マウントフジフラワーエッセンス プロ養成講座体験談
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〜マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座を受講して〜
マゼンタ
掲載日: 2005年 8月8日

「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」を受講中の私はまさに怒濤のごとくの精神的、肉体的な体験を(自分的には)することになった。現在も表向きには、何ごともないように平穏な生活を送っているかのように、周囲の方々は思われるかもしれないが、フラワーエッセンスとワークをしている最中で本当に良かったと思える点がここにある。 おそらく翻弄されながらも、フラワーエッセンスの力を借りて、又、自分はフラワーエッセンスとワークしている最中なのだ、という意識をもってして日常の事に当たれたのは、私にとり意味は大きかった。
「今何が起きていて、どう感じているか?自分はどうしたいのか?これは自分の進む道か?」などいちいちにおいて、立ち止まりながら考える癖がついたからである。
期間中、マウントフジフラワーエッセンスに「どういう事?」と尋ねてみたのも1度や2度ではない。 各週選ばれた花々のエネルギーに対して「あなたならどう助けてくれる?」と期待したのも実際の正直なところ。
 
フラワーエッセンスを試すと、どの回ということに限らず、自然に自分や自分の周囲の出来事にアンテナを張り、向き合う練習をするのが生活習慣になった。それは、何気ない自分の普段の判断やパターン、気持ちの動向、周りで起きる様々な出来事のあれこれなどにも基礎講座の時にも増して発展していったように思う。私達は普通余りにも、自分を見つめると言う事をなおざりにしやすいのかもしれない。
おおざっぱな感想を述べさせて頂くとすると、私にとってはそれだけでも「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」をうけつつ、フラワーエッセンスとワークするというのは充分な意味があった。
                                  
第1回目と時を同じくして、私は心理的な葛藤の中に既にいた。仕事を通しての関連の中で、それは人間不信となる程の困難な思いをある方に抱かざるを得ない残念な経過をたどり、行き先を失っていた。
そのような中でも、私は着手している仕事及び、個人的な仕事を成功させたい思いに変わりはなく、毎週の実習でペアを組んだパートナーの方に自分のフラワーエッセンスを選んでもらう時には必ず、仕事に関してのテーマを選んでいた。
講座受講中の3ヶ月はこの葛藤と共に私の日々は続き、発症してしまったアトピー性皮膚炎から、講座修了間近には更に異常な顔の腫れを経験することになってしまった。

毎回の選ばれたフラワーエッセンスとの関係の中で自分においての新たな発見や、生活におこった一見関係のない出来事との微妙な関連等、興味深い体験をさせてもらったが、いくつかをかいつまんで御報告したい。
 
第4回目で選ばれた花
イヌキクイモ、ジシバリ、シャクナゲピンク、ツバキピンク、ムシトリナデシコ、ヤマザクラ、オダマキ 

これらのフラワーエッセンスを試していた週は仕事上で大切な予定の入っている週でもあったが、気持ちの動揺を押さえやりにくい人間関係の中で、実力以上の底力を発揮出来たと思う。
ある講座開設に伴い、リハーサルがあったのだが、他講師の判定の中、難無く集中し合格を得る事が出来た。人間関係の歪みのある中で圧力を受けながら、(と自分が思っていただけかも?)準備をすすめ、自分を惨めな人間だと思い卑下しそうになりながらの日々だったが、楽天的に意識を変換させることが出来て良かったと思う。終了後、一山超えられた感が自分の中に芽生える。
 
試験官の方々が私の作り上げた心配をよそに、好意的に暖かな気持ちを送ってくれていた事に後で気付く。 評価が全面的に良かった訳でもなく、内容の半分の却下を申し渡されたり、洗い直しをアドバイスされたにもかかわらず、私の精神は活発であり、その時を楽しんでいた。試験官のアドリブにも巻き込まれる事なく、自分なりの無理のない展開でかわせる強さが持てた様に思う。

自己憐憫ばかりしている自分が、穏やかなパワーアップの感覚を覚えているのが嬉しかった。 少なくとも自分のできる事を自分流に成し遂げる事はできた。思えば、リハーサル前に、こまめにフラワーエッセンス摂っていたのが今では微笑ましく思いだされる。
 
なんであれ、こちらが状況や個人に対して下した感情的判断がその真実の世界になる 、というのをネガティヴな例で体験できたと思う。誰が正しい、正しく無いということではなく、私本人が何かに判断を行ない、その判断を下した世界で生きてしまっていたため、日々の重さを尚、増幅してしまう、というからくりにはまってしまった。

それにしても、実習中のパートナーの方にオダマキをこの時期選んで頂いている事に驚きを感じる。どのフラワーエッセンスが選ばれたとしても、選んで頂いた側が、想像した通りであったり、全く想像し得ない形であったりのギフトが、様々な形でどこからか、きっとやってくるのは言う間でも無い事であるが、オダマキの特質に『創作や研究などの発表の時』とあるのを見る時、私にも分かりやすいため「何かが起こりそう!」と期待感が膨らみ、単純に、私の元に時期を違えず来てくれたことに感謝してしまいたくなった。
このように分かりやすい形であったり、そうでもないが後々、なるほど、と気付いたりという差はあれ、第4回目の全部のフラワーエッセンスからも、全回のフラワーエッセンスからも、サポートや客観的に感じるきっかけを得る、などの変化を得た。
 
 準備に追われていた期間はナギナタコウジュを取る機会もあったが、とにかく、どんな状況でも『高次の自己に従ってやるべき事はやる』エネルギーが私を支えてくれていたのは間違い無い。枕元に毎週のミックスボトルを並べて、ボトルの花々と眠る日々が習慣となる。
  
その1週前の 第3回目にも選んで頂いていた花の中にジシバリ、ツバキ(ピンク)が入っていたのは興味深い事と思っている。(その他 ナギナタコウジュ、フジツボミ、ヤマブキ、ワレモコウ
 
まさに個人的には意見を言うのは難しい状況にあり、しかしながら自分の個性を無邪気にも表現したい自分が周囲に恐れおののき、評価を気にしすぎているのは、自分が傷つき力ない存在のようで、打ちのめされた感があった。
しかし、快活さを伴い前進できたのもツバキ(ピンク)の為せる技だったのか、前述した通り。 フラワーエッセンスの助けを借りて、「自分にもプライドがあったのか」と、このあたりで気付くきっかけになる。(私はあまり、自分のプライドについて考えた事がなかった。プライドは時に自己成長の邪魔になるのかもしれないが、無さ過ぎるというのも自己実現して生きて行く道の足をひっぱる事である、と痛感させられる。)
その事に関連して第3回目で選ばれたフジ(ツボミ)、ヤマブキの影響をここで振り返るのをわすれてはならない。
 
こどもの頃より、誰に言われる事なく、人とは調和のみするものと信じてきたようなところが私にはある。というより、調和していない状況は好まない、とでもいうのだろうか?こちら側サイドとしては、自分から不調和をまねく言動をわざわざ起こしたり、集団や周囲の人々との関係性において緊張状態をつくり出す事は興味がない。それは、心の均衡を揺るがす出来事は、私の平安を失う事につながり、その状態では私は自分の生を、のびやかに楽しめなくなるのを危惧し、何よりも恐れる魂が、根本にあったからかもしれない。不調和はつくり出さず、戦わず、さける必要があった。(誰でもそうだろうか?)
だから、自分自身が周囲の人々に批判れてしまうかも知れない事を判っているのかいないのか定かではないが、ある人が感情を隠す事なく自分自身の意見や希望を押し通したり、主張したりする場面に遭遇すると、決まって閉口したものである。 そういう人の気持ちが判らず、支配されたように感じてしまうのが常だった。自己犠牲的にその状況とは逆の、調和を作る事に一生懸命だった様な気がする。

しかし、そればかりでは、どこか無理が生じてくる、というものである。今回自分に 起きた1連の出来事から、はっきり 「自分も大切にしなければ」 という思いが無視できない形で沸き上がるのを感じずにはいられなかった。古いパター ンを捨て去りたい気持ちが起きて来た。今まで、人に対して悪い感情を持たない事、皆と上手く協調する事、他人を批難しない事、などの自分の感情を無視した決まり事の中で生きてきた事に気がつく。
しかし、自分は憤慨もしたし、心の中で抗議もしたし、私ならそういうやり方は取らない、など、隠しようもない感情があふれでているではないか?!それを無視はできない。それを良いコぶって何ごともなかったかのようには振る舞えない。自分から見て、誰かはものすごくのびのびと、我がままにも映る程の迷いのなさで、 自分の感情や意志というものを正直に表現しているのに、自分は何をしているのだろう ????

私は怒っている。それをようやく承認し転換させたがっている自分に会う。
良い人を装おえば、誰かの為になるのだろうか?!

いらないパターンに縛られるのをやめ、 『スムーズに次の段階に行く』時の到来か?  (確かにいらない習慣を、克服するのに躊躇はいらない時期にきていた。) 『親や社会からの条件付けによる自己コントロールを取り除く』時か?(家庭環境からの影響で「他人のコントロールの受け入れやすさ」を身に付けてしま ったようだ、と今さらながらに気付く。私はおりこうである必要があった。その枠を越 えるのは危険な事であった。)
そして、今回の軋轢は自分を傷ついたままの無力感から救い出し、 『ありのままの自分』 と対面するに相応しい出来事であるに相違ない。傷つき、「何かおかしい???」 と、思うからこそ、 「これではいけない」 と、思い至ったのだから。何に傷付くかというと、もともとの自分を尊重せず、押し殺し、アクセス不能な位、自分で自分をないがしろにする事に対してだ、という答えに落ち着く。
まさしく、自分をパターンから解放するには、それなりの強烈な出来事が人生には 必要だと言うのが分かる。周囲から受けたショックが大きければ大きい程、私もなぜこ のような出来事の中に自分がいるのを、許しているのかを考えざるを得ない程だったか らだ。  加えて 「では、どうすれば満足なのか?」 と次には考えた。  きっと、自分の出した答えの方向へ次に私は歩くだろう。人生は面倒で苦しい時もあるが、上手くできているなというのが、今の楽観的な私の感想である。
 
この回を通して勉強になった事は、まだ、必要なフラワーエッセンスは再度選ばれる可能性がある、という事。取り終わってもまだ継続して、フラワーエッセンスの作用は個人の中で成 長し続けている事などである。

これらの事と平行して前述したように私はひどい皮膚炎を起こしてしまった。胸から 顔。第4、5、6チャクラの部位に出る不調。これらはフラワーエッセンスとは関係ないかもし れないし、重要な示唆を含んだものかもしれない。最終週も近い第7回目のフラワーエッセンスを摂っている時に起きた出来事は、自分の生き方 にも警笛をならすものだと思える。
   
第7回目に選ばれたエッセンス
ジシバリ、フジ、ヤマブキ、キリ、ホトケノザ、マツヤニ

第3回目と同じものがここでも選ばれている。ヤマブキ、マツヤニ
ジシバリにおいては3、4、と同じ。3度めの登場。
 
それだけ必要なフラワーエッセンスという事だろうか?あまりにも解決する手立てのないまま自分を我慢させてしまったからかもしれない 誰も我慢せよ、などと言ってはいないのに、どうしてもこの頃の気分は"コントロール 不能者兼犠牲者"の役割にまわってしまう。
 
ストレスや、封印され本人に完全に理解してもらえない感情は、なんとしても本人に 分かってほしいために、分りやすい形をもってして症状という形で現れたのかもしれない。
『蓄積され隠された感情を再び表面に浮上させ、終わらせる』 と解説にはある。

私も本当に終わらせたかった。なぜなら、しつこい皮膚炎を薬で押さえ込み(本来は薬嫌い。なるべくつかわない。)ようやく治ったかに思えた矢先に大きく反乱を起こされたからだ。
病院は連休。アナフィラキシーショック様の顔とリンパ腺。(*なにもかもがフラワーエッセンスの反応という訳ではないというのを承知の上で参考までに付記すると、皮膚疾患の始まりは第3回目のフラワーエッセンスとワークしている時からである。)

手立てのない中で私はいろいろな事を考えた。
「多忙さにかまけて身体に無理をかけていたから、ただ、休めというメッセージかも しれない。」
「疲れが抜けずに弱いところに症状として出て来たということかもしれない。」
「何らかの花粉の時期に当たっているための反応という可能性もある。」
私の口は猛烈な形に腫れ上がっていた。既に口の未経験の炎症が発症していた10日程前に、その症状に対して
「一体何が原因なのか?」と瞑想を通して問いかけをしてみた。出て来たイメージは大きな誰かの口に私自身が食べられている、という場面。
その時は治癒の方向へ徐々に向かっていたので安心してきた矢先の今回の事である。
 
「一体、誰の口に食われたままになり、言いたい事を押し込めているのか?」
「何の無理をしているのか?」
「誰の口に食われてしまっている、と私は信じ込んでいるのか?」
「何を私は隠しているのだろう?」
「自分への尊厳はどこへ置いてきたのか?」
「そもそも、シャドウをお互いに見つめ反応しあっただけなのではないか?!」
「では、こちらがあちらをお手本に、同じ行動を真似させてもらうというのはどうだろう?」
「それが自分には出来るか?やってみたいのに、理由をつけて出来なくしているので
はないの???」
「やってみる?」

出来事に関して、感情を害しているのは誰でも無い、私自身に違い無い。
「わかった。もう抑圧はごめんです。刷新するためのサポートを下さい。」
口と目の腫れは感情をその皮膚の下に溜め込んで出口をまるで失ったかの様に見えた。自分でなく、誰がこの私を助ける事ができるだろう。 

これを書いている頃はほぼ症状ははた目からは判らない程に治まった。悪化もみるみ
るうちに短時間に進んだが、ピークを過ぎると、治癒も時間と共に着々と進んだ。

これからまだフラワーエッセンスとのワークは続くが、すっかりとフラワーエッセンスに委ねて、享受できるものを享受し、捨てるものは惜しまないと決めている。何よりも敏感に自己のハートに起こる反応を楽しみにしながら、軽くなって行きたいと希望を持っている。
振り返ってみて、消耗する出来事だったからこそ、多くの学びがあった事を認められる程、気持ちがすっきりとしているのに気付く。あくまでも自分に必要な出来事を引き寄せたのみとも思える。ある方に対しての困難な思いと先に書いたが、客観的に見つめてみれば、その方が悪 いと言う訳では決してない。ただ、そういった事実がそこにはある、と言うだけの事である。そこに意味付けをしたのは私の感情である。
困難な配役を演じるのを承諾し、私に揺さぶりをかけ気付きをもたらせるために、メ ッセンジャーとなる役割を買って出てくれたとも信じられる。の方から、仕事の進め方や、チャレンジ精神等学ぶ事も実際多かった。そして関係 したからこそ私の中心に、必ずこれだけは守りたいという、セラピストとしての柱もはっきりと芽生えてきた。

八方ふさがりな状態を人はたまには経験する。何か手を打ちたいがどうして良いのかわからないこともある。そんな時、人知を超えたところから、マウントフジフラワーエッセンスは柔らかな救いの手をさしのべてくれた。
自分が現在の自分を生きて行く時に、それ以上のものには一足飛びにはいきなり変化 しにくく、苦しい状況を進む場合、信じる信じないにかかわらず、フラワーエッセンスのサポートを受けるのを選択する事もできると知っているのは価値ある事だと思う。何かは何かに常に影響を受けているから、選択じたいが変化変容を生む手伝いをし、自然界のエネルギーと繋がり、自己の突破口を開く体験をする事となった。何よりもフラワーエッセンスのエネルギーをより身近に感じ、微細な存在ともっと戯れてもいいのだ!と納得できた。
 
プロ養成講座はもうすぐ終わりを迎えるが、まずは自分がマウントフジフラワーエッセンスを見つめられる、繊細な感覚と意識の持ち主になれる様に研鑽を積んで行きたいと思う。そして花のエネルギーのもたらすものの素晴らしさを共有させてもらえる、まだ見ぬクライアントさんに御会いできるのを夢みている。

「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」の内容は基礎講座にも増して更に、専門的で楽しかったです。プロ養成講座全回とも、御一緒させて頂いた他の皆さんと『ただ、エネルギーを感じる』 という実習の中で微細なエネルギーの存在、自分の感覚を信頼する事などを学ばせて頂 いたのは、振りかえれば振り返る程、貴重な体験でした。
期間中の私生活において、人格者、先生、師、メンター等に関して考えさせられる機会を個人的に多く持ちましたが、講座の中での『カウンセラーとしての態度や、セラピストに必須なもの』などのお話からもお人柄が滲み出ていて、多くのものを学ばせて頂きました。
サンバドさん、パビットラさんには知識の数々を惜しみも無く伝授して頂き、内容の充実度、濃さに触れて改めて、私も学びの足を止めないで成長させてもらいたいと思いました。基本の瞑想性、存在同志の出会いのお話しにおいては気持ちが覚醒するような感覚を得ました。そして何よりも目標にさせていただける、心ある方に教えていただけた事がなによりの幸運でした。心から有り難うございました。これからもよろしくおねがいいたします。