講座体験談
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■バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座体験談★フラワーエッセンスは道しるべ★

 10月25日。
 ただ今48才、更年期の入り口にかかり、療法の一つとしてフラワーエッセンスを知ったのが出会いだ。いままでも原因がはっきりしない、病院にいってもなおらないという痛みなどが多かった。更年期でなんとなく体調が良くないのだけど・・というのには、フラワーエッセンスが良さそうではないか。「これだ!」と販売店に行き、買ってきたのは緊急時用エッセンスだ。そうはいっても、自分で飲んでもさして変化も無かったのだが、主人の歯ぐきがハレた時、義姉がブヨに刺された時、物はためしと飲んでもらったら、びっくりするほどよくきいた。「なんて不思議な物が有るんだ」と好奇心がわいてインターネットで調べ、バッチ博士の事を知り、資料を取り寄せ、バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座の受講を決めた。
 ではあるが、テキストを買うと「ペンジュラムに瞑想か」、夫には反対されそう。

 いよいよ講座第1回目の日、まあみごとなどしゃぶりの雨。
 マンションの一室、恐る恐るドアを開けるとフローリングの部屋。「アッ、テーブルとイスじゃあ無いんだ」とまた不安になる。20人くらいかな、どんな人たちなんだろう、自分の事をさておき、あぶない人だと困るな。向うもそう思っているのだろうが、なんとなく様子を見ているうちに、話がはじまる。まずは注意から、あまりに現実的な注意(マンションの共有部分ではおしゃべりはつつしみましょう、あいさつをしましょう)にホッとする。日常生活は、あえてしてこういったつまらない約束事で出来ている。こういう事を大切にする人は、私は信頼できる。これならだいじょうぶ、という安心感の中で選ばれたエッセンスは、ウォーターバイオレット、チェリープラム。「なんで?」心当たりは無い。
 そして、次の日、出ました、しっしんが!有りもしない胸の谷間に!これは何?初期反応(浄化反応)ってやつですか?何に反応したんだろう。

 11/4、第2回目。
 恐れのカテゴリーで、チェリープラムが"パニック"にきくとの事。それならば身に覚えがあるかな。私には"過呼吸"の気が有る。
 でも、その日に選ばれたエッセンスは、ミムラス、チェリープラム、アスペン。あまり必要とも思わない。

 11/10、雨。
 電話で、はずみで友だちにフラワーエッセンスの事を話してしまった。友だちのこの彼女と自分の夫、この2人に理解してもらうのは無理ではないかと思ってたけど、こうも反発されるとつらいものがある。なぜそんなに否定するのだろう。
 それもわからないでは無いのだが、フラワーエッセンスに限らず、何かしら目には見えないエネルギー(?)、気(?)にひかれる私がいる。霊感などは無いし、私はえらく常識的だと思うのだが、整体を受けて、フラワーエッセンスを飲んで、体の中で何かが動く感じ、これが何なのか知りたい、その思いが私を"あやしげ"といわれる方へ導いていく。
この先に進むと、人間関係に問題が出てくるのかな。恐れというなら、それが一番強い。

 11/12 昨日は3回目のレッスン。
 電話の友だちとは別の友だちと、横浜をぶらぶらする。お昼に、彼女にフラワーエッセンスの話をする。昨日の今日だけに、また否定されると「つらいな」と思って話すが、こちらは「へえ、そんなのが有るんだ、おもしろいし不思議ね」という反応だ。ほっとしたら、笑われてしまった。「何のうちあけ話かと思うじゃあない!」
 そんな話をしながらショッピングをしていたら,ハーブショップが、ぽっと。私にしたら、「あらわれた!」という感じ。何にも知らないビルの中だったから、びっくりしてしまった。「フラワーエッセンスってこれよ」というと、「フーン神様のおみちびき!」といって店に入り、緊急時用エッセンスを購入!「試してみるわ。がんばって勉強してよ」だって。どちらも大切な人ではあるが、昨日の大反対の後では、涙が出そうなくらいうれしい。

 第3回目は、人と組んでのエッセンス選び。
 すごい!これが花のエネルギーなのか?選んでもらっていると、パートナーと私の体の中を、しびれるようなビリビリするエネルギーが回って行くのを感じる。思わず、「選ぶ方はどう?」と聞くと、「ええ、感じています」という。選ぶ方に変わる。本当だ、こっちでも感じる。ただペンジュラムで出て行くのかな?ぐるぐる回る感じは薄れる。受けている時に思った。そうかこういうことなのか。
 今は強く感じているけれど、今までだって、弱くても花のエネルギーを私は感じていたんだ。友だちに、「水に花のエネルギーが転写されるなんてことを信じるの?」といわれたけど、信じているんじゃあない、そこにあることを感じているんだ。
 いよいよ、私もあやしい人だなと思って、あまりびっくりしている風には見えないパートナーの彼女に話してみると、ぜんぜんあやしい人っぽくはないが、気だかエネルギーだかを感じる、といっていた。たぶん、少しは気、エネルギーを出せるんだろうと思う。なぜわかるって?私もそうだもの。これってカミングアウトかしら。あやしい人にはなりたくないんだけどな。
 選ばれたエッセンスは、セラトー、ホーンビーム、ワイルドオート

 11/13。
 ホームページを見る。マウントフジフラワーエッセンスの体験談に、ヒーラーになりたいという人がいる。うーんヒーラーね。私は毎日の生活が楽しく元気に過ごせたらいいと思っているだけなのに、なんでヒーラーといわれてドキっとするのだろう。私のなりたいのは、ヒーラーか?「ひえーとんでもない、かんべんして下さい!」という私がいる。でもヒーラーにひっかかる私がいる。なぜか?
 なんでだろう?なんでだろう?とテツ&トモの軽いノリで考えていたら、ずっしり重い光景を思い出してしまった。八年前に、30歳をすぎたばかりで2ヶ月の急病で亡くなった弟と、母の光景だ。忘れようとして忘れられなかった。
 「助からない!」と知らされた弟は、ぎりぎりまで両親には知らせないでくれといった。でもでも、あまりの速さで進んで行く病状の悪さに、私が伝えた後、見舞いに来た母に、「だいじょいうぶ、薬の副作用でちょっとつらいだけだから」と無理にベッドから起き上がり、イスに座ったいた母のとなりにすわり、肩をだく。「心配しないで」。もう座ってなんかいられないのに、自分をささえられないのに、母は大きな弟をささえきれず、もたれあい、2人で1つの物になったように固まっている光景。相手の事だけを思い、静かで美しく、絶望的な様子。もう何もいえず、泣くことも許されず、立ちつくす私。母が帰った後、たんたんと泣くでもなくさけぶでもなく、「アネキ、でもオレやっぱ助かんないんだよね」。無口な私、無力な私。その後、10日もせず弟は去った。思い出して涙が止まらない。
 そう、あの時、私は何も出来なかったんだ。もちろん病気を治すことも痛みをとる事も、だれの心のささえになることも、ただ、ただ嵐の中で、棒のように立っていただけだった。私に出来る事って無いの?
 「みんな楽しく元気よく!」のモットーもむなしく、今日の私は悲しい。

 11/15。
 くらやみ、赤い光、サイレン、1人ぼっち。私の覚えている記憶のページは、そこから始まる。
 父と姉と私、3人でお風呂に行くところだった。父は小さい私の手をつなぎ、もう片方で荷物を持つ。横断歩道を渡ろうとオートバイの通りすぎるのを待っていたら、一歩歩道からおりていた姉の体が飛んだ。ほぼ即死だったらしい。当然、私は目の前で見ていたのだと思うが、覚えていない。
 姉のことも、よく覚えていない。姉が6才、私が4才の時の事故だった。姉は、顔だちも性格も物おじしない、明るい華やかな子だったらしい。私は、病気がちでおとなしい子だった。さぞ、家の中はさびしくなった事だろう。弟たちが生まれたのは、その後のことだから。
 事故って、運命って、何だろう。どうしていっしょに歩いていたのに姉で、私じゃあないんだろう。一歩の違いは何なんだろう。
 もしかすると両親は、どうしても、というのなら、選べるなら、私より姉の生を願いはしなかったのだろうか。残ったのが私でよかったんだろうか。私より、ずっとはなやかだった、姉。けっして現実ではありえなかった、おねえちゃんの未来。おねえちゃんには、どんな人生が有ったんだろう。やだな、また泣けてきた。
 今日は、我が家で友だちの送別会だ。忙しいのだ。買い物に行く。ふみきりまちで空を見上げると、雲が流れていく。夜がそこまで来ている暗い空に、雲がとけていく。私の中の何かが、一緒にとけていくような気がする。
 都会にも空はそこに有るな。

 11/17。
 感情のジェットコースターに疲れる。
 ワイルドオートね。私はいい年して、どこに行きたいのだろう。何が不満なんだろう。確かさを得られるなんて、生きている限り有りえるのだろうか?

 11/19、晴、講座。
 エネルギーは出すというのではなくて、共鳴するものなのか。
今回の実技も、パートナーを組んでのエッセンス選び。エネルギーの流れは感じるものの、先週のような力強いビリビリ感は得られない。「エネルギーって今回っているのですか」と問いかけられ、答えにつまる。
 言葉にするとうそっぽいし、あやしい。風とも違うし、電気は通した事が無いし、霊感なんか無い。先週は、パートナーと私と花のエネルギーが共鳴していたのか、彼女のエネルギーが強いのか。
 選ばれたエッセンスは、チェストバットバット、オリーブオリーブ?疲れている?選ばれるエッセンスは、自分ではエッ!と思うのが多い。

 11/20、雨。
 オリーブ?疲れている!自己暗示にかかりやすいのかも知れない。いくらでも寝られる。おしっこがくさい。パジャマを取り替えなければいけないほど、汗をかく。だるい。

 11/22、晴。
 ボーとしている。空がきれい。空がいつも気にかかる。こんなに空を見ていたっけ?
 私は、特定の神様じゃあないけど、青い空にまっ白い雲、ふりそそぐ太陽の光、空を見ていると神様っているよなーと思っている。だけど、今の日本で神様がどうのこうのと、それだけで危険人物のような気がする。そんなわけで、神様の事は口にしない。みんな口に出さないけど神様はいると思っているのだか、少しもそんな事は考えた事が無いのか、それは人の事はわからない。
 生まれてきた意味、他の人でなく(姉でなく、弟でなく)、私が生かされている意味、日常生活にとじこめられている疑問を考える。
 「高次の自己(ハイアーセルフ)につながる事?」なんじゃあそれは、かんべんして下さい。私は神様はいると思っているけど、お近づきになりたいと思ったわけでも無く、みんな楽しく、元気よく!と思っただけです。なんでフラワーエッセンスを飲んで、こんながけっぷちに立っているような気にならなくてはいけないのですか。教えて下さい。
 いつも、いつのことからかわからないけど、私は、自分はだれかに守られていると感じている。客観的に見て、けっして思い通りの人生じゃあないけれど、今、たいへんだ!と思っても、きっと私の為になっている事だとなぜか思っている。そんな私でも、こんなザワザワした胸の奥が落ち着かない気分が、これからの私にどういう意味を持っているのか、判断しかねる。

 11/25、雨、講座。
 インパチエンスな私。これこそ私の為のエッセンスに違い無い。せっかち!人がやるのが気にいらないから私に頼むとすぐ片づける、というので、仕事、プライベートの用事が集まる。集まるので、せっかちにやらないと片づかない。いつも背中、肩、あごがモーレツにこっている。
 今日の講義の途中にも、閲覧用の花の写真カードがとどこおっているのを見てイライラする。「こっちはまだです」といいたい。インパチエンスの説明中に写真を見せても何かと思い、ぐっとがまんする。
 あごが変だ。そもそもエネルギーや気やらに興味を持つようになったのは、あごというか奥歯の痛みというか、歯医者に行ってもブロック麻酔をかけても止まらなかった痛みがきっかけだ。生命にかかわらないというものの、このまま痛みが続くくらいなら死んだ方が楽ではないか、という絶望感がまだ残っている。15年ほど前からのこの痛みは、ハリやら整体やらでだましだまし過ごしている。疲れたりすると、今でも背中から首すじにかたいスジみたいな物ができて痛む。
 帰りにエッセンスを飲むともう痛い。これからもっと痛くなるのか。初期反応(浄化反応)なのか。痛さの記憶が恐怖心を生む。

 11/26。
 ああインパチエンス!なんてこった。こんなにフラワーエッセンスって、体に作用するのか?朝からあごは痛いし、くちびるはしびれているし、手に力が入らない。むちゃくちゃ痛いのだけど、今日、これはエッセンスのせいで、変化する為に痛いのだと思う。アゴは口を閉めているのに、ポカーンと口を開けているような感じだ。これが普通というのなら、私はいままでどんなに力を入れて、歯をくいしばっていたのだろう。
 忙しい時、大変な時、「さあ歯くいしばってがんばろう」と思っていたけど、本当にくいしばっていたんだ。アゴがあるべき位置に戻る。いままで筋肉があった位置から、戻ろうとして痛む。体が違うもののような気がする。肩が、首が軽い。フラワーエッセンスって何だ?たったあんだけのエッセンスが、体の中で大革命を起こしている。体中がうれしがっているけれど、私はちょっとつらい。
 体の変化を「そんなバカな!」という意識がついていけない。熱が出そう、体は素直。でもこんなに長いこと苦しかったのに、何?自分で歯をくいしばったのが原因なの?やってられない!
 私の体の中で起こっていることは、やっぱり奇跡のようだ。現実の事とは思えない。今日の私はヘザーになりそう。だれかれかまわず話したい。15年?の緊張がほどけていく。上半身がバラバラになりそうだ。ちなみに奇跡の起こった人の顔は、大まぬけだ。どっから見てもアホの子みたい。なさけない。これが私の本当の顔か。トホホホホという顔だ。

 11/27。
 私って何?
 あごが痛いけど、肩が軽くなった。体中がうれしがっているけど、「あんたたちはいいけど、私はどうしてくれるのよ!」という思いがやまない。私は、がんばってきっちりやるのが好き。出来るのが自慢だったのに、それを君たちみんなで、よけいな事だったというの?じゃあ私はどうしたらいいの。努力はじゃまだというのか。いままで私のしてきたことは何だったんだろう。頭と心と体、どんな関係なのだ。

 11/28
 体はすごい。エッセンスのせいなのか。終わったと思っていた生理が来る。3ヶ月ぶりで、それこそ3ヶ月分かというような大出血だ。ボーとむくんでいた顔が小さくなる。あごは痛いし、お腹は痛い。先週は感情のジェットコースター、今週は体だ。どちらにしても、変わらない日常生活の中で、私だけが大変な事になっている。こんなに大変なのに、普通に過ごすことは難しい。ついていけない私とは別に、体は進んで行っている気がする。こんなに不調なのに、好くなっていると思う方が不思議だ。
 さすがに、夫に「具合が悪いのか?」と聞かれる。何と説明すればいいのか。とりあえず、つらい!なんとか説明すると、エッセンスに反対の夫は、「そんな、よけいな物を飲むからだ」とつれない返事だ。クソ!!
 「歯くいしばってがんばったる!!」性格はすぐに変わらない。ここで口を開けたまま、寝こまずにがんばれるのか。目に見えない事を説明するややこしさと、性格なんて変わるのかという思いと、実際、きりきり痛む体で、心と体、足並みそろえてダウン!どうすればいいのだろう。

 12/1。
 痛みは良くなる為、という確信が有るのに、昨夜の痛さにめげる。

 12/2。
 顔のむくみがとれる。痛みもだいぶ楽になってきた。

 12/3 講座。
 アグリモニーセントーリー。痛い!先週のようにこれは私の為と思わないのに、あごがふり出しに戻って痛い。体中を、ドクドクした感じが回っていく。あご、腰、右ひざと、つかれると痛む場所が痛い。くいしばるのをやめるだけではいけないのか。

 12/4。
 アグリモニーセントーリー。作り笑いをやめて、ノーといえと。自営で、店でお客さんの相手をし、お姑さんとくらし、作り笑いをやめてノーといったら、日常生活が成り立つのか。努力してきた事がことごとく否定されているようで、気にいらない。
 バッチ博士のいろいろな本を読む。
「ハイアーセルフ(高次の自己)とのつながりを感じることの重要性」とは、自分のやりたい事と他の人にとって一番良い事を一致させる問題だと、その人らしくあること、人はみな自分がなれる理想的な青写真をもって生まれてきている、とのことだ。そういわれても何のことだかなー。(高次の自己)なんて知ったこっちゃ無い。
 だけど、私は私らしく生きていない?もう限界だから、生き方を変えなさいということか。それを知らせてくれる私の体は優れもの?なまけ者?頭の中は?マークのうずまき模様だ。なんだかフラワーエッセンスと出会って、ずっと疲れている。
 講座で他の人と話をするが、もっとおだやかにきいているみたいだ。私は、心身共にゆさぶられてヘトヘト、毎週、一週間、格闘してやっと楽になると、次のレッスン日がまっている。そしてまた始まる。

 12/6。
 痛みはだいぶ楽になる。
 ボーとした状態が続くが、やっと元気になってきた。アゴは、もうどの位置が正しいのかわからなくなってきた。イライラした時に、注意して力を抜くように心がける。
 歯をくいしばってでもがんばる事、つらい時にも笑顔を忘れないこと、人の役に立ちたいと思ってきた事。よかれと思ってやってきた事をことごとく否定され、どうしていいのかわからない。その人らしく生きることって何だ。心、頭、体、人間って何だ。
 西洋医学で治らない体調の悪さから、体に興味を持っていた。整体とか気功とか。だけど体にアプローチしても原因もわからず治らなかったものが、心にアプローチして体が原因を教えてくれる。「歯をくいしばるな!」といったのは、心でも頭でもなく、体だ。フラワーエッセンスは、心に作用する?心は体、体は心?
 私は、よく痛くなる体をうらめしく思っていたけど、それこそ体は、体をはって心を守って来てくれたということか。わからない。

 12/7、晴。
 何もわからなくても、時間が過ぎていく。痛みがほぼおさまり、だるさが消えてきた。体が元気になってくると、気分がいい。体に心がひきずられる。問題は何もかわっていないのに、「まっいいか!」という気になる。いいお天気だ。
 講座の第1回目に、「今、ここに在ること」を意識して下さい、といわれたことが少しわかってきた。私は、いつも体をそこにおいても、心、気持ちを先に飛ばしていた。次にすることを、いつも考えていた。友達と食事をしても、いつお茶を出そうとか、タイミングよく気配りすることを目標にしていた。サービスできる自分が好きだった。お嫁さんも店員さんも、それを要求されるしね。必要な事では有るのだけど、手おちが無いように、役に立つ人でいるようにというのが、私生活でも目標になっていたんだ。いい娘、いい妻、いい嫁、いい友だち。
 そうなりたいと思って何が悪いのかとも思うが、良くて悪くても、娘、妻、嫁、友だち、何らかの縁があって関係していく事、それだけで充分なのかな。役に立つことで、自分を認めて欲しかった。役立たずでは、愛される自身がなかったのかも知れない。ただ存在すること。それでいいのか。SMAPの「世界で一つだけの花」だな。ナンバー1よりオンリー1。

 12/10。
 昨日は講座。ラーチ、オーク、スイートチェストナット
 また出た!痛い。昨夜は寝られなかった。これでもか、これでもか、と痛みが出る。講座で「楽になると思うエッセンス」を選ぶようにといわれるが、そんな物は無い。

 12/11。
 今回は、痛みが早くおさまる。右の首すじに、一本ごりごりのラインが有る。これがとれると、う〜んと楽になる気がする。背中、肩がこって、息がつまるような感じが薄れる。そうだ、講座で「息がつまる感じ」といったんだ。なんと素直な体だ。胸まで息が楽に入ってくる気がする。

 12/15。
 自分の店の他にも、飲食店のオープンにかかわってしまったため、忙しくて何がなんだかわからない。

 12/26。
 最後の講座で選ばれたのは、バイン、ロックウォーター、チコリー
 あまり忙しかったので、どんな作用をしたのか確認できなかった。目の前の仕事を片づけるのでせいいっぱい。とりあえず飲食店は、20日にオープンできた。なんで私がかかわらなくてはいけないのだ!と思いつつ、「ノーといえないセントーリー」と思っていたが、体がノーという前に(具合が悪くなる前に)、自分で手を引く事が出来た。自分ではわがままで怠け者になった気がするが、これでいいのだろうか。
 ここまで忙しくなると、たいてい体がどこか調子を悪くして、やっとはなれたのだけど、むちゃくちゃ疲れているけど、なんとかだいじょうぶそうだ。私の為にはこれでいいのかな。

 2004 1/13。
 年が明けて、やっと落ち着いてきた。バッチ博士のフラワーエッセンス基礎講座を終わって感じていること。自分の事はわかっているつもりだったけど、わからないものだということ。選ばれたエッセンスは、ミムラス、セラトー、セントーリー、アグリモニーなど。自分は、好き、嫌い、イエス、ノーがはっきりしている方だと思っていたが、みよ、このエッセンス!なんてこった。それでいてバイン!よーく考えると、両方思い当たったりする。
 自分の事もわからないのに、人のエッセンスなんて選べるのかしら。私みたいに、激しい初期反応(浄化反応)が起きたらどうするんだろう。「治るから痛い!」と確信していても、だいぶつらい痛みだった。過ぎてしまえば、長年の背こり、背中のはりが消えて楽になったのだけど・・・と少々プロ養成講座に不安を持っている。「まっいいか!」仕事にしなくてもいいのだし、とここのところ、「どうしてもがんばる!」という気がなくなってる。怠け者の私が「なんとか、なるさ!」とはげましているが、なんとかなるんだろうか。
 原因のわかっている不安だから、ミムラスだな。このところ、自分の今の気持ちには何のエッセンスかな、と考えている。ただ、人のことは、一番身近にいる夫の事も、エッセンスで考えると難しい。
 花の名前とカテゴリー、意味、と覚えようと努力するが、どうも忘れてしまう。受験生に戻った気がする。期待と不安が入りまじった気分を楽しんでいる。

 1/20 プロ養成講座、第1回目。
 友人との関係で問題が、ということで選ばれたエッセンスは、ホリー、ウォールナット、ヘザー、ウォーターバイオレット
 講座は、少し人数が多いと思う。なんだかわさわさと落ち着かない。集中できない。自分が集中できないせいか、エッセンスに愛着が薄いのか、2日目にして、飲み忘れる。始まるのを楽しみに待っていたのに。忘れるなんてなかった。あんなにざわざわした中でのリーディングなんて正しいのか?と、自分で疑っているのかな?
 時間内に終わらそうという意志の方が強い。そんな中でも、マイペースでリーディングしている組もあるが尊敬してしまう。なんとかまにあった、という気が強く、自分の内では不満が残る。その思いが、エッセンスを飲み忘れさすのだろうか。
 それはともかく、そんな風にして飲むエッセンスだが、またしっしんが出る。ウォーターバイオレットに反応するのだろうか。自分に何の関係も無いと思っているが、ウォーターバイオレットがリーディングされたのは、3回目になる。

 1/29。
 二回目の講座では、落ち着いてきた。カウンセリングの見本を見る。私には、2/9のカウンセラー役が回ってくる。後何日もないので、花の意味を覚える方が忙しい。飲むエッセンスがどう作用しているのだろうと、じっくり考える時間が少ない。それに、あまり急に作用が表れるということも少なくなっているのかな。自分で、エッと変化するような感じはしない。
 スコーンと軽くなっていた肩こりも有るみたいだし、ただあまり、モーレツにイライラしなくなった気はする。でも、人には批判的かな。まきこまれてぐしょぐしょにならないけど、一歩はなれて見ている気もする。体は楽!

 1/30。
 講座で読むようにと勧められた、河合隼雄先生の本がおもしろい。
 自分が好きな事をしようと思ったとき、「家族というものはうるさい」と思われた方はありませんか、ですって。私がフラワーエッセンスを習いに行きたいと言って、夫に反対されたのを見ていたのかしら。「ああ、1人だったら好きに行って、家でも仕事と家事のあいまに勉強しなくてもいいのに」と思ってた私に、「家族は宗教的世界を知る窓口になる」ですって。「なんで行くんだ」という人に対して、「なぜ行くのか、どうして行くのか」ということを説明して、わかってもらうということをしてこそ、本当なのではないか、それができないようでは、そういう人はもう来ない方がいい。そういうことを一つひとつやり抜いて、生きていくことが人生である。生きてるということには、そういう大変なことがある。家族というのは重荷ではあるが、その重荷をどう背負っていくかというところに、人生の味がある。カウンセラーの役割は、クライエントの人がそういう要素をどんなふうに背負っていかれるかというのを、援助することだ。
 また、カウンセリングを受けに来る人は、自分の日常生活と、「一体、私は何か」、「一体、私は何のために生きているのか」ということの折り合いをどうつけたらいいのか、ということで来ているのではと思っている、とのことだ。
 何のことは無い、私は見事にクライエントだな。カウンセリングを受ける方が、いいような気がしてきた。夫にクライエントの役をやってもらおうかと思って、「今やっていること」を説明してわかってもらおうと思って話すが、夫には、「一体、私は何か」、「何のために生きているのか」という疑問は無いらしい。「カウンセリングに行かなくてはいけない人がいる」ということが、実感できない。彼は、非常に安定している。援助はいらないらしい。夫に選ばれたカードは、ハニーサックル、エルム、インパチエンス。意味を説明すると、「そういわれればそうとでも何とでもとれる」とのこと。飲んだから、何か反応するのかね。まだエッセンスがないのが残念だ。

 2/4 つづき。
 夫にわかってもらうために、話をする。すると、「生きているって何?」、「何のため?」という私の疑問は、あっさり「生きているって、生まれてきて息をすって、はいて、呼吸していることそのもの。どうやって息をしよう、どうやって息をはこうなんて考えてやっている訳じゃあないんだから、息をしていること、食べていること、それが生きているっていうことじゃあないか。何を難しく、なぜ息をすうのか、なぜ息をはくのかなんて考えなくてはいけないのか、自分にはわからない。今ここで息をしている、話している、生きているってそれだけじゃあないの?悩みなんて、あって当たり前。それでも自分で何とかしまつして、過ごしているんだろう?」う〜ん!そうか、「今ここに在ること」の先生が、ここにいた。「そんなこと思って生活しているの」と聞くと、「私が変な事聞くから考えただけで、普段は思ったこともない」だって。地に足がついているよね。話していると、同じ幅の道を歩いているのだけど、彼は地面についている道、私は谷にかかっている橋を歩いているような気がする。二人で谷渡りをしているより、安定感が有って大変ありがたいが、「何そこで立ち止まっているの、さっさと歩けないの?」といわれるのも少々つらい。

 2/10。
 疲れた。セラピスト役をやった。大失敗だった。朝、涙で目が覚める。昨日、途中で「もう泣きたい!」と思ったのを、夢で見たのか?夢は覚えていない。気分は最悪!
 夫にはあきれられる。「なにやってんだかね。ストレスをなくしたいって講座に行っているんじゃあないのか?」たしかに、単語帳を作ってブツブツしていたあげく、疲れ果てて帰って来て、泣いてれば世話ないね。
 本当に練習だから、と気を抜いた訳ではないけど、仲間うちのことだからとフラっとリングに上がったら、たたきのめされたような気分だ。とても心を開いてもらうとか、そんな気分ではない。まず、まさに「試される」という感じを受けてしまった。こうしたらじゃあどうするの、と打たれて打たれてロープぎわいっぱい。自分でタオルをなげこんでカウンセリングを終わらせ、後はもう、早くおしまいにしたいとしか思えなかった。人がこわい。目を見るのがこわい。ずっと涙が止まらない。うっかり無防備になんかなるんじゃあなかった。なんのかまえもしていなかった心が、おびえきっている。こわい。もうやめたい。
 夫が反対していた事が、わかる。「丸木橋を渡っている人は、人に手を出しなさんな!」自分が渡るのが大変なのに、人に手を出す余裕が有るのか、という事なんだ。
 宿題もしたくない。本にもカードにもさわりたくない。このままもう行きたくない。

 2/14。
 やっぱりやめない!
 頭で、「あれもいい勉強だと思おう!」といいきかせていたのとは別に、そうか!それこそ私の弱点なんだ。「拒絶」、人に拒絶されることが、一番こわいんだ。だから、おびえてしまったんだ。クライアント役の人が拒絶したのは、ヘタっぴな私のカウンセリングで、私そのもの、私の存在が拒絶されているわけでは無い。日常生活だってそうなんだ。人に何か注意されると、全部否定されたように考えるからいけないんだ。
 私は、何かする前には、自分でできるだけの事はしておきたい。かといって、それが完璧で無いのなんてわかりきっているのに、ダメを出されると、準備をしたこと全部、それをしている自分まで、ダメといわれたような気になってしまうのだ。ダメな所を素直に受け取ればいいのに、こわいから、ダメだしされるとケンカ腰になってしまう、
 カウンセリングでケンカ売ってどうするんだ!ストン!とそう思った時に、手のひらに花のエネルギーを感じる時のように、ビリビリとしびれるような感じがした。何じゃこれは?気持ち悪い。これについては、あまり考えたくない気がする。

 2/17。
 自分がセラピスト役でないのは、何て楽なんだ。「一番最初のセラピスト役で、いままで一度もペアを組んだ人ではなく、口をきいたこともない人がクライエント役だったなんて、なんてついてなかったんだ」と、先週ストンと思うまで思っていたことやこわかったことが、うそのようにおだやかな気持ちになっている。むしろ、相手の人にも、一番のくじにも感謝している。それから不思議な事に、「私のやりたい事をやらせてくれない!」と、不満だった夫に感謝している。ただ素直に、彼は心配してくれただけなんだ。不安定になりがちな私を知っているから・・・そうだよね。そうじゃあなければ、反対しているのに、大雨の日は「むかえに行こうか?」と言ってくれないよね。ごめんなさい。私の方に素直さが欠けている。

 2/15。
 クライエント役をやる。選ばれたエッセンスは、パイン、バーベイン、インパチエンス、スクレランサスインパチエンス以外は、はじめてのエッセンスばかり。
 テーマは、「人ともっと気軽につき合えるように」で選ぶ。話しているうちに、自分では、「このテーマだと、おなじみのウォーターバイオレットかな、セントーリーかな、アグリモニーかな」と考えてしまう。結果はエッ?と思うもので、セラピスト役の人にも「エッ」が伝わってしまったのか、花の説明は今ひとつピンとこない感じがした。全体にとても上手にやっていると思うが、笑顔はいいのだけど、接客の仕事をしているのかと思った(後で聞くとそのようだ)。私も接客業だから気になるだけかも知れないが、とりあえず「作る笑顔」、仕事にはかかせない。カウンセリングも接客には違いないからいいのかな、と思いつつ、ちょっと気になる。どんな顔をすればいいのだろう?
 家で、選ばれたエッセンスの意味を、テキストやら他の本でも調べる。喜びからではなく、自分が不完全であることを批判されていると感じている時には、パインが必要。バーベインでは、人に自分の考えを押し通そうとする完全主義者は、思い通りに事が進まなくなり、人間関係がくずれるとのこと。インパチエンスは、私の為のエッセンス。スクレランサスは気まぐれ、バランスがくずれやすい。何のことはない。セラピスト役をやって反省したことが、そのままではないか。
 きっと、ここらの性格を、自分でも認めたくないのかも知れない。自分で認めたくないクライエントさんには、どう説明したらいいのだろう。

 3/4。
 いよいよ、来週は最終日。レポート提出の日だ。これでも人のプライベートな事を抜いて書き直しているのだけど、ずい分な量になってしまった。パソコンも少しは使えるけど、こんなには無理。いつになるかわからない。きたない手書きでごめんなさい。
 フラワーエッセンスって何なのだろう。結婚して20年、夜の外出はおろか、昼の習い事だっていったことがないのに(未だに商店の嫁は不自由!)、当然賛成される訳もないのに、なぜ?「行くったら行く!」と夫にあきれられ、あきらめさせてかよったのはなんなんだろう?
 あまり(というか絶対に)そういういい方はしたくないと思いつつ、やっぱりフラワーエッセンスに呼ばれた、私がフラワーエッセンスを必要とした、としかいいようが無い。
 何ひとつ変化しない日常の中で、まず私の体が変化する。基礎講座が終わるころ、体が楽になってきた。ただ、それはとても自分勝手で、「そうだ!私はがまんしすぎだ。もっと好きなようにふるまえばいい」という考え方が基になっていた。だから、妙に人に対して批判的だったり、冷たくなったかな、と思っても、体が楽になったからそれでいいんだと思っていた。
 プロ養成講座に入ってもその考えは変わらず、また、エッセンスに体はめだった反応を示さず、フーンそんなものかと、少々期待はずれの気持ちも持っていた。ところが、自分で大失敗だと思ったカウンセリング実習の後、本当にストンと、人じゃあない、私なんだ!今までだって「私も悪いのよ、だけどね」といってはいたけど、そう思ったことは無かったんだ。私は正しい、悪いのは周り!そうじゃあない、いい、悪いじゃあない、私のとらえ方の問題だと思った。(というよりも、考えて思うというよりも)、アッと感じた時から、人に対して感謝の気持ちがわいてきた。またすぐそんな事は忘れてしまうのかも知れないなと思いつつ、周りの人に、「ありがとう!」といいたい気がする。両親にも、夫にも、友だちにも。
 イヤー照れるぜ!1ヶ月たったら、昨日になったら?忘れてしまうかも知れないけど、「ありがとう!」とっても今はいい気持ちだ。
 そうだ、今の気持ちは、なんだかわからないけど、いい気持ちなんだ。悩みの種は何も解決した訳では無く、日常生活も変化しているわけでは無いのに、それでも気持ちがいい。
 気持ちがいいって楽しい。楽しいと、人にやさしくなれる。自分にやさしくなれる。今さら性格は変わらない?そうかも知れない。相変わらず、私はインパチエンス。実習を見ていても、「あっ、もうすぐ終わるから、イスを片づけて、お茶を入れて」と考えている自分を発見して、フーム何も変わっていない、と思うけど、そうしたい、そうしてあげたい、という気持ちをおさえる必要もないかなとも思う。セラピスト役なんてやると、のどがカラカラ。「お茶があったらうれしいかな」と気づいた思いまで、否定するのもつらい。基礎講座が終わった時、友だちと会っていても、「今、大切なのはお茶を入れる事ではなくて、自分がここでいっしょに楽しむ事!」と思ったが、そうすると労働は少ないので体は楽かも知れないが、気持ちがつらい。体と気持ちが楽になる接点を見つけていくこと、今の私には、それが一番大切な事のように思える。私にとっては、フラワーエッセンスというのはその手助けをしてくれる「道しるべ」のような物ではないのかと思う。
 手さぐりで進むのではなく、「道しるべ」が存在していると思う、知っているだけでも、これから先が心強く思える。「みんな楽しく、元気よく!」というモットーに、近づきつつある。うれしいことだ。
 今は、今だけ?感謝の気持ちでいっぱいの私は、基礎講座、プロ養成講座とかかわった、すべての人に感謝を・・・
 「本当にありがとうございました!」

高橋久美子