バッチ博士のフラワーエッセンス 基礎 集中講座 体験談
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バッチ博士のフラワーエッセンス 基礎 大阪集中講座 体験談
Y.O.
掲載日: 2006年 2月 7日

私とバッチ博士のフラワーエッセンスの出会いは、2005年の6月です。その前の月に病院で乳癌を告知された私に、従兄妹が「乳癌は心の中の怒りと悲しみがストレスとなり起きているのだからそれを解決することが第1だよ」と薦めてくれたのがきっかけです。確かにその前の3年間ほどの間に、子供の非行、不登校、学級崩壊、父の死、兄夫婦の不仲、受験、息子の統合失調症、骨折、退職、転居、金銭問題、主人の実家のトラブル・・・と数えられないほどの心労が重なっており、病気になるのも当然の結果と言える状態でした。以前から見ていただいていたホリスティック医学の先生にOリングで診断していただき、「自分の肉体と霊体がばらばらになっているよ。自分にあやまりなさい」と言われたところでした。1ヶ月の期間を与えられ、私は自分の心を見つめることになり、カウンセリングも兼ねて、近くのリフレクソロジーの先生のところへ通いました。そこで、バッチ博士のフラワーエッセンスの話をすると、先生が持っていらして、緊急時用エッセンスを1本分けてくださったのが最初です。

全ては「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」を受け、自分でその作用を感じた今、バッチ博士のフラワーエッセンスの作用というのかエネルギーの力を強く感じ、一連の出来事が後から考えるという形で理解できるようになったと思います。それなので、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」の学びの前の事についても記述させていただこうと思います。また、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」を受講する前日よりレイキを学習しはじめたのですが、そのことも関わってきているので記述させていただこうと思います。

その頃、あまりの心労で、感情が完全に押さえ込まれておりうつ状態にありました。自身で発見し、病院に一人で出かけ、検査し、乳癌と告知されたときも「やっぱり。」程度の感想で、おもむろに手帳を出してスケジュールを見ながら話をし、担当のドクターが「患者さん、しっかりしているから大丈夫ですね。」といわれたほどでした。正直言えば、「死んだ方が楽だ」と考えていたのです。死ぬ覚悟をして、初めて自分の心の蓋を開けてみたように思います。それから、自分の心の中を見つめ、何を悲しんでいたのか、何に怒りを感じていたのか一つずつ紐解いていきました。
緊急時用エッセンスは、毎日、眠る前にボトルから直接4滴服用していました。お蔭で「癌」という普通は聞くと眠れない病気でありながら、私は良く眠りました。そして、日々、新たに心の中の問題を取り出しては見つめ、「そうだったのか」と納得することを繰り返しました。リフレクソロジーの先生はまだ33歳という若い方ですが、寄り添ってくださり話を聞き、受け止めてくださったのでとても早く進んだと思います。自分では大した問題ではないと思っていたことが案外、深い悲しみや怒りになっていたこともありとても意外でした。「今日はなんでこんなことを話すのかな?」と思っているとどんどん感情が表れてきて、「私ってこんなにこのことが嫌だったのですね。」と話すことが度々でした。
本もたくさん読みました。自然食療法のものから、気づきのための本、心を開放させるための本などそもそも自分の大好きな分野なので、すごい勢いで読みました。早い段階で外応についても知ることできたので、病院に通うときも道行くすべてが楽しいものでした。
子供との関係も自分が支配し押さえ込んでおきながら、成長がないと文句を言っていたことを知りました。手術の前に万が一の事を考え、子供たち一人一人に話をしておこうと思い、初めは「これを機に改心して欲しい」と言えると喜んでいたのですが、支配的な自分を大きく反省した結果「今までのお母さんを許してください。」が、最初の言葉に代わりました。自分でもそれは驚きでしたが、同時に子供との新たな関係の一歩だったと思います。術後、夏休みでもあったので1ヶ月半子供中心で生活したことも、お互いの自立のために必要な時間であったと思います。このことは、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」のときにチコリーが出て改めて納得しました。頑張って意識を変えてはいるのですがすぐに戻ってしまい、その度に「チコリー、チコリー」と戒めています。

私が手術までの約2ヶ月間で色々と考え気付いたことは私にとってとても大きな喜びとなっており、心がとても軽くなっていたことが、癌の治療に大きな影響を与えていたと思います。2件目の病院で精密検査を受け正式に乳癌と診断され、Oリングの先生に「癌であるという厳しい診断があなたに必要なのかもしれないね」と言われました。手術を迷っていた私はセカンドオピニオンを求めて3件目の病院へ出かけ、自分の勘で(これこそがハートに聞くと言うことなのでしょうか)その先生が自分にとって良いと思ったら手術を受けようと決めました。病院で順番を待っている間に、患者さんや病院の雰囲気、ドクターや看護師さんの対応などをじっくり観察することが出来ました。3件目の病院は、今年私が中学の役員を引き受け、役員仲間から活動の連絡を受けたときに病気を報告したところ、乳癌手術の記事を息子を通して渡してくださって知った所でした。手術を受けるならなるべく体に負担のない方法が良いと思い、2件目の病院でドクターにその記事の事を聞くと、「その手術をされる先生は素晴らしい先生ですよ。紹介しましょうか?」という返事が返ってきたので3件目で最後にしようと思っていました。
ドクターは腕も一流なのですが、人柄が素晴らしく話の流れで手術の予約を入れていました。古い病院なのですが待合室の患者さんたちもとても明るく、看護師さんたちも気さくで、私に馴染みのある町でもあったので、これもご縁と思いました。帰宅すると、朝は蕾だった真っ白なバラの花が玄関で満開に咲いて出迎えてくれ、「手術を決めて良かったのだ」と確信したのを覚えています。
色々な気付きの中で、只、自分の心の中だけで理解することだけではなく、実際体験したり、その状況を作っていくことで自分も周りも気付いたり、動くことになることもそこで理解したので、「一つの儀式」として私は手術を選びました。そのことで子供、夫、親、兄弟、その家族関係、夫の家族関係、友人、学校の役員、クラスの保護者、先生などなど多くの人に影響があったことも良かったと思います。手術前は特に何の治療も無ければ薬も出ないのでなるべく人に会い、状態を説明し話をしました。今でも行っていますが「草の根乳癌検診啓発運動」と名づけ、人に会ったら検診に行くよう勧めています。「癌」という名前の影響力には驚きます。私は笑っているのですが、大抵相手はすごく深刻な表情で私を迎えるので自分の病気を再確認してしまいます。

術後4日で退院し、母と二人で一月半長野で過ごしました。綺麗な空気、おいしい水、緑深い森ととてもエネルギーに満ちていました。静かにゆっくりと時間が流れ、母と話をし、散歩をし、採れたての野菜を食べ、少々の痛みが出たものの経過も良く、体力も回復し8月の終わりには東京に元気に戻ることが出来ました。これも緊急時用エッセンスを飲んでいたからだったのだと今は思います。母にしても私が痛がったり、辛がったり、泣いたりすることもなく、気づきの話や昔話をして笑い、楽しくのんびり過ごしていたことでとても心が楽であったようです。その上母自身も体を休める良いチャンスとなり、それがまた兄弟たちにとって気づきを与える結果となり、私が乳癌となる原因のいくつかをそこでクリアーしたのも驚くべきことでした。
9月からは放射線治療が始まり、約2ヶ月間土日祝日を除いて毎日通院しました。放射線も昔と違って本当に患部のみの照射でしたので、初めのうちクラッとしたこともありましたが、ほとんど副作用はありませんでした。ただ最後の方で照射部が真っ黒に焼けてしまい皮がめくれたり、熱をもったりはしていましたが、それもわりとすぐに納まりました。その頃は緊急時用エッセンスもあまり飲もうと思わなくなり、飲んでいなかったと思います。
通院が毎日のため、そこでたくさんの癌友が出来ました。いろいろなタイプの人がいるのでそれぞれの思うことが聞けて、私はとても面白いと思いました。治療の内容にすごく詳しい人、薬やサプリメントに詳しい人、楽観的な人、悲観的な人、ものすごい勢いで話す人、黙っている人など待合室は情報交換の場でもあるので、それはそれは楽しく行くのが楽しみでした。みな癌と宣告されて一度は死を覚悟しているわけですから、本当の気持ちが出てきます。明るくしているようでもやはり、「背中に死神を背負っている感じ」には違いなく、話をすることで不安な感情を共有し、慰めあって励ましあって楽になって帰っていくということをしていました。
乳癌は他の癌に比べると再発率がもっとも高く、また種類も多岐に渡っており、一括りにはできないものなのですが、私は中でも一番再発リスクの低いものであったため、ホルモン療法を5年続けることで再発を防げるであろうと診断されています。そのため抗癌剤も使用せず、体に最小の負担で今日まで来れたことは幸いでした。
癌友が増える中で若い友人がすでに再発していることを知ったとき、「一体私に何ができるのだろう」と「何がしてあげられるのだろう」と考え始め、いつしか「何か人の役にたてることをしたい」と強く思うようになりました。そもそも教育者と宗教家の家系で育ち、「世のため人のために生きること」が家の家訓であったのを思い出したのです。自分が死ぬことになったとして残りの時間を自分の好きなことに使おうと思うと、例えおいしいものを食べたとしても、楽しいことをしたとしても、行きたいところに行ったとしても、なんだか刹那的で一瞬の感情のように思えるのです。私はそれよりも人が笑ったり、喜んだり、元気になったのを見るほうがはるかにうれしく、喜びがあることに気がつきました。そこで病院の中で乳癌サポートの会を作りたいと考え、そのためのツールとしていろいろと勉強したいと思うようになりました。

フラワーエッセンスは、本当に病んでいる多くの人々にとても有効で、また副作用が無く本当の意味での気づきを促せる素晴らしいものなのではと思ったときに、偶然セミナーでH先生(日本フラワーエッセンス協会勉強会講師、協会認定レイキマスター)にお会いすることになり、お話を伺って、すぐに「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」を申し込むことになったのです。H先生には、レイキの指導やいろいろなフォローもしていただいています。

「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」では、初めに自分の講座参加の動機である「乳癌サポート」について心に思いながら、花の写真カードを1枚引きました。カードは「エルム」でした。まさしく「理想主義者」でありそのものだと思いました。その後、気づいたことは、初めから完璧に形を整えてゴールするのではなく、そのプロセスこそが「サポート」そのものであり、自分のやっていきたいことであり、道であり、同時にゴールであるということでした。みなの期待に応えて頑張らないといけないと、思いすぎていました。
講義の時にサンバトさんが「40歳を超えると魂を見つめるようになる。これは天と繋がるということで、天と離れると体調が悪くなる。」と話された時に、しみじみとこの数年、自分が小さな殻の中で目の前の事や現実ばかりを見て、心のゆとりをすっかり無くしていたことに気付きました。金銭的な問題で悩んでいたことがあったのですが、ふと、例え大金が入ったところで形はつくかもしれないけれど人の心や成長はお金で解決できないし、結果的にそれによって成長を妨げるものでもあるのだと気づき、この現状がこのままで良いものなのだと思えるようになりました。
「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」の最中はたくさん学ぶことがあり、いろいろな方の助けを借りながら自分のエッセンスを選びました。
ペンジュラムも「不思議だなあー。」と思いながらも、自分もペアの方も納得の答えが現れたり後で考えるとつじつまがあったりと、面白く進んでいきました。なんとなく指先にピリピリした感じがあったり、ボトルが体に溶け込みそうな感覚があったりしました。
「落胆と絶望」のカテゴリーのボトルを選ぶためのペアでの実技では、私は自分としては余り重くない問題を取り上げようとしたにも関わらず、涙が溢れました。相手の方も同時に涙を流され、二人で「不思議ですね。」と話しました。心が一つになったような感じだったように思います。
私はこういったエネルギーワークは初めてでした。丁度「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」の前日にレイキのTディグリーを受けたのですが、レイキT受講時には何か起きたわけでは無く淡々と終了して、そのまま大阪に向かいました。新幹線の中で時計が5分遅れたことに気付き、舞鶴辺りで京都で降りようかな?と考えたら雨が降り出して大阪まで行こうと決め、山並みに架かる雲が大きな龍になりついてきたので不思議に思い、その晩何十年ぶりにひどく寝汗を掻きほとんど眠れなかったということがありました。それも「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」を受けてから、改めてそういえば・・・と思い当たったことでした。
2日間の講座は長時間のものでしたが、どれも面白く興味深かったので、あっという間に終わった気がしました。ボトルを選ぶ際に自分の中で「これ!」と言う強い確信があったわけではなく、「これかなあ?」というぐらいの感じで選んでいました。ちなみに選ばれたボトルは、アスペン95%、ホーンビームホワイトチェストナット65%、アグリモニー74%、ヘザーオークチコリーでした。確かに選ばれて本でその項目を読んでみると自分にあてはまり、他のものではない気がしました。

「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」終了後、最寄り駅からJRに乗った瞬間から急にひどく疲れを感じました。頭の中に「余裕が無い。」「忙しすぎる。」などの言葉が浮かんできて、自分が無理しているなあと客観的に感じ、それと同時に体が重くなり、なんとか新幹線に乗ったと言う感じでした。
新幹線の中ではタオルで拭くほど涙がどんどん溢れてきて、何かしていないと、「〜の為に」という大義が無いと存在の意味が無いように感じている不安な心が、余裕の無い暮らしを生んでいるのだと気づきました。オークのとおりゆっくりゆったりするよりも眠ってしまう。のんびり楽しむと言うよりは虚無な状況に陥ってしまうという暮らしだと理解しました。キッチンにいる時ついつい見ていなくてもTVをつけてしまうというのも、不安な心をごまかしていたのだと思い当たりました。本当は死にたいする恐怖が心を占めていたのだと、やっと認められたのでした。「楽になろう!」人に無理して元気に見せなくても良いのだと思いながら帰りました。人に無意識に心配かけないように元気に見せてしまう自分だということも、改めて自覚しました。

20日から、自分用にミックスされたミックスボトルを飲み始めました。味が無いはずなのに、草花のような甘酸っぱい味がしました。
3日くらい飲んだころから、なんとなく乳癌サポートの事を考えると、本当に出来るのだろうかとひどく落ち込み始めました。クレームがあるかもしれない。広げすぎたら対応できるのだろうか?もっとゆっくりはじめても良いのではないか・・・。そんな気持ちの中、レイキのUディグリー受講のため、H先生(協会勉強会講師およびレイキマスター)の所に出かけました。レイキの後H先生がリーディングしてくださり、パインマスタードロックウォーターが出ました。マスタードは一時的な気持ちの落ち込みの状態でその状態を味わうということだったので、沈んだ気持ちのまま過ごすことにしました。ロックウォーターは自分に厳しいかせをはかしていると理解したので、とにかく自分のペースを掴んで楽にやっていこうと決めました。
病院に診察に行くと、友人に「責任感が強くて頼られちゃうんだから、無理したら駄目だよ。それで無理したら前と同じじゃない。だから病気になったんだよ。変わらなくちゃ!」と言われ、客観的にもエルムな自分を知らされました。
レイキのUを受けて自分にシンボルを描きレイキをしたところ、その晩から手術をし、放射線を受けた右胸に湿疹が出始め、痒くてたまらなくなってしまいました。放射線治療後一度皮が剥け治まっていたのですが、眠れないぐらいになってしまいました。エッセンスを飲む回数も減らしてみました。あまりのタイミングに驚きましたが、心のどこかで「大丈夫」と感じ、いろいろなスケジュールをキャンセルして、体をなるべく横にして休むことにしました。いつもは周りの人たちに「大丈夫。元気。」と言っていたのですが、「副作用が出たみたいでちょっと弱ってる。」と本当のことを話せるようになりました。そんな時に限って主治医も休みでした。

その間にIMA主催「〜こころに調和をもたらす花の波動液〜フラワーエッセンス」のセミナーに参加するチャンスをいただき、偶然H先生(協会勉強会講師およびレイキマスター)にお会いでき、胸の発疹の話をすると「浄化ね。心配ないわよ。緊急時用の5フラワークリーム持ってらしたら塗ってみたら?私ならそうするけれど。」と言ってくださって、自分の判断と同じでほっとしました。その日のセミナーで引いた花の写真カードも「クラブアップル」と「皮膚の浄化」そのものが出て、笑ってしまうぐらいでした。丁度ハートサポートシステムさんで5フラワークリームを購入したところだったので、塗ってみました。その日は感じなかったのですが、その後主治医から「ひどい状態になったね。」と出されたクリームを塗っても働きかけを感じなかったのですが、5フラワークリームを塗ると患部の痛み、痒みだけではなく胸の中の、心の痛みが取れるように感じるようになりました。

「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」でリーディングされたミックスボトルは10日飲んだだけでしたが、ペンジュラムでボトルを変えても良いか聞き、H先生にミックスしていただいたパインマスタードロックウォーターのミックスボトルに切り変えました。過去の出来事で自分を責めている私は、自分で自分に罰を与え、癌にしたのだとつくづく思いました。そして前回のミックスボトルのお蔭で一皮剥けて本当の自分が現れ、次のミックスボトルがそれを解くものなのだと思えるようになりました。

IMA主催のセミナーの時、マウントフジフラワーエッセンスの「オオキンケイギク」が出ました。「過去をオープンにしなさい」のメッセージを受け取って、H先生が「もう過去を手放していいのよ。捕われた瞬間からこだわっているのは自分自身だけよ。」と言われて、本当にこだわって身動きが取れないのは自分がそこに留まっているからだと気づきました。
その後、友人と会って話をしているときや考え事をしているとき、急に患部が痛くなる事が起きてきました。時には、再発したのでは?と心配な位、今は無くなっている右胸の切除部分が激しく痛むこともありました。そんな時、「過去の清算をしているのだなあ」と思うようになりました。いろいろな自分の中の過去のトラウマやその時の感情が溢れてきて、「このことはこういう考え方もできるな」「このことはこうだったのかもしれない」など全く違う見方や、客観的な感情で処理できるようになったりしました。ひどく痛むときに、ボトルを胸に当てて深呼吸すると納まるのも不思議です。本当にフラワーエッセンスに助けられています。湿疹も胸の痛みも、その後10日位で治まりました。
その後ペンジュラムでボトルを飲まなくても良いと出たので、その後は心の状態に合わせてペンジュラムで緊急時用エッセンスを飲む方が良いかどうか聞くようにし、胸の方は毎日眠る前に5フラワークリームを塗っています。

レイキのVを受けるころには、人に対して「なんとか治してあげたい」というような感情ではなく、「この人の気づきや癒しの手伝いができれば良い」という気持ちになっていました。人に対する姿勢を学んだのだと思います。これは私がこれからやっていこうと思うことの基本姿勢としてとても大事なことで、これを学ぶためにもレイキが必要だったのだと思いました。
人との出会いも大きな出来事でした。様々な人と出会い、ひどくばたばたした時期もありました。しかしながらそういった人の力を借りながら、私は不思議なことに健康を取り戻し、心を回復し、家族との関係が本当に良くなり、家族の皆や関わりのある人達が落ち着き始めたように思います。一月には数年前から考えていた通信での大学の心理学部への入学も果たし、一歩ずつ自分の夢に向かって進んでいます。

バッチ博士のフラワーエッセンスと出会い、「バッチ博士のフラワーエッセンス基礎大阪集中講座」を受講したことで、私は本当の自分、魂に出会うことが出来たのかも知れません。心から感謝いたします。今後は、「バッチ博士のフラワーエッセンスプロ養成講座」「マウントフジフラワーエッセンス基礎講座」「マウントフジフラワーエッセンスプロ養成講座」も習得し、自分をより高め、人のお役に立てるようになりたいと考えています。
ありがとうございました。