネルギーワークセッションにおけるエネルギーボディー(サトルボディー)への作用」として、第1〜第4身体(メンタル体)について執筆しています。マウントフジフラワーエッセンスのエネルギーワークがどのようにエネルギーボディー(サトルボディー)に作用するか等、こことは少し違った内容が書かれていますので、ご興味のある方は、機会がありましたらご覧下さい。
(つづく)


《エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラについて 第58回目の原稿より 第5身体(スピリチュアル体)―8》
 天に属する第5身体(スピリチュアル体)の次元。地上のあれこれに一喜一憂する自分にとって、その次元は、はるか彼方の世界だと思っている人もいるのでしょうか。
 精神世界の書籍を読むと、とても素晴らしい事が書いてあります。素晴らしい事を伝えている人達は、自分とは違う世界に住んでいるようにも思えてきます。自分もそうならなきゃ、変化したい、でもまだまだ浄化されていない、気づきがない、ありのままの自分を許せてない、と。

 でも、精神世界で伝えられている、書かれている素晴らしい事柄。そういった事を読んだり、あるいは他者から聞かされたりして、水平の次元でつじつまを合わせようと頑張ってしまうと、不自然で無理のある頑張り故に、葛藤が起こります。ずうっと我が家にたどり着けない迷い人のように、両極の揺れ動きの中に留まり、その中で悩み続けてしまうのです。そして、ますます、自分を小さく不完全な存在に思えてしまったりもして。
 エネルギー的な視点でこれを見ると、スピリチュアルな事であれそれ以外の事であれ、外側から取り込んだ判断や信じ込みの積み重ねは、第5チャクラの情報、つまりリングに特定のエネルギーパターンを形成し、それはまた、下位のエネルギーボディー(サトルボディー)を経て現実世界へと反映され、固められていくのです。映像が行き来しながら永遠に反響していく、合わせ鏡のように。

 ……許したり救ったりするのは、痛みや苦しみから自由になるのは、変化していく思考、感情、エゴからではありません!
 水平の次元で何とかしようと努力する事から退いた時、合わせ鏡の世界から、元々外に飛び出していた、宇宙的で際限のない、自由な個に気づきます。

 特別(だと思われている)な誰かであっても普通(だと思っている)の自分であっても、迷っていてもいなくても、その人の宇宙的な個、全体性は、損なわれる事なく元の元から存在しています。「区別」はないのです、残念ながら!

 マウントフジフラワーエッセンスのセッションにおいて、セラピストが、第4身体(メンタル体)や第5身体(スピリチュアル体)の次元へと開かれている事は大切です。中心に在って、ありのままの受容、理由や根拠のない信頼、未知からやって来る応答へと開き、エゴの背後の本質に触れている事と共にいます。
 下位の次元、例えば、第3身体(アストラル体)の次元で対応すると、「外側に見せたい自分」の側面、例えば、同化した専門的知識や特別な能力によって優位性を保つ、といった事が起こるかもしれません。ハートがそこに介在しない時、沢山の判断、追い詰めが、行為や言葉にするしないに関わらず、微妙なところでも発せられます。また、第5身体(スピリチュアル体)の気づきへと開かれていない時、その隠れた指差し、先入観、枠組、コントロールが、クライエントの未知なる可能性を締め出し、取り込まれた罪悪感や決め付けが、本質をコーティングして見えなくします。
 クライエントの反応がポジティブであれネガティブであれ、エネルギーボディー(サトルボディー)と第5チャクラのエネルギーパターンを、より固めてしまう事もあるでしょう。

 マウントフジフラワーエッセンスのセッションにおいて大切にしている “知らないでいる”という開かれた在り方。それは「識別力や判断力も必要だ」といった水平的な議論が成立する、「知らない」とは全く異なる次元のものです。「知っている事」とそれとの対比の「知らない事」は、時間枠の過去に縛られたものなのですから。
 それは、そうあろうと努力する事で、はずれてしまいます。努力しないようにする事でも、はずれてしまいます。また、はずれてしまったと思う事で、はずれてしまいます。そして、はずれてしまったと思っていても、はずれてはいないのです。
 第5身体(スピリチュアル体)の“知らない”という在り方は、より微細な次元が持つ特徴ですが、別の次元から理解しようとすると、拒否や抵抗が起こるかもしれません。
(つづく)


《エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラについて 第59回目の原稿より 第5身体(スピリチュアル体)―9》
 神秘的な世界を知りたいという情熱から、複雑な情報を集めすぎて、精神的におかしくなってしまう事があります。様々な国の人達と関わる中で、欧米の人にそういった事が起こりがちなのを目にしますが、まずマインドで納得したいという資質も関係しているように思います。この国の理解のプロセスとは、少し違っているのですね(勿論、これらの資質を超えた深みでは、全く違ったものが現れ出てきます)。いずれにせよ、高次のエネルギーボディー(サトルボディー)を頭で理解しようとすると、グルグルなってしまいがちです。

 前回の最後に書きましたが、第5身体(スピリチュアル体)次元の“知らない”という在り方を、地上的な価値観から理解しようとすると、拒否や抵抗が起こる事があります。
 これは、天の架け橋となる第4身体(メンタル体)のハート次元にも、当てはまります。例えば、一般的にヒーリングの世界では、エネルギーを吸い取られないように、あるいは不調和なエネルギーを遮断する為に、ヒーラーがプロテクションという事に非常に注意をはらう事がありますが、真にハートの次元に至れば、それはそんなには必要でないものだという体験をし始めます。でも、下位次元でこれを見ると「それは危険だ」という事になるのかもしれません。

 マウントフジフラワーエッセンスのセラピストがセッションで使う「浄化ストック」は、浄化の為のもの。セッションの環境設定と高次元への共鳴の為のシシウド以外は、浄化し、スペースを拡大し、源へと開いていくエネルギーがインプットされています。「防御と浄化と刷新」のように、防御の要素は大きく入っていません。それは、セッションにおいて大切な、セラピストのハートの受容の機能、また、その可能性への第5身体(スピリチュアル体)の信頼とも関係しています。
 ヒーリングの世界において、防御する事は、勿論、役立ってくれます。マウントフジフラワーエッセンスの中にも、「防御と浄化と刷新」をはじめ、防御に作用する種類がありますから。でも、それと同時に、そういったものが成り立つ必要性のない次元というものも存在するのですね。
 クライエントがありのままでいる事を否定したり、恐れを植え付けたりするのは、自分自身の防御の原因であると共に、クライエントとセラピスト双方のエネルギーボディー(サトルボディー)を萎縮させる事もあるのです。

 恐れや痛みや苦しみと同じ次元で何とかしようとしても、そこから自由になるのは難しいものです。様々な信じ込み、それによって生じている創造、意味付けといったものを溶解する、何もないところからの第5身体(スピリチュアル体)次元の信頼は、時間や努力を超えた、今ここ、中心で起こります。
 セラピストとクライエントといった個、また、時空との関わりが変質し、より拡大されたものへとセッションが上昇していく時、第4の受容、第5の信頼の次元への共鳴が起こってきます。それは、クライエントを力付けます。

 高位の次元へと開かれると、時空の影響圏外に出ます。占いや透視の世界にいて、それらの枠を超えてワークしている人々の中に、別の切り口で興味深い事を言っている人がいます。それは、人が瞑想の次元へと入っていくと、星回りや生年月日等の縛りを受けなくなり、占いや統計が当たらなくなり、意味をなさなくなってしまうのだという事。意識的になり、同時に、より大きなものにあたりまえに共鳴しているからこそ、とも言えるのかもしれません。私自身、この事は、集合的な次元においても当てはまるものだと思っています。
 私のところでタロットセラピーをしている友人は、単に答を与える事から、クライエントが自身の力を見出すワークへと移行していると言っていました。
 占いを次々と受け、答を集めている人々は、○○ジプシー、○○ショッピング、依存的と言われますが、第5身体(スピリチュアル体)次元から見ると、そこに違った姿が見えてきます。表層では頼っていると見えていても、深いところでは、集めたものとは別の次元の答に、焦がれている姿があります。低次の答というものがその次元にカチンと響かないからこそ、深い乾きが追い求めさせるのですね。フラワーエッセンスを次々と試す人達の内奥にも、そんな愛すべき探求者がいます。
(つづく)


《エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラについて 第60回目の原稿より 第5身体(スピリチュアル体)―10》
 第5身体(スピリチュアル体)の7回目で、「何かを求めたり、しようとしたりする思考や感情への同一化や色付けが抜け落ち、ただ、覚めている事。実は、誰もが、人生の中で、こういった第5身体(スピリチュアル体)の感覚を体験する事があります。」と書きました。

 私達が非日常的な事柄に出会った時、第5身体(スピリチュアル体)は活性化します。
 例えば、予期せぬ緊急事態、余計な思考や感情が入り込める隙もない状況に遭遇した時、私達の意識は、否が応でも覚めた状態になります。過去や未来に、思いを馳せている場合ではありませんから!一瞬の迷いで生死が決まるような状況では、今、起こっている事、体験している事だけが全て、それだけがその人の全体、全世界、全宇宙となり、思考や感情は抜け落ちます。そんな時には、普段とは時空感覚が変わり、止まった時の中心にいるような、あるいはスローモーションで物事が流れていくかのように感じられるかもしれません。
 生死の分かれ目の頂点のような覚醒の感覚の時、私達の第5身体(スピリチュアル体)は活性化しているのです。その高みの実存感は、超クリアで、目覚め、静かで、中心にいて、拡大し、余計なものがなく、ある種のくつろぎのようなものもあって。

 この意識の拡大を、私達は、瞑想を通して、あるいは、瞑想の次元へと入っていく事で、体験する事があります。

 第5身体(スピリチュアル体)に到達した、つまり、欲望、執着、個としての輪廻の輪を超え解脱した存在は、常にあの覚醒状態の中にいるのですね。
 こういった存在と出会った時、あるいは、その芳香が留まっている場にいる時、私達の内側が静かで受け取るスペースがあるならば、その存在のエネルギーとの共鳴が、深い部分で起こります。その言葉を超えたところでの出会いは、思考の及ばぬ深い次元で、何かを芽吹かせます。それは、いわゆるセラピー、ヒーリングが扱う領域とは異なるものです。

 集合的にみて、今の世界は、第3身体(アストラル体)、あるいは第4身体(メンタル体)次元への移行途上にある事から、下位エネルギーボディー(サトルボディー)の次元からアプローチするセラピーやヒーリングが、より馴染むと言えましょう。
 ですが、より微細な次元に触れている人々が提供するセラピー、ヒーリングからは、表層のそれらへの働きかけは勿論、異なる次元においても、伝達されるものがあります。そのようなセラピスト、ヒーラーは少ないのではないかと思いますが。
 また、深い次元で受け取っている事を認識するかどうかは、受け手の状態にかかっているとも言えます。微細な次元に対して、誰もが乾きを意識し、引き寄せられるかというと、認識される領域で見れば、そうとも言えないのですね。
 その一方、私は、産業、教育、司法、医療等の現場で採用されているカウンセリングや心理療法にも関わっているのですが、その分野の偉い先生方の中にも、意外と隠れスピリチュアルな人がいます。それらに深く入っていった時、愛、ワンネスといったハートの実存的体験をする事があるのですが、それが、更なる奥、そのもっと先へと向かいたくなる理由のひとつなのかもしれません。

 第2身体(エーテル体)の解放が必要な時、私達は強い感覚的刺激を求めるのですが、そのエネルギーのメカニズムを理解した時、外界や自分自身との付き合い方、気づきの在り方に変化が生まれます。第5身体(スピリチュアル体)は、第2身体(エーテル体)が求めているのとは違う次元のものですが、本来の特質を理解する事で、もしそうならば、内奥で求めている、実存的な渇きが聴こえてくるかもしれません。
(つづく)


《エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラについて 第61回目の原稿より 第5身体(スピリチュアル体)―11》
 前回、余計な思考や感情が入り込める隙もない状況の時、私達の第5身体(スピリチュアル体)は活性化すると書きました。それは、瞑想の時に起こり得る現象でもあります。
 この第5身体(スピリチュアル体)の意識の拡大、そして、同時に中心に在る感覚は、第6チャクラの気づきとは、少し違うのではないかと思います。
 ある領域においては、第6チャクラの気づきは、レーザービームのように、焦点をあてて照らし出すようなものだと言えるかもしれません。だから、下位エネルギーボディー(サトルボディー)の次元でここが活性化した時、「他が見えていない」状態に陥ったり、愛へと開かれていない事から、また、その事に気づきがない事から、パワートリップしてしまう事があるのです。

 第6チャクラのお話は第6身体(コズミック体)の回に改めてするとして、第5身体(スピリチュアル体)にお話を戻しましょう。
 第5身体(スピリチュアル体)が一時的に活性化するような特殊な状況の時の覚醒は、日常的に役立っている、頭の計算や知識から来るものではありません。いくら思考の振動が速くても、頭のスピードに合わせて、対応が追い付ける状況ではないのです。考えているうちに、起こっている事は先に進んでいって、手遅れとなってしまいますから。
 それは、瞬時のクリアな決断や身体の反応が、何もないところから、思考を超えたスピードでやって来るのと似ています。思考、感情、身体の、通常思われている限界を超えた、「火事場の底力」とでも言ったらいいのでしょうか。
 こういったところに上昇しないよう、通常、私達の思考は、シンプルさや楽さとは反対の、複雑な努力をしたがるようです。また、その半面、一気に第5身体(スピリチュアル体)に上昇してしまうと、とてもいびつで危険になってしまうかもしれません。

 以前、この連載にも書いた事があるかと思いますが、エネルギーボディー(サトルボディー)の微細な次元を活性化する修行法の中に、肉体を酷使したり、強いストレス下に置いたり、特殊な環境に入ったりする方法があります。例えば、外界の刺激、呼吸、睡眠、マインド、食事といったものを、非日常的な状態にしていくのですね。
 グルジェフという有名な神秘家がいますが、彼の様々な逸話を聞くと、こういった方法も使って、弟子達の上位エネルギーボディー(サトルボディー)の活性化を、段階的に行っていったのではないかと思います。
 これも以前書いたのですが、修行法として確立していたとしても、こういった事を自己流で行う事は危険であり、下位に働きかける事なく飛び超えて上位のエネルギーボディー(サトルボディー)が活性化され、エネルギーボディー(サトルボディー)のバランスをひどく崩す事もあるでしょう。
 また、こういった事を意図的に行わなくても、何らかの強い精神的負荷を受けた事で、不調和な状態で、上位身体が活性化する事もあります。

 私達のエネルギーボディー(サトルボディー)は、下位エネルギーボディー(サトルボディー)のエネルギーが枯渇したり、限界となった時に、上位の次元が活性化してくるのです。
 だから、私達が緊急事態等の特殊な状況に陥った時、通常活性化しているエネルギーボディー(サトルボディー)の次元から一気に飛び超えて、一時的に、第5身体(スピリチュアル体)へと上昇するのですね。

 普段の常識では考えられない火事場の底力、瞬時の適切でクリアな行動。第5身体(スピリチュアル体)のこの覚醒は、エネルギー解剖学的にみれば、私達のエネルギーボディー(サトルボディー)に秘められた、広大な潜在性です。
 そしてまた、これらを地上で調和的に役立てていく上で、第4身体(メンタル体)次元のハートは、上と下をつないでくれる重要な存在だと言えるでしょう。勿論、その更に下位にある、第3〜第1身体(フィジカル体)の次元も!
 だから、下位のエネルギーボディー(サトルボディー)にワークする事なく、第5身体(スピリチュアル体)の活性化に魅せられるのは、少し怖いような気がします。自分自身、他者を害する事なく、私達が健康的に成長していくには、天も地も大切なのです。
(つづく)


《エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラについて 第62回目の原稿より 第5身体(スピリチュアル体)―12》
 フラワーエッセンス、エネルギーワークの領域を知る上で、エネルギーボディー(サトルボディー)についての知識は役立つものです。
 その一方、「生きた体験のエッセンス」の伝達という次元があります。それは、知識の収集から得られるものではなく、別の次元で起こるものです。「思考」を超えた第5身体(スピリチュアル体)の次元だからこそ、その体験と理解は、実体験を伴わない知識の受け渡しによってではなく、生きた体験者の内に宿るものを通して、共鳴し、伝達されるのですね。

 他から教えられ、蓄積してきた複雑な事は、「知っている」という偽りの安全性や確かさの感覚で、第5身体(スピリチュアル体)のリングを固まらせます。それによって生じるかもしれない、外側から教えてもらうものだという信じ込みは、その人を小さくし、元々持っている創造性、変化の可能性を収縮させます。
 第5身体(スピリチュアル体)の純粋なクリアさに触れた時、私達は、本来の在り処に戻ったような、説明出来ない懐かしさを感じます。 それは、誰もが、中心の深いところで、誰に教わる必要もなく、元からそことダイレクトにつながっているからです。

 エゴが持つ二元性の世界での葛藤や苦しみが消滅し、いわば「本当の自分」が覚醒するのが、第5身体(スピリチュアル体)の次元です。この高次元でもたらされる輪廻の輪からの自由は、私達の成長の、ある種の区切りとも言えます。思考や感情に同一化し、人生の中で何度も何度も繰り返されうんざりするような、エゴが体験する苦しみから解放され、本来の個と出会うのですから。
 だからこそ、秘教的グループの中には、その探求の動機から、そういったものから自由になるこの次元を、到達点とみなしている事があるのかもしれません。エネルギーボディー(サトルボディー)の分類の仕方にも、それが反映されている事もあるでしょう。

 輪廻の縛りから解放される事は、この地上では稀な現象です。でも、もっと広大な次元から見ると、それは、究極ではない事も感じ取られてきます。瞑想は、その感覚へと誘ってくれるきっかけとなります。
 そう、そこがどんな次元であろうと、肉体という制限を脱ぎ捨てていたとしても、“エネルギーボディー(サトルボディー)”という身体が存在するのです。私達の本質は、肉体でも、感情でも、思考でもなく、膨大な過去世の集合体でもなく、輪廻を超えた魂でもなく、チャクラやエネルギーボディー(サトルボディー)でもないのです。

 今世という、肉体がこの地上にいる時に留められた小さな枠。輪廻という、生死の循環を超えたもっと大きな魂の枠。それもまた、枠の中にいるという事。肉体が時空という枠の中に制限されているように、ある意味、より大きな枠に制限されているとも言えます。その枠の外から、“解放”を見る事が、第5身体(スピリチュアル体)の枠からの上昇が始まると言えるのでしょうか。

 調和がとれた状態へと、花のエネルギーで私達のエネルギーを整えてくれるバッチ博士のフラワーエッセンス。ピュアな花のエネルギーは、不調和の背後にある、本来の調和的な状態へと、私達を引き戻す事を手助けしてくれます。
通常、バッチ博士のフラワーエッセンスは、二元性の次元から、不調和な状態に対して選択され、使われる事で機能しています。エネルギー解剖学的に見ると、第1身体のエネルギー、第2身体(エーテル体)、第3身体(アストラル体)といった下位エネルギーボディー(サトルボディー)に働きかけると言えます。また、公的に言われてはいませんが、それらの次元で、過去世やカルマ的領域に作用する種類がある事も、私は実感しています。

 それと共に、主にヒーリングとして扱われているレイキの背後に、源とつながって生きる次元の伝達が空のように広がっているように、“古典的”と言われるバッチ博士のフラワーエッセンスの、マインドの余計な飾りをまとっていないシンプルさに秘められた、ハートの“ワンネス”への扉を開く可能性に着目しています。そしてまた、昇華したエネルギーワークとしての架け橋を通して、第5身体(スピリチュアル体)へと上昇する潜在性を開いていく事も出来るでしょう。

 そういった事から、2009年からの「バッチ博士のフラワーエッセンス講座」から、上位エネルギーボディー(サトルボディー)にも働きかけられる、進化したエネルギーワーク技法が、カリキュラムに加わったのです。
(つづく)


《エネルギーボディー(サトルボディー)とチャクラについて 第63回目の原稿より 第5身体(スピリチュアル体)―13》
 前回書いたように、「生きた体験のエッセンス」の伝達は、知識を受け取る事、知識の受け売りといったところからではなく、別の次元で起こるもの。
 スピリチュアルな世界で提供されている情報の中には、微細な次元の事は隠されていたり、違ったふうに表現されていたりする事は、意外とよくあるものです。また、平易な表現で、何となく表面をスルスルとすべっていってしまうシンプルなものの中に、実は真実が「そのまんま」に開かれている事があるというのも、とても興味深い事です。

 高い次元での伝達というものは、表層に言葉があったとしてもなかったとしても、言葉からではなく、沈黙から起こります。受け取り手が思考で一杯の時には、言葉を超えた領域から、受け取れるスペースがない状態なのです。

 エネルギーボディー(サトルボディー)のあらゆる次元で、このスペースというものは大切です。それは、中心にある無限であり、動いていくものの背後にある空全体のようなものだとも言えるかもしれません。
 このスペースの体験を、ハートから広げていく事、伝達する事を、プラサード達は、彼等のワークで見事に行っているのですね。

 マウントフジフラワーエッセンスのセッションにおいて、クライエントがハートを開いている時、ハートの信頼がある時には、プロセスへと自然に開かれていきます。それは、どこにでも行ける可能性をはらんでいるかのようです。
 そして、第5身体(スピリチュアル体)が活性化している時には、瞑想のスペースが空のように拡大していき、それをセラピストも感じ取ります。それは、天からのギフトです。
 そんな時、セッションというものが、セラピストに依るものではなく、クライエント自身の力によって成り立っている事を実感します。実際、ワークがどれだけ素晴らしいように見えたとしても、それは、クライエント自身が素晴らしいからなのです。クライエントの既にそこにある信頼、未知なるものへのオープンさは、セッションで受け取れるものを拡大します。
 その事を、セラピストサイドでは、「準備が出来ている」といった表現をするのかもしれません。それは、クライエントが自らを癒す力を発動しているという事であり、セッションの創造者であるという事を意味しているのではないでしょうか。
セッションにおいて、セラピストが「知っている」という固定に入ると、クライエントの柔軟で未知なる可能性に背を向けてしまう事になり、クライエントの力の発動を援助しにくくなるでしょう。

 知識はエゴを強くし、第5身体(スピリチュアル体)の微細な次元には響いてはくれません。
 「知っている」という知識の執着、過去からの固定した信じ込みは、安全で確実な護りのように思えたりもします。でも、実際は、私達の体験の可能性を限りあるものとし、今と未来をコントロールし、真実の体験に扉を閉ざすのです。

 第5身体(スピリチュアル体)の時空を超えた今ここの覚醒は、この瞬間の未知なる応答へと開いてくれます。思考というものに使われ、コントロールされ、狭められる事から、自由になっていきます。

 生きた花のエネルギーであるマウントフジフラワーエッセンスは、思考の領域で、つじつまを合わせられない神秘です。考えに入り込む事は、その可能性の中のある領域を、すり抜けさせます。
 マウントフジフラワーエッセンスの場合、プロセスで起こる事全てを、多次元的なエネルギーの表現として、そのままに受け入れ、癒しのプロセスへと吸収していく事が出来ます。だから、何かを受け取った直後に、もし、何らかの判断がやって来たとしても、それはそのままに許しながら、体験もそのままに、もっともっと味わってみて下さいね。