マウントフジフラワーエッセンス 基礎講座 体験談
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〜マウントフジフラワーエッセンス基礎講座を受講して〜
匿名希望
掲載日: 2004年 12月 9日 

●第1回目の講座:アカツメクサ
「僕を選びなよ、かゆみもとまるよっ」と明るく話しかけてきたエッセンスがアカツメクサだった。どうして君がかゆみをとめるんだよ?!と思わず笑ってしまった。

手の平を敏感にするエクササイズで、最後の誘導の言葉を聞いた直後、手がぱっと大きく広がったのがわかる。肘から先が翼になったような感じ。
パートナーを感じるエクササイズで、あるものが左手にのせられた途端、親指の内側に痛みが走る。硬質な痛みで、感情ではなく、生活態度とか何かそういうものが「かたい」のを感じる。その後、さんさんと日の当たる部屋が見える。セクシーな女性も見える。シェアリングでそれを言うと、彼女は本当に日当たりのいい部屋に住んでいるそうだ。そんなことあるんだなー。
パートナーの私へのリーディングでは、「お金がない」という言葉が浮かび、腰がひどく痛くなって、首の後ろから何かが抜けて漂ってしまったそうだ。「地上にいたくない」という感じらしい。むむー。

講座の翌日、花屋で花を買って家に飾った。自分のために花を買ったのは多分生まれて初めて。実は講座の2日前、同じ花屋の前を通りかかって、買えなかった。私は花が嫌いだと長年自分で思い込んでいるのだが、ようするに花を飾る、花をもらう、花を買うというような優雅な、典雅な、みやびな(全部一緒か?)、お金持ちな、余裕のある、ゆとりのある、豊かなライフスタイルから見放されているのよ、という主張をするために「花が嫌い」と言っているふしもある。最近道ばたの花や花屋の店頭の花をずいぶん見て、わくわくするようになったのだが、花屋に入ろうとすると、微妙に上記のような感情が押し寄せてきてびくびくする。しかし、ついに花を買えた!とうきうきした。

ところで、アカツメクサがかゆみをとめてくれるというので、手首の蚊にくわれた痕に一滴垂らしてみる。確かにかゆみがとまったので驚いた。午後、かゆくなってきたのでもう一度たらした。やはりかゆみは止まったみたい。

第1回目の講座から2週間の間は体調を崩した。胃痛や貧血などが頻繁に起きた。日常生活に即した怖い夢を見て泣いて目が覚めたことが何度かあった。

●第2回目の講座:トネアザミ
誘導瞑想の中で若い男性が出て来たが、彼は全然話さなかった。今回のリーディングである方向に身体を動かした時に気持ち悪くなったが、動くこと自体はとても楽しかった。自然に体が動く感覚が久しぶりだった。
トネアザミの説明にある「子供時代の傷が本人にコントロール出来ない不本意な言動となって、今も尾を引いている人に」というのを読んで、私のことだ!と思う。子供時代の傷が原因と考えたことはなかったが、親しい人に自分でも不可解な毒を吐いてしまうことがよくある。

仕事での失敗が続き、落ち込むこと落ち込むこと。

お腹が空くわけではないのだが、妙にお菓子を食べたりなんだりしてしまう。なんでこう食べたいのか。何か食べない方法ってあるだろうか、ちょっと考える。
うん、やはり緩むために食べるんだ。食べると脳がまたーっとなるから。面白い本も心地よい眠りもかなりまたーっとなるけど、食べ物は手っ取り早い。特にジャンクフードは手っ取り早い。

トネアザミのボトル、飲み始めて5日目ぐらいに、最初に出てきた若い男性が高校時代に好きだった男の子に変わっていた。眠る前に第二チャクラに当てていたら、涙がぽろぽろいくらでも出た。私は幸せにはなれないと思ってたなあ。高校時代、その子を好きだった時もそうだし、振り返るといつでもそう思ってた。思ってないことはなかった。と思って涙が出て出てしょうがなかった。

●第3回目の講座:ヤマブキ
選ぶ時にエネルギーをハートに通すのが気持ちよく、楽しく選べた。2本選んだが、2本を一緒に持つとドラゴンが腕の中を通ってハートに届く感じ。今ひとつ気持ちがよくない。1本はずっとそばにいてほしい、離したくないような優しいボトル。そちらを選んだらヤマブキだった。もう1本はノハラクサフジ(集団の中での自立、集団の中で目立たない存在でいて楽してる場合などに)。
ヤマブキは自分の信念や人生観を崩すことが難しい人にも働きかけがあるそうだ。人生観が変わろうとしている?かもしれないのでぴったりかもしれないと思う。

宿題で出たひとつ、「社会の中の自分」について考えてみた。
幼稚園の頃は今思えばいじめられていた。あまりいじめられているとは思わなかった。幼稚園の先生が、私はいじめられても泣かないと言ってたらしい(長じて母親から聞いた)。女の子と遊ばず、男の子のウルトラマンごっこに参加していた。小学校でも時々いじめられたが、1日ぐらいの登校拒否で済んだ。結局は自分の意見は言わないで集団の中に埋没するか、少数の友人の中で自分勝手にふるまっていたと思う。私は自分以外の人を人間だと思えない、というように感じ、自分の冷たさが時々苦しかった。自分の意見ではなく、たとえば正しいと思うことなどはよく発言し、おかげではきはきした子、活発な子という評価もあったと思う。批判されたり叱責されたりすると、すべて個人攻撃ととって私は悪くない、と言いたくなるのは今も同じ。ちなみに自分の意見などもっていなかった。こう言えば正しい、あるいはこう言えば私が思ってる私らしいということを言っていたに過ぎない。あと、親の意見をそのまま言ってたり。

夢で、エネルギーをみた。小さな物体から黄色の光が出ていた。でもそれはエネルギーではない、というオチがついていた気もする。
実際には、エネルギーを感じることに関して講座の回数を重ねるごとに不安が増してくる。

●第4回目の講座:タチツボスミレ、シキザクラ、シャクナゲ(ピンク)、オダマキ
仕事でのミスが多いので、シキザクラやシャクナゲ(ピンク)はなるほどね、という感じ。オダマキは写真を見て、なんて可愛い花なんだ、と思っていた。オダマキのボトルをハートにおいてもらった時、気持ちがよく、わくわくと軽い感じがした。選んでくれた人は「羽が生えて飛んでいく感じがした」とのこと。

他の人にエッセンスを選ぶのは、とても面白かったが、自分が見ているもの、感じていることに雑音が入るのが参る。マインドで実況中継のごとく解説してしまうのがうるさい。

シャクナゲ(ピンク)は恋愛にいいエッセンスだと言うが、ボトルを飲み始めて3日目に、ずっと聞きたくて聞けなかったことをBFに聞いてみた。大したことない質問なのだが、ずーっと内側にわだかまりがあって、なかなか口から外に出せなかった。答えを聞いたが、「あれ、質問なんだっけ?」というぐらいもうどうでもよくなってしまった。

生まれて初めてビリヤードをやった。体を動かすことには苦手意識があって、うまくやれるわけがない、という思い込みがある。それが思い込みであって、事実とは限らない、ということにこないだの夏休みまでほとんど気づいていなかった。プールで子供時代を思い出していたら、昔は十全感があった、と思いついた。
今回のビリヤードも別にやりたくなくて、というか、どうせ出来ないに決まっているし、面白そうとも思わないし、恥かくのがいやで、腰が引けていたのだが、過去にビリヤードに関する傷があり、それを克服するためにやってみようと思ったのだった。
傷って言っても、私が好きだった人とつきあっていた子が、「デートでよくビリヤードに行く」と言うのを聞いた、というだけ。でもその頃の私には、デートもビリヤードも好きな人も他の宇宙の話ぐらい遠く感じられて、頭がぐらぐらしたのだ。
ビリヤードを実際やった結果は、割と面白かった。もう一度やってもいいぐらい。「絶対うまくできないよー」という思い込みをはずして、真剣にやってみたら、まあ手玉を他の玉に当てる、ということぐらいは出来た。

●第5回目の講座:ニラ、ノビル
どちらも新しい自分を作っていく(発掘するのかもしれないが)時に役立ちそうなエッセンスだ。冬休みの旅行などのことで迷っていたので、何か嬉しかった。

ボトルを飲み始めて3日目に「冬休み海外に行ってもいいですか」とBFに言う。彼が黙ったので、「あーまだ行くかどうかわかんないけど」と慌てて付け加えた。動揺。私はカップルは一緒に時間を過ごさなくちゃつまんない、と思っていて、でも相手にそういう気がそれほどない場合(これまで例外なくそう)、一緒に過ごせる時間をなるべく多くとるように自分の予定を調節する。だから今回の海外行き計画も、すごく行きたい反面、彼との時間を減らしてしまう罪悪感と恐怖がある。つまり、一緒に時間を過ごさないと捨てられる確率が高くなる、らしい、私の思い込みでは。
しかし、言って10分後、一人で電車に乗って、目を閉じると、ふと尊敬する師の事が浮かんできた。「師匠、助けてくださいー」と心で言うか言わないかのうちに、あ、と思う。そうか。海外に行くも行かないも、存在が決めること。私がじたばたしてもしょうがないのだ。そう思うと不思議と彼のことも、罪悪感も恐怖も気にならなくなった(なくなりはしなかった)。

●第6回目の講座:ガマズミ
中年クライシスのエッセンス。内側に入って瞑想するエッセンス。
瞑想、アート、外界への視線や見方などについて、講座の実技として、あるいは第三の目に役立つエクササイズとして紹介された。これらは全部自分の楽しみでやっていたことなので、ちょっとびっくり。第三の目は私にとって何か恐ろしくて、第三の目に関する瞑想やエクササイズはほとんどやった記憶がないのだけど。結局やってたのか。

自宅で、紹介されたひとつの鏡の瞑想をしてみた。眼鏡、コンタクトレンズを外したせいか、醜い顔がたくさん見えた。時々顔の部分が黒や灰色になって見えなくなる。
アートの本を購入し、さんざん遊んだ。
やはり講座が進むごとにエネルギーの感じ方に自信がなくなってくる。何かがはっきり見えたり、聞こえたりすれば信頼できるのかもしれないと思うが、もしかしたら信頼していないから「はっきり」見えたり聞こえたりしないか、とも思う。

●第7回目の講座:ボタンヅル
ペアを組んで過去の書き換えをしたが、間違った手順で過去の出来事を言うことになり、エネルギーの場がずるずるに崩れていった。過去の書き換えなど実感がなかったのだが、強烈なものだとわかった。
ボタンヅルは「純潔」。珍しく講座中に「ハルジオンが選ばれるといいな」などと思っていたのだが、そうはならなかった。何となくぴんとこない。16歳の時、高校に入って生きづらかった感じに対して選ばれたのだから、その時期に閉じてしまった感じ易さみたいなものもあるのかもしれないと思うが。

彼に女性から手紙が届いていて、その時は何も聞かなかったくせに、翌日台所で体が動かなくなった。職場での会話、友人との会話に急に「お金ないモード」が入り込んできて、おかしいと気づく。彼と別れたら引っ越さなくてはならないからお金がないと思っているらしい。
帰宅後、結局BFに話を聞く。彼から聞いたことにまた不本意な毒を吐いてしまったけど、まあ聞かないより聞いた方がよかった。

最近、自分が言ってることと本当に思っていることが違う時にすごく不快になることがある。いつも一緒じゃないと気持ち悪いもんなんだ。嘘ではなく、ごまかしとか意図的な何かでもないんだけど、時々そういうことがある。気をつけないと。

●第8回目の講座:フキノトウ
自分の内なる男性性と女性性を見る実技。女性はオートリヴァという名前の修道尼で、あまり長く生きたためか、顔が茶色く一面皺で覆われており、目鼻立ちの全くわからない人だった。修道院の中の小部屋でじっとしている。オートリヴァが何故老け込んだか質問すると、森が見えたが、これはリアルなヴィジョンでびっくりした。まるでその場にいて見ているかのようだった。ただし質問の答えはわからなかった。
男性はお葬式で泣いていた。トム。妻子を病気で亡くした農場主で、「人生はむなしい」と言う。それを聞いて私も涙がこぼれた。

フキノトウのボトルはとても美味しく感じて、一度に大量に飲んでしまう。眠る前にボトルを体においてオートリヴァとトムに話しかけるが、オートリヴァはもう目鼻立ちのわからない人ではなく、普通に生きている修道尼になっている。

今年に入ってから、仕事、私生活ともに大きな変化がありました。その中で受講したマウントフジフラワーエッセンス基礎講座は、私に気づきをもたらしてくれました。講座の前半では、自分の思い込み、信じ込みに焦点が当たる出来事が、夢等も含めて、多く起こりました。私はこれまでどのような局面に関しても変化を極端に恐れていましたが、思い込みを見ることによって、変化に対して初めて前向きな気持ちが出てきたようです。そして、変化を超えて成長していくことは、私の今年のテーマだったと今は思っています。

これからまだ勉強することがたくさんありますが、プロ養成講座でもどうぞよろしくお願いいたします。